第6話 頼まれると断りづらいのは世の常

 唐突だが、俺は眠る時、部屋の明かりを全て消す派だ。真っ暗な部屋の、宙に浮いたような感覚が好きなのだ。

 周囲に自分の身体しかない暗闇の中での旅。世界には、自分しかいない。どこへでも行けそうな気分になる。


 しかし拠り所となる光が一つも存在しない空間では、頭の中にはどうしても色んなことが浮かんでは消えてしまう。

 そんな部屋の中、ベッドの上に、俺は仰向けで寝転んでいた。目を閉じれば、脳内でちかちかと明滅する記憶。最近の自分の周りで起こった出来事。二年生になったこと。ひったくりを捕まえたこと。


 そして、今日の放課後の出来事――会計になってくれと頼まれたこと。



「お断りします」


 俺はきっぱりと、そう告げた。

 舞台は教室を移して中庭。落ち着いて話をしようということで、俺と秋人、そして女の子の三人でここまでやってきた。さすがにあれだけ注目を浴びてしまっては教室には残っていられない。原因は十割十分十厘、突然現れた女の子のせいなのだが。

 そこで俺は、断りの返事をする。


「むむむ……、断られてしまった。どうしよう副会長」


 勧誘してきた張本人である女の子はあごに手を当てると口をへの字に曲げ、秋人へと話を振る。


「だから昨日ラインで伝えたじゃないですか。和真に頼んでもきっと断られますよ、って」


 まったくこの人は……と漏らして、秋人がため息をつく。


「しかし、実際に頼んでみないとわからないじゃないか」

「それなら勧誘するって先に言っておいてくださいよ」

「あの……」


 俺は二人の会話にそろそろと割って入る。


「とりあえず秋人、この人って誰なんだ?」


 一応聞いてみる。まあ、二人の会話でなんとなく察しはついているのだが。


「ああ、ごめん。そうだね、この人は……」

「待て待て、自分のことくらい自分で紹介するとも」


 彼女は秋人を制すと、俺の前に出る。


「申し遅れたな。私はこの四月から生徒会長になった、二年三組、国分寺こくぶんじ香穂かほだ」


 国分寺さんこと生徒会長は自分の胸に手を当てて自己紹介する。


「ああ、やっぱり……」


 昨日、秋人と歩いているのを見たし、生徒会絡みの人なのではないかとは思っていた。それによくよく思い出してみれば、四月の生徒会長選挙で見た覚えがある。今の今まで忘れてたけど。

 あ、三組っていえば、みゆきと同じクラスか。


「よろしくな。大倉和真君」

「ああ、どうも……」


 右手が出てきたので、条件反射で俺も手を差し出し、握手を交わす。彼女はにこやかに笑うと、うれしそうに握った手をぶんぶんと振った。


「ってなんで俺の名前を知ってるんだ?」


 最初に話しかけてきた時もいきなりフルネームで呼ばれたし。


「ああ、聞けば君は副会長と仲が良いらしいじゃないか。幼なじみなんだろう? 彼からよく話は聞いているよ」


 俺が半眼で秋人を睨むと、彼は苦笑いを浮かべて視線を泳がせる。

 もしかしてこの状況の原因の一端はお前にあるんじゃないのか?

 会長は俺の顔を見据えると、もう一度頼んできた。


「改めてお願いする。私たちの生徒会の会計になってはくれないか?」

「そう言われても……そもそもなんで俺なんです?」


 俺は訊ねる。いくら秋人から話を聞いたことがあるとはいえ、面識のない生徒会長がいきなり俺を会計に指名する理由がわからない。

 しかし俺の心境とは裏腹に、会長は自信満々に答える。


「うむ、それはだな。君の勇ましい姿を見たからだな」

「はあ」


 勇ましい姿? なんのことだ? そんな風に見られるようなこと、今までにやった覚えはないのだが。


「会長は、昨日のひったくり事件のことを言っているんだよ」


 ああ、昨日のあれか。確かにけっこう豪快な捕まえ方をしたけど、それと会計、どこに接点があるのだろうか。


「それがどうしたっていうんです?」

「あの姿を見て、私は君しかいない、と思ったんだよ」

「だからそれと会計がどういう……」


 関係があるんだ? と聞こうとしたところで、俺の質問は遮られた。彼女が再び俺の手を握ってきたからだ。それも両手で包み込むような形で。


「人のものを、お金を盗んだ罪人を許すまじとして、勇敢にも追いかけていった様、素晴らしい! 気に入った!」

「ちょ……」

「その姿勢、そしてそれを実行できる強靭な身体。君こそ会計にぴったりな人材だと確信したのだよ!」


 一気にまくしたてる会長。その目は期待に満ち、まるで宝石がそのまま詰まっているかのような美しさだ。


「褒めてもらえるのはうれしいですけど、俺は会計なんてするつもりは……」


 ない、と言おうとしたところでまたしても俺の言葉は強制的に中断させられる。


「我々の生徒会は今、会計だけがいなくて困っているんだ。どうか力を貸してはくれないか?」


 ぐいぐいっ!

 あまりの勢いに俺は思わずのけ反ってしまう。


 ちょっと! 顔が近いって!

 さらに、握る手に力が込められる。痛い、痛いってば。


「あの時垣間見た、君の正義感の強さ、誠実さにビビッときたんだ。私の目にきっと狂いはない!」


 言って、会長はにこりと笑う。


「そう言われても……」


 至近距離にある生徒会長の顔を見ないようにしながら、言葉を濁す。

 大体、会計をやって俺にこれといったメリットがないしなあ。


「ふむ……」


 渋る俺から手を離し、考え込む生徒会長。

 すると、何か妙案を思いついたのか柏手を打って、俺に耳打ちする。


「ここだけの話、会計になれば内申点が上がるぞ?」

「!」


 ……なんだって?


 その言葉に、俺は一瞬揺り動かされた。


「内申点が上がれば、推薦で大学入試を受けられるかもしれんぞ?」

「くっ……」

「推薦をもらえれば、奨学金の申請もいち早く通る可能性が増えるぞ?」

「……」


 この人が俺の家庭事情を知っていてこの話を持ち出してきた、なんてことはないだろう。いくら秋人でも、そこまで話したりしてはいないはずだ。

 だがお金のない俺にとって、推薦・奨学金は必須なのは間違いなかった。そのために、入学当初から勉強については結構努力したし、学年でも上位の成績を収めるまでに至った。


 ……確かにその提案は魅力的だ。会計になったからといって確実に推薦や奨学金が決まるわけがないのは重々承知だが、可能性が少しでも上がるのは否めない。

 考え込んでいると、会長が先ほどまでとは違う、凛々しい顔つきで見てくる。


「さっきの話はあくまでオマケのようなものだ。君の誠実な姿を見て、会計をやってほしいと思ったのも真実なのだ」


 そして彼女は静かに、頭を下げてきた。


「もう一度だけお願いする。会計に、なってはくれないか?」


 その頼みに対して。俺は。


「じゃあ……」

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