第17話 再来!剣道少女!

 のんびりしたい。


 昨日、俺が望んでいたそんな思いはあっけなく打ち砕かれた。


 放課後になり、すっかり行き慣れてしまった生徒会室に赴くと、


「昨日君が作った校外学習の書類、先生にハンコを押してもらわないといけないから持って行ってくれないか」


 早速会長に外に出る仕事を言いつけられてしまった。……まあ書類も会計関係のものなので、俺がやらないといけないという理屈は百も承知だけども。


「これ、俺が行かないとダメか?」


 わかっていても、つい聞いてしまう。


「なにを言っている。紛れもなく君の仕事だからな。……あ、外に出るついでにこれもコピーしてきてくれないか?」

「俺に頼むなよ!」


 頼むから、外にいる時間を増やさないでくれ。俺が外に出ると他のどんな仕事よりも大変なことになるんだよ!


 まあ、そんなわけで。


 俺は安穏の地を離れ、外に出なければならなくなった。


「行ってくるわ……」

「うむ。君なら大丈夫だ!」と会長。

「和真、気をつけてね」と秋人。

「とりあえず汗まみれで帰ってこないでください」と書記の貝塚さん。


 三者三様の励まし(だと信じたい)を受け、俺は生徒会室から出ることにした。

 書類の入ったファイルを握りしめ(結局会長のお使いも受けてしまった)、ゆっくりと扉を開く。


 まずは、首だけを廊下に出し、外をチェック。


 ……とりあえず、誰もいないようだ。

 かといって、安心してはいけない。昨日はそんな油断をつかれて、柔道部の奴らに追い回されることになったのだから。


 周りに気を張りながら、素早く外に出る。

 そして、一気に廊下を進む。


 言うまでもなく、移動時間――つまり外に出ている時間が短ければ襲撃される可能性も低くなる。

 俺は姿勢を低くし、音を立てず、走る。なんだか伊賀の末裔か陸上の選手にでもなった気分だな。


「!」


 そんなことを考えていると突然、近くの教室から女子生徒が二人、姿を現した。


 まさか……待ち伏せか!?

