第32話 思いはぶつかる

 扉を開いた。


 すっかり行き慣れてしまった、訪れることが日常となっていた、生徒会室。


 今日は誰も来るはずのない、開くはずのない、その部屋の扉を。

 俺は開いた。


「……やっぱり、お前か」


 小さくつぶやいて、見つめる。視線の先、薄暗い部屋の中には。


 秋人あきとの姿があった。


「……かず……?」


 目をいてこちらを凝視してくる幼なじみの親友。驚くのも無理はないだろう。今日はここには生徒会の面々は誰も来ないことになっているのだから。


 部屋のすみかがんだ彼の正面には、古びた金庫。


 そして。


 彼の手には、俺たちが何日もかけて血眼ちまなこになって行方をさがしていた『鍵』が握られていた。


 その光景を見て俺は、自分の心が沈んでいくのがわかる。

 無意識に、ため息を吐いてしまう。


「お前じゃなければいい、って思ってたんだけどな」


 だけど実際に目にしてしまうと、もうどうしようもなかった。避けようのない現実が、そこにはあった。


「和真……どうしてここに?」


 最初狼狽うろたえた様子だった秋人は、観念したように冷静さを取り戻し、訊ねてきた。


「昨日、会長からラインが来たよね、今日の活動はないって。だから……今日は帰ったんじゃなかったの?」


 立ち上がり、こちらを向き直ってくる。もちろん、その手にはにぶく光る『鍵』が握られたままだ。


 彼の目は今まで見たこともないようなするどい眼光を放ち、見つめてくる。俺はその視線から目をそらすことなく静かに後ろの扉を閉めて、


「昨日のメッセージは、俺が会長に送ってもらうように頼んだんだ。こうすれば犯人を見つけることができるかもしれない……って言ってな」


 そう。昨日のラインは俺が会長にお願いしたのだ。

 早い話が、おびき寄せるためのわなだ。ガスのチェックなんて、真っ赤なウソ。


 秋人はふ、と小さく笑みをこぼす。


「僕はまんまとだまされた……ってわけなんだ」

「騙していたのは秋人、お前の方だろう」


 俺だけじゃない。会長も、貝塚かいづかさんもだ。


「お前は生徒会の……仲間を騙してたことになるんだぞ?」

「……そうだね」


 そして眼前の真犯人は、テンプレートのようなセリフを吐き出す。


「……いつから、気づいていたの?」

「確信に至ったのはたった今だけど、もしかして、と思ったのは昨日だな。ゆうべ、みゆきと二人で話をした時だ」


 その時だって、明確に証拠をつかんだわけじゃない。言ってしまえばただの勘。彼女の話すお前の行動と言葉に、違和感を覚えたから……というのが一番の理由だ。


「本当は俺だってこんなことをしたくはなかったけどな……親友を試すような真似は。でも今は『鍵』を見つけるためなら、犯人を見つけるためなら。できることは何だってしなくちゃいけない」

「それで会長にお願いしたってことなんだね」

「ああ。この方法なら迷惑をかける人を最小限にすることができるからな」


 事情を一切話していない貝塚さんには、悪いことをしたとは思うが。


「……」

「……」


 俺たちは黙って、じっと互いを見据える。


 先に口を開いたのは、秋人だった。


「そっか……みーちゃんと話してた時に、気づいたんだね」

「ああ、たまたま会ってな」


 秋人はまたも小さく鼻を鳴らして笑うと、


「じゃあそのたまたまがなかったら、和真は知らないまま今日という日を迎えて、過ごしていたんだね」

「……どういうことだ?」


 知らないまま……今日……。


 俺はハッとなる。


「もしかして、みゆきの部活のことか?」


 昨日、みゆきは言っていた。今日が、大会に行くための費用を用意できるタイムリミットだと。


「そうだよ……」


 いつ間にか顔を俯けていた秋人は、聞こえないくらいの声で答える。


「和真……本当は知っていたんだでしょ?」

「……何をだ?」


「とぼけないでよ! みーちゃんが悩んでいた理由だよ!」


 急に声を荒げだして、食ってかかるように叫んでくる。


「みーちゃんから聞いたよ。明石あかしさんが『鍵』を奪うために和真を襲ったこと。だから僕は確信したんだ。和真はきっとみーちゃんの部で今何が起きているのか知っていたんだって!」

