第24話 金栗四三資料館(元2つの蔵だった場所)
住家は座敷に上がるのは禁止だった。庭にまわると、国から官位を受けた書状「池部四三 従五位」とかご本人の写真、着物、スヤさんが99歳の時に扇子に書いた文書などが見える。
これらは日に焼けても良いようにレプリカを展示してるのだそうだが、それでも貴重なものだろう。
まあ時間は有限だ。写真に収めて帰ってからじっくり見る事にする。
こんどは左側の離れに行く。
するとその途中で
「ちなみにこれが冷水浴で使用した手押しポンプでございます」
「え?あれ、本当にやってたの?」
金栗さんは健康のため朝に冷水浴をするのが日課だったらしい。
隣の資料館は上がって見ることが可能だった。
元々は離れの住処だったここは、窓から入る。
六畳の部屋が二つ。部屋の中央にガラスケースの展示台がおかれ、ゆかりの品が三つおかれている。
2つは年季の入った本である
一冊目、左端の本はインタビューでまとめられた自伝的本、走れ25万キロの初版本がある。熊本国体の聖火をつけた壮年の金栗さんが写っている。
そのとなりには、大正13年3月1日発行の、教師時代に書かれた体育について書かれた本。「小学校のに於ける 競技と其の指導法 現代教育 主要問題草書」とある。
「これは日本に3冊しかないらしいそうです」とガイドさんは言う。
その隣には体力 気力 努力 昭和五十八年十月十五日 国際マラソンの日と書かれた書だ。
藍色の羅紗布の上に大事に陳列されている。
そのケースの向こう側には左2枚、右3枚、写真が並んでいた。
右上はアントワープ大会に向かう五人が日の丸のゼッケンをつけて座っている。真ん中が金栗さんだ。
「あれ?なんかパーマがかかっているね」と朝美ちゃんが言う。
「はい、先生は元々天然パーマだったようでして、髪が伸びると感じが変わられたようです」とガイドさんが説明する。坊主頭のドラマ四三さんしか見てないから少し違和感がある。
その下はスーツを着て少しふくよかになった写真だ。
これは指導者として付き添いをしたものだろう。
最下段は昭和四年十一月の東京高等師範学校の写真。
スポーツを観戦しているらしき群衆の姿が映っている。
左上は嘉納次五郎先生の写真だ。胸から上が写った肖像画のような写真。
最後の左下の写真は黒いふんどし一枚の後輩とトランクスのようなズボンで上半身裸の金栗さんが写っていた。
二人とも腹筋は割れていてスポーツマンらしい。
「「なぜ脱ぐ」「毎回、必ず(男性の)裸のシーンが出る大河」って言われてたけど、リアルでもこんな写真があるんだ…」と朝美ちゃんが絶句していた。
え?なにその大河…
次の部屋には上に金栗四三さんの歩みと書かれた幕が張られている。「体力」とは心身の健康 「気力」とは初志貫徹の意志力「努力」とは忍耐の継続
まさにカナクリズムの真髄である
と書かれ、どんな人? 病弱だった少年時代 ”走り”との出会い と続いている。その次は年表である。
これは長いので後で見よう。と写真で撮影した。そして、この原稿を書くために見返している。
その右には「体力 気力 努力 九十一歳 金栗四三」と書かれた白いTシャツがある。
幕の下には多くの写真が展示されている。
「金栗先生は写真が好きでしたからねぇ。本宅の二階には写真室のような部屋までありました」という
「へー。ドラマだと三島さんからカメラを譲って貰ってましたねー」
「そうですねー。でも金栗さんのおうちも資産家でしたので、ちなみに先生はライカのカメラを愛用されてました」
と2回目の旅で聞いた。
なんでも800枚くらい写真があったそうである。
数が多いので中には重ねた写真がくっついて開かないものもあるそうだが「かのう先生の写真だけは立派な木の箱に、大事に布に包んで入れてあったそうです」との事らしい。
「師として尊敬されてたんですねー」
いい話である。
