ヨウキ・ワイの世界
@yayanehi
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人間の悪意を模る、というテーマの美術展だった。
展示室の最奥に、卵の殻を割ったようなかたちをした、真っ白い、漆喰のカマクラが鎮座していた。無機質な白に、要は羊季のスマートフォンを思い出す。きれいに手入れされた指先。ざらりとした質感の、なんとなくお洒落なスマートフォンケース。
覗きこめば、黒く蠢く、砂のような何かが停留しているそれは、それは寄せ集まった虫にも、砂鉄にもみえて、なるほどえもいわれぬ気配を備えている。目を離せずに見つめていると、それは視線の舐めたあとを辿るようにみっしりと生えそろう。そのさまは、ちいさな無数の手を思わせた。さらに覗きこめば、そこでは、出来損なった人間のような、得体の知れない群体が絡み合っている。どのような技術を用いたものか、そのように見えるだけなのか、要にはさっぱりわからない。自分はおかしくなってしまったのだろうか。
卵のなかはまっさらなキャンバスのようで、それは、荒廃した白い大地だった。ねばねばとした、小学校のころ、何かの動画でみた、流れ出した石油のような、……あるいは砂鉄めいたそれは、絡み合い、生き物のように、広がる。
これは美術展の中でも最新の、この展覧会では目玉ともいえる作品であるらしい。悪意、と言われても、中学生の要にはわからないし、とにかく悪いものらしい、という理解のみで、とにかくぴんとこない。凝視するうち、黒い粘体はどんどん増えて、広がる。広がる。こんなに増えてよいのだろうか、そう不安になりかけたとき、粘体は、突如、ぱちんと弾けた。消える。いくつかの叫びをきいた。
白が広がる。焼け野原。
真っ白いなかにまだらに散った黒い痕跡は、ふたたび細くより集まり、漆喰の大地を、まだらの網をかけたように覆う。この卵の中では同じことがずっと繰り返されているのだ。ぞわりと意識が震撼したときには、タールはまた増えている。ぱちん、ぱちん。
なにか、いけないことが起こっている。とてもいけないことに加担している。目を離すのは簡単な筈なのに、どういうわけか視線を外せない。戸惑いながら、「羊季のスマートフォンケースみたいな」白いキャンバスを、「悪意」が増え、覆い、そして消えて、また増えるさまを凝視する。くりかえし、くりかえし。恐ろしい夢のようだった。
どれだけの時間が過ぎたのだろう。
ふいに人混みにごったがえす会場の喧騒が戻ってきた。
思考に廃泥がこびりつくような違和感。美術展の「目玉」が展示された空間から、要は小走りに逃げ出した。膝や爪先に大人の足をいくつか引っかけた。かるい怒声がきこえる。
なぜ、こんなつまらないものを見に来てしまったのだろう。いやだと言ったのに。
後悔しかない。人込みから離れた場所まで退避して、早く待ち合わせ場所に行こう、そう決める。ほうほうのていで辿り着いた待ち合わせスペースには、誰もいなかった。
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