第25話 お墓参り
「ここまでくると旅行記というよりも、資料展の展示物目録みたいになるから、おいとましようか」と朝美ちゃんが言うので、我々はお礼を言って住家を後にする事にした。
目の前には小田地区の広大な田んぼが広がっている。
庄屋の家からみた雄大な景色である。
そこを下り、先ほどの丁字路を今度は右へ進むとY字に分岐がある。右は金栗四三のお墓。左は用水池とある。
「じゃあどっちから先に行く?」
「そりゃお墓だよ」
そういって右側の坂道を駆けていく。
スカートを翻して颯爽と進んでいく彼女。
30m走ってすぐにへたばった。
「ここ…けっこっj…坂…きつ…」
ぜえぜえと肩で息をしている。弱。
おばあちゃんの介護をするように肩を貸して歩くと、古墳のようなまるい丘のてっぺんが見えてきた。
「あ、あの丘にお墓があると思うよ」と朝美ちゃんが言う。
てっきり、右側にある屋根付きのお墓だとおもったのだが、お墓がどこにあるのか知っていたのようだ。
「ツイッターの写真でね。お墓はみたことがあるんだ」
そういうと緑の芝生とドラマの旗で彩られた丘を上っていく。
「ここにね、ドラマ館で言ってた池部幾江さんが眠ってるんだけど…」ドラマでは存命の彼女だが、おそらくその死は語られないだろうという。
なので有志による調査班がここの墓碑で彼女が1941年に亡くなっていた事を報告してくれたらしい。
丘の頂上に着くと黒い石碑に金の文字で「体力 気力 努力」とほられている。
平成7年(1995年)に11月に金栗さんの親戚一同で建立したものとある。
長男の池部正明さんという方を筆頭に12名の名が掘られている。(名前はドラマのガイドブックにも掲載されており、ご本人も鬼籍にあるので掲載した)
その裏に「池部家之墓」と灰色の立派な墓がある。
「あー、やっぱり正式な名字は池部なんだねー」
とりあえず、両手を合わせてお墓にお参りする。
お墓の横には、中で眠っている方々の名前が刻まれており、その横に昭和16年8月6日 イクエ 80歳とある。
右隣には明治25年に池部龍太郎 39歳、右となりには大正1年8月14日 池部重之 25歳とある。
「この龍太郎さんが旦那さんで、重之さんが息子さんだったんだろうね」
ドラマ館の福引きで貰ったクリアファイルの年表だと金栗四三さんが明治24年(1891年)の生まれで大正1年には21歳である。
ということはイクエさんが28歳、龍太郎さん37歳の時の時の子供だ。
そして30歳の妻と2歳の息子を残して龍太郎は亡くなり、一人で息子さんを26年間育ててきたのだろう。
「それなのに、息子さんも死んでしまうなんて悲しかっただろうね」
「そうだね」
ドラマでは重之さんはスヤさんと結婚した事になっているが史実では少し違い、息子さんが亡くなられた後、池部家という家を絶やさないように婿と嫁を養子に迎えて家をつがせたようだ。
「ちなみに軍人の山本五十六さんも高野五十六から山本家の養子になった人だし、昔は血縁よりも家名を重んじる風習があったみたいなんだよね」
「そういえば四三も五十六も生まれた時の父親の年でついた名前なんだね」
当時の世相がよくわかる話である。
余談だが池部龍太郎さんの隣は三宅重人という名が書かれている。
三宅家はどこかで家名が絶えたのかもしれない。または明治に改姓したのだろうか?
ツイッターで相談したら「明治時代には改姓する人も結構いた」という。
だとすれば先祖代々の姓を捨てて池部とした意味があるはずだ。ここは小田という土地だが小字が池部だったのだろうか…?
歴史研究会で地名でみる別府という本を出した人間としては気になる。
「もしかして、この土地は用水池のある重要な土地だから、池に属する家で池部としたんじゃないかな?」
うーん。筋は通っているけど「もののべ」のように「部」を付けるのは飛鳥時代の主流だった気がする。
土地ではなく、祖先とか別の由来がありそうだが歴史を知らないとわからないかもしれない。
なおスヤさんとイクエさんは24年間同じ家で暮らした事になるのだが、実の親子のように仲が良かったのだという。
あと、お墓では池部四三になってた。
「君…かなくりくんじゃないの?」と聞かれるシーンがあってねー。みんな(ネット経由)で爆笑したものだよ」
おばあちゃん。それさっきもドラマ館で聞いたよ。
よほどおもしろかったのだろう。
嘉納さんも凄くかわいいみたいだし何としても見たい。
ちなみに近所の方の話だと、池部幾江さんから「あんたは金栗の名が有名だから無理に池部の名を使わなくて良い」と許可をもらっていたらしい。
それでも池部の名は日本全国にとどろいたのだから彼女の願いは叶えられた事になるのだろう。
だから私も『家名を残したい』という故人の遺志を尊重して、ネットの世界に名前を落とし込んでみようと思う。
あなた方の願いは2019年に池部という家を日本全国の人が知るという形で残りましたよ。
「こりゃ、やりすぎばい」と天国で苦笑しているかもしれないが。
自分たちの子供は死んだとしても、家名を残すというのは戦国時代でも共通する願いだが
「これから先はそんな意識のこるかなぁ」と朝美ちゃんが言う。
先祖の残した血脈は「低収入」という壁の前に消える。
そんな一族もこれからたくさんでるだろう。
そんな暗い未来を思い描いていたが
「まあ、戦国大名として立派な家だった大友家も龍造寺も島津義久も、直系の子孫は全滅したし、子沢山で栄えた家も戦争によってはみんな滅亡したりすることだって珍しくないよ。子供が残せても台無しになることだってあるし、ダメだったらそれはそれでしょうがないよ」と達観したような事を言う朝美ちゃん。
森田療法の「終わりがどうであれ、自分のしてきた事は無駄では無い」という自己肯定の精神らしい。「うつヌケって本に書いてた、大好きな考え方なんだ―」という。
後でその本を読んでみたら微妙に言葉は違っていたが言いたい事は分かった。
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