ちなみに幕の下には金栗夫妻とイクエさんが写った写真がある。おっとりとしたスヤさんが長女を、笑顔の金栗さんが長男を抱いている。撮影時期は秋だったのだろうか?後ろの木には葉が一枚もなく、イクエさんは寒さで笑顔が少しひきつっているように見える。
「髪の毛がパーマ状態になってるからアントワープあたりの写真かな?」
その下には「内科、婦人科、外科 春野医院」とかかれた春野スヤさんの写真もある小学生以下の4人男女二人ずつが並んでいる。
「これは中国の大連で開業していたスヤさんのご実家の写真です」とのこと。
写真には細かい説明がないので、こうしてガイドさんのお話を記録しないとどんな写真なのかわからないものもある。
2017年に久住町の古い写真で「この人は誰だろう?」と町をあげて古老に情報提供を求めていたのだが、こうした記録というのは必要なときには見つからなくなるものなのだ。
まあ、くどくなるので写真の解説はここまでにしよう。
部屋の奥にはストックホルム大会の参加賞のワッペンが飾られている。日本で二つしかない、黎明の鐘に与えられた記念品である。ちなみに五輪の5つの輪が描かれるロゴマークは1920年から生まれたものなので、このワッペンで
はロゴがないそうだ。初めて知った。
あの大会で日本が初めて参加したので五大陸を表す大会ロゴが生まれたのだとすれば、すごいことである。
その左隣は生前着用していたスーツと本人が好んだ革靴が展示されている。
意外と小柄な人だった事がわかる。靴のサイズは25cm位だろうか?
こちらの部屋にもガラスケースがあり、25×30cm位の蒔絵の「硯箱一式」、「四三愛用の硯」、笹と川の流れが描かれた細長い(8×25cm位)の「スヤが使った硯箱」が展示されている。
硯は貝の内側にあるきれいな膜を張り付けた高級品である。硯は石が割れたような状態なのを硯にした自然味あふれるものだ。
金栗さんもスヤさんも明治のひとらしく、書をたしなんでおり、晩年まで愛用していたらしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
記念品たち
最後に元の部屋の棚を説明してくれる。床の間には盾やカップが並んでいる。
ここで一番おもしろかったのは「走ろう会」という団体だ。
熊本に暮らすようになった金栗さんは健康のために「競わないマラソン」を作ったらしい。
「あー、そういえばドラマでも「楽しいの?楽しくないの?」って聞いてたね」
スポーツという概念がなかった明治時代、スポーツとは競うことよりも娯楽であり、健康促進のものだったのだという。
「一位にならないとだめ、とか競う事ばかりではなく、健康のために走るだけのマラソンがあってもいいじゃないか」ということで発足した、のどかな会だったらしい。
「元々、日本人の体力増進のためにスポーツを広めようとした、初期の精神にのっとっているね」
麻美ちゃんが深くうなずく。
「ところが体育協会か陸上連合協会あたりから待ったがかかったんですよ」
「えー、何でですか」
「競わないマラソンはマラソンじゃない。そんな会はけしからん。とクレームがでたらしいんです」
これが日本人のスポーツ離れを促進してるのではないだろうか?別に競わなくてもいいじゃないか。
体を動かすのは一番になるためじゃないだろう。
憤慨していると。
「そして、吊し上げてやろうと思ったんでしょうな。走ろう会に電話がかかってきたんです。「そんな会を開こうとしているのは誰だ?」と」
マラソンを名乗るなら我々の許可を取れとでも言いたかったのだろか?
「で、会員の名前を聞くと、「金栗さんです」と答えが返ってきた。」
日本マラソンの父である。当時の協会の大先輩であり伝説の人物がやると言ってるのだ。
団体は慌ててクレームを取り下げ、走ろう会は無事発足し天草パールマラソンや、現在の市民マラソンのようなイベントとして広まったらしい。
「実にスカッとする話だね」
うん。日本の体育でも記録を目指すんじゃなくて運動習慣を目標とした、レクリエーションとして認識すべきではないだろうか?
