奇妙な同居人

 若い女は、肩を震わせ、泣き続けている。試しに、腕を伸ばして女の肩に触れようとしたが、手は空を切った。まるで、映像のように、女の姿が映し出されているみたいだ。

 なるほど。これが幽霊という奴なのか。ホラー作品は見た事があるが、現実には、初お目見えだ。もはや、これは信じる他にない。実際に、自分の目で、目の当たりにしているのだから、疑いようがない。俺の頭が可笑しくなってしまった線も捨てがたいが、そちらの方が信じたくない。

「どうして、俺を追い出したいんだ? 前にも言ったが、この部屋は今は俺が契約者で、入居者だ。あんたは、以前ここに住んでいたかもしれないけど、もうあんたの部屋じゃないんだ」

「そんな事は、分かってるよ。だって私、死んじゃったから。でも、出て行き方が分からないの。それに・・・ここに住んだ人は、二人も死んじゃったから・・・だから、出て行って欲しかったの!」

「そこで首を吊ったのは、あんたか?」

「・・・うん」

 リビングと寝室を繋ぐ扉を指差した。なるほど、概ね理解した。そして、全ての点が繋がった。最初に、首吊り自殺をしたのが、この女だ。その後、この女を目撃した二人が、死亡した。心臓発作と、溺死だ。俺も溺れかかったし、突然女が現れたら心臓にも悪いだろう。特に持病を抱えていたら、尚更だ。二人の死を目の当たりにした女が、俺にしたように、その後の二人を追い出した。しかし、俺は思い通りにいかず、泣きじゃくっている始末だ。つまり、この女は―――

 最初の二人は、自分のせいで死んだと思っているという事だ。

 自分という存在が、人間を二人も殺めてしまった。

 結果的には、そうかもしれないが、それは不幸な事故だ。しかし、その罪悪感に、苛まれているのだろう。だから、その後の二人を自分から離し、逃がそうとしたのだ。

 死んで欲しくないから・・・殺したくないから。

 しかし、その行いこそが、このマンションの一角に、『いわく』をつけてしまい、俺みたいな値段重視の人間を呼び寄せてしまっている。

 まさに、負のスパイラルだ。

 この目の前で小さくなって、泣いている透けた女は、悪い人間ではないのだろう。もとい、悪い幽霊ではないのだろう。

「あんたは、どうして、自殺したんだ?」

「・・・ないで」

 あまりにもか細い声に、はっきりとは聞こえなかった。察するに、『そんな事、聞かないで』と言ったのだろうか? 確かに、デリケートな部分を大人げなく、ただの好奇心で、聞いてしまった。

「すまない。言いたくなければ、言わなくて良い」

「違う! 『あんたって、言わないで』って、言ったの!」

「ごめんなさい」

 娘、と言うと無理があるかもしれないが、それほどまでに年の離れた女に怒られて、反射的に謝ってしまった。

「じゃ、じゃあ、何と呼べば・・・」

「私の名前は、『ヒロ』って言うの。『ヒロ』って呼んで。あんたは、嫌」

 大きく咳払いをする。女性の名前を呼び捨てにする事に、抵抗がある。元嫁さんですら、数年名前で呼んでいなかった事を思い出した。とてつもなく、照れくさい。もう一度、咳払いをした。

「ヒ、ヒロは、どうして、自殺なんか・・・」

「彼氏にフラれたの・・・ここで、同棲してたんだけど、急に帰って来なくなって・・・そしたら、『新しい彼女が出来たから、別れよう』って、一方的にメールが来て、それから連絡が取れなくなって・・・気が付いたら、こうなってた。自分の死体を茫然と眺めてた。そしたら、急に寂しくなって・・・ここにきた人達と話したくなって・・・そしたら、死んじゃって・・・もう、どうしたら、良いのか分からなくなって・・・」

 ヒロは、また泣き出してしまった。おいおい、『泣くなよ』と呆れていたら、頬に違和感を覚えた。頬に触れてみたら、何故だか濡れていた。

 一人ぼっちって、寂しいよな。

「どうして、おじさんが泣いてるの?」

「・・・おじさんって言うな」

「じゃあ、何て呼べば良いの? 名前は?」

「道夫だ。有川道夫」

 体をこちらに向けたヒロが、腫らした赤い目を緩やかに細めた。

「じゃあ、みっちゃんだ」

 初めて見たヒロの笑顔は、霞がかった視界を、サッと振り払うような、とても鮮やかなものだった。年甲斐もなく不甲斐ないが、ドキドキしてしまった。

「ヒロは、ここからの出て行き方が分からない。俺は、出て行く気がない。利害の一致として・・・」

 痒くもないのに、後頭部に爪を立てて、顔を背けた。

「一緒に暮らしていけば、良いじゃないか?」

「ほんと!? 良いの!? ほんとに!?」

「ああ、こんなおっさんで、良けりゃあな」

 拒否しておいて、自虐的に言った後、チラリとヒロを見る。その瞬間に、ヒロが飛びついてきて驚いた―――が、ヒロは俺をすり抜けて、床に倒れこんだ。

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