第33話 幼なじみの涙

 こぶしを出したのは、ほぼ同時だった。


 突き出した拳は、突き出された拳は、まるでクロスカウンターのように互いの頬に突き刺さった。


「……!」

「っ!」


 思わずよろめいて、近くの机に手をつく。


 まさか秋人あきとのパンチがここまで威力があるとは。普段あんなに温厚だというのに。


 口の中にじんわりと広がる、刺激、痛み、鉄の味。いろんなものとまとめて、俺はそれを飲み込む。

 俺の拳がきいたのか、向こうも壁に寄りかかっていた。くちもとからは糸のような赤いすじが垂れている。


「久しぶりだね、こんな風にケンカするの」

「ああ、いつ以来だろうな」


 ほぼ同じタイミングで、小さく笑う。きっと秋人も昔を思い出しているのだろう。


 懐かしいな。

 そんなことを頭の片隅で感じながら、俺は再び秋人へと近づく。


 殴り、殴られる。顔だけでなく、腹も肩も。


 何発も、何発も。


 ある程度殴り合いを続けると、俺たちは一旦距離をとった。


「……」

「……」


 こんなことをしてなんになるのか。なにが変わるというのか。

 なんの解決にもならない。こうしてケンカしたからといって、事態が好転するわけではない。


 そんなことは、わかっている。きっと秋人も、わかってる。


 これは儀式ぎしき。お互いが、ケジメをつけるための。


 今度はつかみ合いになる。

 相手の胸ぐらをつかみ、引き寄せる。また殴る。床に倒す。倒される。

 まだ3人で遊んでいた時。みゆきがいないときに俺たちは喧嘩けんかすることがたまにあった。

 こうして、殴り、叩きあうことも。


 勝ち負けが決まったことは、一度もなかった。

 別に互いの実力が拮抗きっこうして、引き分けたとかそういうのではない。


 喧嘩は、いつも終わるのだ。


 彼女の一声によって。


「やめてぇ!」


 丁度ちょうど、俺が何度目かわからない秋人の拳を食らって、床に倒れこんだ時だった。


 室内に響き渡る声。鼓膜こまくを直接震わせるような悲鳴にも似た高音。

 殴り合いになってから一体どれだけの時間が経ったのか。


 しかし、いつものように。子どもの時と同じように。

 それは終わりを迎えた。


「もう、やめて。2人とも……」


 消え入りそうな声を出しているのは、みゆきだった。


「みゆき……」

「みーちゃん……」


 彼女にそう言われて、手の止まらない俺たちではなかった。掴んでいた手を互いに放すと、2人してバツが悪そうに視線をそらす。


「どうして……ふたりだけでこんなことしてるのよ……」


 もはや涙声になって、語りかけてくる。


「……ごめん」


 どうしてみゆきがここに? とかいう疑問はあったが、それよりも先に口から出ていたのは謝罪の言葉だった。


「ごめん、みーちゃん……」


 つられるようにして、秋人も同じようなことを言った。


「……」


 ゆっくりと、無言のままこちらへ近づいてくるみゆき。髪に隠れて、表情がよくわからない。ただ、唇をかみしめているのだけは見ることができた。


「……みゆき?」


 ぎゅっ。


 何が起きたのか、一瞬判断がつかなかった。


 身体中に伝わってくる、温かな感触。

 みゆきに抱きしめられているとわかったのはそんな心地よい温かさに気づいてからだった。


「カズくんも、あきちゃんも、もういいよ。私のことはいいから……」


 そんなことを言う彼女の声は少し嗚咽おえつ混じりのように聞こえた。


「だから、喧嘩しないで……」

「……悪かったよ」


 いつもように、頭の上に手を置く。


「……」


 そしてみゆきはおもむろに俺から離れると、秋人の方を向く。


「あきちゃん……ありがとね。私のこと、こんなに心配してくれて」

「みーちゃん……」

「でも、ごめんね。私のせいで、秋ちゃんに迷惑かけることになっちゃって」

「そんなことないよ! みーちゃんが謝る必要なんかない。僕が自分でやったんだ!」

「うん、わかってるよ……わかってる。でも、秋ちゃんがしたのは、ダメなことだよ、やっぱり」


 その言葉を聞くと、秋人は背中を壁につけて、ズルズルと座り込む。


 反対に俺は立ち上がって、彼の方に近づく。


「……ははは、知ってたよ。こんな方法だとみーちゃんは喜ばないって。だから誰にも知られずにやりげるつもりだったんだ」


 自嘲じちょうし、乾いた笑いを浮かべる。


「結局、僕は助けてあげることなんてできないんだね。どんなズルい方法を使ったとしても」

「秋ちゃん……」

「いいよ、みーちゃん。僕はダメだったけど、和真かずまが最後に君を笑顔にしてくれる。昔からそうだったようにね」

「秋人」


 ぼんやりとした笑みを浮かべたまま、秋人はペラペラと話す。


「和真もぼーっとしていないで、早くなんとかしてあげないと。期限は今日なんだから急いだ方が――っ!?」


 秋人がしゃべり終える前に、俺は胸ぐらをつかんでいた。


「……和真?」

「言っておくけどな、秋人。今の俺にはみゆきを助ける力も、方法も、何もないぞ。俺は今、みゆきが抱えている問題の唯一の解決策を水の泡にしたんだよ」


 そう。コイツが言うみたいに、俺にもっとスマートになんとかする方法があるなんていうのは、絵空事だ。俺には、何もない。


「っ、じゃあなんで……わかっているなら、なんで……」


 眼前で、かなしそうな顔をする秋人。今にも泣きだしてしまいそうだ。

 なんだかんだいってコイツも、結構な泣き虫だったからなあ。昔から。


「それはな、秋人。そうすることが今の俺のやるべきことだからだよ」

「やるべきこと……」

「ああ。今の俺は会長から託された『鍵』をきちんと守り通すこと。たとえそれがみゆきの問題と重なっても、俺は自分の任された仕事を全うするだけの力しかない」


 俺ならみゆきを助けられる? いつも俺が助けていた?


 それが事実だったとしても、俺にだって限界はある。

 もう、今までみたいにはいかなくなることだって、出てくるんだ。


「自分で、なんとかしなきゃいけないことだってあるんだよ、もう」


 そう言い放つと、俺はつかんでいた秋人のシャツを離す。

 秋人はよろよろと座り込む。その目には涙が浮かんでいた。


「……そうだね。僕だけが、昔のことにずっととらわれていたのかも。和真がご両親のことを吹っ切ったみたいに……できていなかったんだね」


 みーちゃんに対する気持ちも、きちんと割り切れていればよかったのかもね、と彼は小さく、聞こえないくらいの声で付け加えていた。


 この時。


 久しぶりに見た親友の涙は、記憶の奥底に沈めておこう。


 そう決めた。

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