第30話 星を、見ませんか?

「すっかり遅くなっちまった……」


 薄暗い道を歩きながら、ひとりごちる。


 安全に学校を出るためには六時まで生徒会室に籠城していないといけないので、どうしても帰る時間が遅くなってしまう。


「しかも買い物までしてたら、こんな時間になるしなあ」


 右手には、スーパーの袋。本当は帰るのが遅くなる日には買い物はなるべくしたくなかったのだが、いくつか切らしてしまったものがあったのでしょうがなく行くことにした。


「どうするかなあ……」


 頭の中に浮かぶのはひたすら『鍵』のこと。

 明日には現れてくれるといいんだけどなあ。それか、無事『鍵』が見つかるか。


「はあ……」


 自然に出てしまうため息のせいで一層肩が重たくなった気がした。


「今日は手早く作れるものにでもするか」


 どうも精神的に疲れているのか、料理する気があまり起きない。


 明日も早く起きないといけないし。ささっと作ってささっと食べるか。

 脳内で夕食のメニューを考えながら、家への道を進む。


「……ん?」


 家の前まで来ると、誰かが玄関の前に立っていた。


 ……こんな時間に誰だ?


 玄関に明かりがないため、人影があることしかわからない。

 宅配? なにか注文した覚えはないしなあ。それとも、何かの勧誘だろうか。どちらにしろ早く要件を済ませるとしよう。


 近づいて、その姿を確認する。しかしその正体は意外な人物だった。


「……カズくん?」

「みゆき……?」


 思わず目を丸くする。

 どうしてみゆきがこんな時間に?