「……ああ。知っていたことは、否定しない」


「だったら……」

「秋人?」

「だったら! どうして何とかしてやろうとしなかったのさ! 和真ならできるだろ!?」


 一層声を荒く、大きくして問いめてくる秋人。


「みーちゃんがどれだけ部活をがんばって、どれだけ部員のことを考えている部長で、どれだけ悩んでいたのか、和真知ってるだろ!?」

「……」


 普段の様子からは想像もできない秋人の姿に、俺は何も返すことができない。


 コイツ、こんなに思いつめていたのか……。

 普段の様子からは想像もつかなかった。


「……和真、小さい頃のこと、覚えてる?」


 呼吸を整えると突然、秋人がたずねてきた。


「昔のこと?」

「うん、まだ3人で仲良く一緒に遊んでいた頃のこと。……みーちゃん、泣き虫だったから何かある度によく泣いていたよね」

「ああ……」


 彼の言葉を受けて、幼少の時のことが脳内で再生される。


 あの頃は、3人で遊んでいて。

 公園、誰かの家。河原。いろんな場所で毎日のように集まって。


 みゆきは、よく泣いていた。


 別にみゆきに悲しい思い出が多かったとか、そういうことはなかった。単に、が些細ささいなことで泣いていただけだ。

 犬にえられた。ジュースをこぼした。転んだ。置いてけぼりにされた。

 何かあるとすぐ目じりに涙を浮かべる彼女。


「それが……どうしたっていうんだよ」


 確かに昔は泣き虫だったみゆきも、今ではもう高校生だ。いくら見た目は子どもっぽいままだといっても、昔とは違うのだ。彼女の涙を見ることなんてほとんどなくなった。

 3人で集まって……ということが少なってきた、ということも理由の一つなのかもしれないが。


「和真、泣いていたみーちゃんをよく助けて……泣き止ませてたよね。和真ができること精一杯やって。あの時から……いや、初めて会ったときから」


 昔をなつかしむように、上を見上げる秋人。無論、そこには思い出の欠片かけらなどなく、無機質な白い天井しかない。


「いつだって、あの子を笑顔にしてきたのは和真だった……。笑顔にできたのは和真だけだった……僕じゃできなかった」

「秋人……」

「そんな和真に、僕は憧れていたんだ。僕にはできないことを、やってのける和真の姿に。僕はいつだって後ろから追いかけるだけ、見ているだけだったから」


 だから、と言って秋人はさらに言葉をつむぐ。


「今回も、きっとみーちゃんを最後に笑わせるのは和真だと思っていたんだ。明石さんから部活のことを聞いて、きっとハッピーエンドにしてみせるんだろう、って」


 どこかに想いを馳せて、目を閉じる。そして目を開くと同時に、俺に強い視線を送ってきた。


「でも和真は何もしない。ただただ自分のことをやっているだけ。みーちゃんのことなんか見向きもしない!」

「そ、それは違うぞ。俺だってちゃんと考えてい――」

「だったらどうして何もしないのさ!」


 俺の言葉をさえぎると、大きく足音を立てて近づいてくる。


「みーちゃんが悩んでるのを知ってて、見て見ぬ振りをしてるだけだなんて……そんなの和真じゃない!」


 続けて秋人はまくしたてる。


「だから僕はみーちゃんを助けようとしたんだ! 何もしない和真の代わりに。たとえどんなことをしてでも!」


 言い切った秋人の身体は、わずかに震えていた。

 そそ震えが一体どこから生まれてくるのかは、わからない。


 俺は間を閉じて、彼の言葉を反芻する。

 みゆきをいつも助けていたこと。

 そんな俺に、秋人があこがれていたこと。

 今度は自分がみゆきを助けるために、自分が行動したこと。

 それらを何度も噛み砕き、飲み込み、頭の中へと巡らせる。


 そして、眼前に立つ彼に、言葉を放つ。


「……それだけか?」

「……え?」

「お前の言いたいことはわかったよ。みゆきに何もしてやれていなかったことは、俺が悪かったところでもあると思う。でも……」

「でも……?」

「そのためにお前は、仲間を、会長を、裏切ったんだろ? 何日も嘘をつき続けて。だまし続けて」


 じっと、秋人の顔をにらみつける。


「みんな、お目のことを信用してくれていたんだぞ? だからこそ、力を合わせて、知恵を絞って今回のことを乗り切ろうとしていたのに」

「……」

「俺が『鍵』を無くして落ち込んでいた時に、かけてくれた言葉も、嘘なのかよ」


 ――和真は悪くないよ――


 そう言って、励ましてくれたのも、偽りだったというのか。


「違う……嘘なんかじゃない……」

「だけど現実はどうだ。お前がしようとしていたことがどういうことか、自分でもわかってるんだろ?」

「違う!」


 再び、声を荒げる。


「生徒会のみんなに、会長に嘘をついてきたことは悪いと思ってる。だって、僕にとって生徒会のメンバーは大事な人たちだから」

「だったらなんでこんな真似……」

「それでも! 僕にとってはみーちゃんの方がずっと大切なんだ! たとえ後でどうなっても構わないと思えるくらい、あの子のことが……!」

「……秋人」


 その言葉で、俺は悟ってしまう。嫌でも気づかされてしまう。


 コイツ、そんなにまでみゆきのことを……。

 自分のことはどなってもいいと断言できるくらい、アイツのことを。


 ずっと、好きでいたんだな。


「すまない……」


 どういうわけか、小さな謝罪の言葉が口をついて出てきた。


「でも、お前が今やったことは変わらないし、俺はそれを見逃して、許すなんてできない」


 一歩、彼に近づく。


「わかってる。僕も、和真には許してもらえないってことくらい……わかってる」


 彼もまた一歩、俺に近づく。


 だから――

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