こうして聞いてると、いだてんとはスポーツの根元を物語で教えてくれる良いドラマである。
走るというはきつくてつらい事というイメージがあったが、かけっこや鬼ごっこなどの走るは楽しい事だった。
速く走らないといけない。と苦手意識があったがスポーツとは本来楽しいものだったのだとすれば、今の部活などは間違ってやしないだろうか?
そんな事を考えていると朝美ちゃんがガイドさんに色々と聞いていた。
「ここのグラス、スェーデンって外国語で書いてるっぽいですけど何か由来でもあるんですか?」
ガイドさんが言葉に詰まる
「いや…部屋に飾ってて愛用はしてたみたいですけど、由来とかは聞いた事はないですねー」
贈答品だったのだろうか?透明のガラスに朱の入った美しいグラスは持ち主が死んだ後もその美しさをたたえている。
「あれ?このお皿、野口さんとかの名前が寄せ書きで書かれてますね」
見ればたくさんの名前が書かれた白いお皿がある。
「ああ、これは1974年10月13日の玉名市市制施行80周年の記念で歴代オリンピック選手の集いとして参加者が集まって寄せ書きをした皿ですね」
一番最初には、第5、7、8回 ストックホルム アントワープ パリ 金栗四三と書かれている。この当時、すでに鬼籍に入られていた三島弥彦氏の名は、ない。
次のアントワープ 八島健三と続き、アムステルダムロサンゼルスと名前がある。
連なる名前は2・3人の名があるが1936年のベルリンオリンピックの三者はたった一人しか名前がない。
「この時代に選手になれる年齢の人は、だいたい4年後に戦争にいったんだろうね…」
ドラマではちょうど今日からベルリンオリンピックの話になるという。
「ここから地獄の展開が始まるのかもしれないんだよ」と朝美ちゃんは顔を曇らせる。
今まで近代を書きながら戦争で人死にが出るのか…それはきつい。
「おんな城主 直虎」では、小領主がささやかな幸せを望みながら5話に一度は重要人物が死んで「いくさは嫌でございまする(血涙」などとつぶやいていたが、35話分のタメが入ったあとの戦争だ。どれだけ悲惨で悲しい事になるのか想像もつかなかった。
唯一の救いは金栗さんは戦後も存命である事くらいだろうか。
それ位、有名でなかった人たちが登場する大河なのだ。
それはそれでドキドキする。来年のドラマは悲劇的な死亡をするのが決まっているし。
話がそれた。
「毎回それるね」
やかましい。
この後敗戦を迎えた日本ではオリンピックに参加が禁じられ15回目のヘルシンキまで名前がない。
そして20回目のミュンヘンオリンピックでちょうど一周。18人。
第15回大会に参加した宇佐美義高氏だけ(旧内川)と記載がある。養子に入ったのだろうか?(※)
この皿では、ほとんど人は2回。最短5年で現役を引退しており、3回出場したのは金栗さんだけである。
唯一、宇佐美彰朗氏がこの次のモントリオールオリンピックまで参加しており3回出場しているのだが…
「金栗さんはベルリンオリンピックが一度中止になっているから13年は現役だったんだよねー」という。
いだてんのすごさがよくわかる寄せ書きだ。
(※宇佐美さんではネット検索では引っかからず、内川さん名義で探すと、WIKIに佐賀の生まれで生年とマラソン選手であった事だけが記載されていた。宇佐美彰朗氏と同姓だが、彼は新潟の生まれで実家は鮮魚店とあるので血縁関係はなさそうである)
ここらの写真は
https://matome.naver.jp/odai/2157536630024898301
このページで纏めてます。興味のある人は絵で見る無計画旅行をお楽しみください。
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