「カズくん、今帰ってきたんだ。遅かったね」

「ああ、学校帰りに買い物してきたからな」


 言って、手に持ったビニール袋を見せる。


「みゆきはどうしたんだ? もしかしてまた風呂が壊れた……とか?」


 そんなことが間を置かずに二度も起こるとはあまり考えにくいが、一応聞いてみる。


「お風呂……ってふぇええ!? ち、違うよ!」


 慌ただしく高速で右手を振る。しまった。恥ずかしいことを思い出させたようだ。


「わ、悪い悪い。で、どうした?」


 軽く謝罪すると、彼女は落ち着きを取り戻し、


「……えーとね。お母さんに頼まれて、これ持ってきたの」


 そう言って差し出してきたのはタッパーだった。かすかだが、いい匂いが漂ってくる。


「これを、俺に?」

「作りすぎちゃったらしくて、おすそ分けだって」


 はい、と手渡してくるそれを反射的に受け取る。


「なんか……こんな風に料理を持ってきてもらうのって、久しぶりだな」


 前にこうして持ってきてもらったのはいつだっただろうか。

 俺が一人の生活を始めたばかりの頃は料理を持ってきてもらったり、ご飯に呼ばれたこともあったっけ。


「ありがとな。いただくよ」


 手に持ったタッパーは、中身がぎっしり詰まっているのか、重たく感じた。


「おばさんにも、よろしく言っておいてくれ」


 今度何かお返ししないとな。でもあんまり高いモノは用意できないからなあ、我が家の財政的には。


「それじゃあもう暗いし、また明日な」


 少し早足に、俺は言う。明石さんからあの事情を聞いて以来、みゆきにどう接していいか考えてしまうようになった。いつもなら何も考えずに一緒にいるのに。


 と。


「カ、カズくん。ちょっとだけ……いい?」


 俺の袖が、小さな力で引っ張られていた。


「……みゆき?」


 彼女は目線を俺の腹あたりに下げながら、


「もうちょっとだけ……カズくんとお話したくて……」

「……」


 俺は両手に持つ荷物を、玄関の中に置く。


「カズくん……?」


 もう一度外に出ると、すぐ横にある庭へと歩いていく。


「こっちこいよ。話、あるんだろ?」

「う、うん」


 戸惑う彼女を手招きしながら、庭の中を進む。


 僅かに歩いた先には、小さな縁側。窓の外に張り出して設けられたその場所は、夜の闇に紛れて隠れるようにして存在している。


「なんか話あるなら、ここがいいだろ?」

「あ……」


 思い出したような声を出すみゆき。

 小さい頃、三人で夜に並んで座った場所だ。今は俺とみゆきの二人が並ぶ。


「星……きれいだね」


 さっきまで俯いてばかりだったみゆきが空を見上げて言う。決して都会とはいえないこの街では、夜の星々は何にも邪魔されることなく、その輝きを放っている。


「そうだな」


 そして数瞬、静寂が続く。互いに小さな光の粒の世界を見上げたまま。


「あのね、カズくん」


 沈黙を破ったのは、みゆきだった。

 俺はまだ空を見ていたが、みゆきの顔が地面を向くのがなんとなくわかった。


「私たち、全国大会に出られることになったんだ。でも、それが決まったのがあんまり急だったから、大会に行くために必要な部費が用意できない状態なの」


 誰に話すでもなく、独白のように続ける。


「だから最近あんまり元気出なくて、カズくんにも……秋ちゃんにも、心配かけたと思うの」


 ごめんね、と小さく付け加える。


「知ってたよ」

「……え?」


 予想外のことが返ってきたためか、みゆきが驚いてこちらを見る。俺はそちらを向かずに、言葉を紡ぐ。


「一度、明石さんに『鍵』を奪われそうになったことがあってな。その時に今お前が――お前らの部が立たされている状況を知ったんだ」


 そのことがもうずいぶん前のことのように思える。


「……ごめんな。知ってたのに何も言って……してやれなくて」


 ようやく俺は、みゆきの方を向くことができた。

 俺の言葉に、みゆきは虚を突かれたように目を見開くと、


「カ、カズくんが謝ることじゃないよ。カズくんはきちんと自分のお仕事をしようとしているだけだし」


 早口で慌てるみゆき。そして胸の前に両手を置き、一旦落ち着ける。


「だって、これは私の問題だもん。だから、私が自分でなんとかしないといけないことなの」

「みゆき……」

「だから……だから、カズくんには言わないでおこうと思ってたんだけどね。結局ガマンできずに言っちゃったけど」


 彼女は照れ笑いのような小さな笑顔を浮かべたままだ。


「でももう知ってたんだね。……そうだよね。由夏ちゃん、アタシが『鍵』を奪って帰ってくるぞーって言ってたし」

「ああ、危うくやられるところだったよ」


 あの時は本当にダメだと思った。終わりを覚悟したよ。

 だが、コイツは本当にいい友達をもったな。みゆきのために、何かしてやろうと、自分にできることをする部活の仲間を。


 ふと、再び空を見上げると、月が顔をのぞかせていた。今夜は三日月、道理で暗いわけだ。その代わりに、暗闇に散りばめられた砂粒にも見える星たちが、競うようにしてチカチカと瞬いている。