 俺は素早く身構え、そんな事態でも対処できるようにする。


「……な、何この人……」


 ところが女子生徒たちは、俺を憐れむような、俺に怯えるような目線を送ってきた。


「い、行こうユミ」

「うん……そうだね」


 気味悪そうな声を出して、ふたりはそそくさとこの場を離れていく。小走りに去っていく彼女らの方からは、


「へ、変な人だったね」

「うん、気持ち悪かった……忘れよう」


 なんて会話が聞こえてきた。


「き、気持ち悪い、か……」


 いくら自分の身を守るためにやっていたとはいえ、あんな風に見られ言われるとさすがにへこむ。そんなことをされて喜ぶ性癖など俺は持ち合わせていない。


 ……みゆきにも、見られたらあんなこと言われるかな。

 なんてことをついつい考えてしまう。いや、アイツならわかってくれるだろう、きっと。長年の付き合いなんだし。


 などと。


 余計なことを考えていたのが、仇になったのだと。俺は直後に後悔した。


「……見つけたぞ?」

「!」


 背後からかけられたその声に、全身を強張らせる。


 その声が聞き覚えのあるものだったおかげで、俺は自分が次にとるべき行動を即座に判断、実行することができた。

 瞬時に一歩前へ出て、間合いをとる。姿勢を低くしていたのが功を奏したようだ。


 首だけ声がした方に―――後ろに向けると、俺が一瞬前までいた場所には竹刀が空を切っていた。


「ちっ……」


 襲撃者は舌打ちしながら、振り切った竹刀を肩に乗せる。


 俺をたった今襲ってきたのは、先日の剣道部と思しき女の子だ。

 今回はこの前とは違って、防具などを一切着用せずに胴着だけを着ていた。そのおかげで、顔もばっちり見える。


 ポニーテールにまとめられた亜麻色の髪。切れ長の目で、気の強そうな顔つきをしている。どちらも前には見ることのできなかったものだ。


「この前は失敗したが、今度こそ『鍵』をいただくぞ」


 そう宣言すると、剣道少女は何かを投げてきた。


「おっ……と」


 咄嗟に飛んできたそれをつかむ。

 柔らかくも、芯のある感触。土にも似た色の、竹でできた細長い棒状のもの。


 それは、彼女が持っているのと同じ、竹刀だった。


「これは……?」

「前回は一方的に奪おうとしすぎた。私の早とちりをしていたしな。だから今回は正々堂々勝利して奪うことにしたのだ。これならばお前も奪われても悔いはないだろう」


 今日も不意打ちする気満々だったじゃねえか。さっきのはなんださっきのは。

 俺が送る半眼の視線を気にすることなく、彼女は続ける。


「それに、名乗らずに敵に相対するのは武人にあらず。私の名前は古手川こてがわ千佳ちか。剣道部の部長だ」

「ご丁寧にどうも」


 俺が返すと、古手川さんは竹刀を構えた。


「お前も構えろ。……勝負だ。そして、勝って『鍵』を奪う」


 ピタリと止まったその切っ先からは、気合のようなものがじりじりと伝わってくる。思わず気圧されてしまう。


 間合いを一歩、詰めてくる。


 対して、俺は一歩、後ずさりする。


 …………。

 正々堂々……か。

 一応、勝負をして勝って『鍵』をいただいていこうということで、筋を通すつもりらしい。真面目なんだかどうだか。

 薄紅色の細い唇を真一文字に引き結び、相対してくる。


 勝負ね……。

 ならば。

 やることはひとつだ。

 俺は手に持った竹刀を。


 床に置いた。そして。


 振り返って一気に走り出した。


「っ! お前、逃げるのか!」


 俺の行動に一瞬驚き身を固まらせつつも、古手川さんは目を剥いて俺を追ってきた。


「気持ちはありがたいが受け取れるか!」

「この軟弱者め! 待て!」


 後ろから罵声が飛んでくる。

 そんなこと言ったって、剣道部対素人だぞ!? どうやったら剣道で勝負して勝てるんだよ! たとえ相手が女の子でもこれは無理だろ!


 軟弱者? ヘタレ? ははは、何とでも言うがいいさ。俺は今やらなければならないことをするんだよ。


 手元に視線を落とす。書類の入ったファイル。

 これを持って無事職員室までたどり着く。それが俺の今の最優先事項だ。


「待たんかああ!」


 防具をつけていないからだろう、澄んだ声がしっかりと伝わってくる。そして以前と比べてスピードが速い。このままでは追い付かれてしまう。


 ……くそっ。

 何日も連続で追い回されて、なんだか犯罪者にでもなってしまったような気分だ。俺は何も悪いことしてないのに。

 生徒の姿がまったくない校舎内をひたすら進む。人がそれなりにいたらかいくぐって目を眩ませることもできたんだが、それは無理そうだ。


 階段を下り、角を曲がる。足に疲労を感じ始め、どうやって逃げ切ろうかと思案していたところで、


「こっちっす!」


 慌てて急ブレーキをかけて首を回す。見れば、教室の扉から見知った顔がこっちをのぞいていた。……確かみゆきの友達の……。


「あ、明石さん?」

「この中に入るっす!」


 よくわからないが、教室に隠れられるのはチャンスだ。今なら古手川さんの目に俺の姿は映っていない。


 ガラララ!


 俺が教室に身体を滑り込ませたと同時、明石さんは扉を閉めた。そしてカチッと施錠した。


「おのれ……見失ったか……」


 扉のすりガラスに映るシルエットと、悔しそうな声。古手川さんの黒い影はゆらゆらと揺れたあと、どこかへ行ったようで消えてなくなった。


「ふう……」


 まさに危機一髪だった。あのままだったら下手すれば捕まっていたかもしれない。


「ありがとう。助かったよ」

「いいってことっすよ。他ならぬみゆきの幼なじみっすから」


 ぱあっ、と周りが明るくなるような笑みを浮かべる。その拍子にゆらゆら揺れるツインテールは、まるで動物の尻尾のようだ。


「それで申し訳ないけど、もうちょっとここにいさせてくれ」


 そう告げて、教室と廊下を隔てる扉に耳を当てる。

 まだしばらくは古手川さんも俺を探して近くをウロウロしているに違いない。ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって一気にここから出て目的地に向かうしかあるまい。


 それにしても地獄に仏、とはまさにこのことだろう。みゆきはいい友達をもったものだ。



 ……十分くらい経っただろうか。


 俺は教室の扉に耳を当てる。近くに足音はない。どうやら大丈夫そうだ。


「それじゃあ明石さん、本当にありがとう」


 もう一度助けてくれたお礼を言って、俺は教室の鍵を開けようとする。

 しかし、よく教室が開いていたな。放課後になれば、基本的にすべての教室は施錠されるというのに。

 例外といえば、部活動で使う部屋くらいだ。この部屋はどこかの部活動が使うのだろうか。


 …………部活?


「!?」


 気づいた時には、遅かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る