「……秋人は、知っているのか?」


 俺は、もうひとりの幼なじみの名前を出す。あいつもかなり、みゆきのことを心配していた。


「秋ちゃん……? うん、この前のお休みの時にたまたま会って、うっかり話しちゃったよ」


 正直、秋人が既にこのことを知っていたのに驚いた。知ったら絶対俺に何か話をしにくると思っていたのに。


「……アイツは、なんて?」


 きっとさぞかし驚いて、戸惑ったのだろう。そんな秋人の様子が手に取るように脳内で再生される。


「うん、すごいビックリしてた」

「だろうな」


 予想通りの答えが返ってきて、思わず笑ってしまう。

 みゆきもつられたのか、口元に手を当てて笑う。


「それで、秋ちゃんにも言ったんだけど、明日までなんだよね」

「何が?」

「明日までに全国大会の遠征費を用意できないと、今回の大会は参加見送り、つまり欠場ってことになるの」

「……」

「そ、そんな悲しい顔しないでよ。元々私たちが出れたわけじゃなかったんだし、これも運命ってやつなんだよ」


 そんなに悲しそうな顔をしてしまっていたのか。思わず自分の頬に手を触れる。

 戸惑う俺とは対極的に、みゆきの表情は穏やかだ。


「そりゃ残念だとは思うけど、私たちにはまだ来年があるんだもん。それに向けて、またがんばっていけばいいし」


 月と星が照らす彼女の顔を見て、俺は寂寥にも似た感情を抱いていた。

 できることならここで『鍵』を渡して、これを使えと、これで大会に行ってこいと、背中を押してやりたかった。


 だけど、今俺の手には『鍵』はない。どこにあるのか、誰が持っているのか、わからない。

 大体、明石さんに一度狙われた時、俺は決めているのだ。私情に流されて『鍵』を渡したりしないと。会長から任された仕事を中途半端に投げ出したりしないと。


 その決心を、コイツの――みゆきのこんな顔を見たからといって簡単に変えたりしていいものではない。それは、約束を守れないのと、同じこと。


「ごめんな」


 気づけば口からは謝罪の言葉が漏れ出ていた。


「だからカズくんが謝ることなんてないってば。カズくんにはカズくんのお仕事、大切なことがあるでしょ?」


 言って、また笑う。俺にはその表情がどうしても淋しそうに見えてしまう。


「私だってもう高校2年生なんだよ? ちゃんと割り切れるよ。2人には、励ましてもらうだけで充分だよ」

「励まし……?」

「うん。秋ちゃんに会ってこの話をしちゃった時にね、秋ちゃんね、大丈夫、きっとなんとかなるよ、って励ましてくれたもん」


 それに、と彼女は続けて、


「さっきだってラインで『元気出して、明日にはきっといいことだってあるよ』ってくれたし」


 ポケットから携帯を取り出すと、絵文字ひとつないシンプルな文面が映し出された画面を見せてくる。秋人らしいといえば秋人らしい。


「これを……秋人が?」

「秋ちゃんも2年生になって、大人っぽくなったのかな。昔は私が泣き出すとすごくおろおろしてたのにね」


 まるで小さい子どもを見るかのような目と口で、昔のことをみゆきは語る。


 つられて、俺も幼少の時期を思い出す。

 泣き虫だった(今もだと思うが)みゆき。彼女が涙を見せるたびに、俺が手を引っ張って家まで連れて行った。その後ろを心配そうな顔で秋人がついてくる。それがいつもの構図だった。


「だから、私はそれでいいんだよ。こんなにも私のことを考えてくれる人が二人もいるんだから」

「みゆき……」


 そんな風に言う彼女に、俺は言葉を詰まらせる。


 そして気づかされる。


 俺は今、この子にしてあげられることは、何もない。

 ただ、見ていることしかできないのだ。


「あ、もうこんなに時間経っちゃってる! 早く帰らないとお母さんに怒られちゃう」


 携帯の時計で時刻を確認して、慌て出す。2人とも縁側から立って、再び玄関のところまでやってくる。


「送っていこうか?」

「ううん、大丈夫だよ。すぐ近くなんだし」


 俺の提案を、やんわりと断る彼女。


「そっか。料理、ありがとな。タッパーは今度返すよ」

「りょーかいっ。じゃあまた明日、ね」


 軽く手を振る。


 みゆきは小さく手を振りかえしてくると、これまた小さな笑みを向けて、ここよりさらに薄暗い道路へと去っていった。


「……」


 彼女の姿が闇に溶けていくのを見送ると、家の中へと入った。


 ただ、俺の中にはなんとなく喉に何かがつっかえているような感触があった。

 その理由も、ほとんどわかっていたが。



 その日、晩飯を食べたあと。生徒会のライングループにメッセージが届いた。


 発信者は会長。

 内容は――


『給湯室のガスのチェックのため、明日の活動は急きょ中止となった。

 特に理由のない場合は、速やかに帰宅すること』

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