第23話 #いだてん ジュースと金栗四三住家 

 金栗さんの生家が見えてきた。

 細い田圃道にいだんてんの旗がたなびいている。

「そういえば池部イク江さんの家は庄屋ではなくて大地主だったって言ってたけど…」

「…もしかして、これ全部…」

「池辺家の土地だったりして…」

 地平線までの距離は5km程度らしい。

 だとすれば目の前の山間部を除けば10ヘクタールくらいあるのだろうか?

 とてつもない大金持ちだったというのがよく分かるスケールのでかさである。


 北海道はこんな景色がずっと続くのだろうか?


 大分ではみられないほどの広大な平野に圧倒されながらあたりを見回す。

 バラス(石砂利)をしかれた駐車場に降りるとテント二つとテーブルが設置され来場者の写真やチラシなどがおかれていた。

 いかにも田舎の自治体という感じだ。

 どうやらどこからきたのか来場者を数えているらしく、各地の県名がずらりと並んでいた。

 一位は熊本、二位は福岡、三位は鹿児島らしい。

 近くなうえに線路が直通で通っている所はやはり強い。

 それに引き替え、わが大分は

「2…3…5人?」

 1位の10分の1程度だ。

 山で隔てられているとはいえ、これはあんまりだ。

「お嬢さんたちどこから来たの?」

 番をしている中年のおじさんから尋ねられた。

「大分からです…すいません」

 あやまる朝美ちゃん。

「へー、珍しいね。大分から?ありがとうねー」

 優しく迎えられる。ありがたい。

「いだてん好きなら、そこの自販機もみていくといいばい」と教えてもらえる。

 ここの駐車場に設置されてる自動販売機は特別で金栗さんの写真がプリントされている白を基調に左の中程に日の丸があしらわれた自販機である。

「うわ~特別製ですね」

 そういいながら写真を撮る。

「あれ?ここに何か書いてますね」

 自販機の赤丸部分に黒のマジックで

「いだてんジュース」と字がかかれていた。

 その左に書かれた「六代 勘九郎」のサインをみて朝美ちゃんは「ご本人ここに凝られたんですか!?」と仰天した。

 四三さんを演じた役者の方らしい。

「ああ!来た来た!ドラマが始まる前の金栗さんの命日と8月にもお忍びで!」

 このサインは8月の時に書いたものらしい。案内所にそのときの写真も貼られていた。

 すごくいい人だ。

「せっかくだし、コーラでも買ってこうか」

 ここの生家は入場無料だし、売店もないので地域にお金を落とせない。せめてもの礼に二人ともコーラを買っていく。

「そこの道をまっすぐ行ったら看板があるからー!右はお墓に行くけんねー」

 という声の下、駐車場から農道にあがり住宅を歩いていくとT字路にでた。

「ここを左前に行くと生家かー」

 車一台がやっと通れる家に挟まれた道を進むと、急に田圃がひろがり、その正面に2軒の建物がある。

 洪水よけか石垣の上に立てられた建物は左が平屋、右は二階建ての立派なものだ。

 その石垣には「金栗四三 住家」という横段幕がでかでかと張られていた。

 そして田圃道には金栗四三ゆかりの地の旗がずらっと並んでいる。ここまでくれば迷いようがない。


 坂道を登り敷地に入ると、金栗さんご本人の立て看板がお出迎えしてくれた。

 家には若い女性と年輩の男性が白いジャケットをきて観光客を案内していた。

「はい、ここが金栗さんと奥さんのスヤさんがお住まいだった家でございます」

 と言われた二階建ての家は築120年の歴史ある建物らしい。だが、瓦が新しく所々昭和風だ。

「この家は3回改築してますからねー、結構新しいでしょ」とのこと。

 見れば表の看板に由緒と小田村地主池部家と書かれている。

「ドラマだと庄屋、米の問屋さんだったんだけど、本当に地主だったんだねー」

 どちらにしてもお金持ちだったのは確かなのだが、この広大な小田よりも、水運の要所をロケ地に使いたかったのだろうか?

 ドラマ館もロケ地の近くだし、絵になる場所で自由に使える場所とか、色々条件があったのかもしれない。


 コンクリの基礎では無く、木で持ち上げられた家は床下に空間があり、薪が備蓄されている。

「うちのおじいちゃんも80年前位に建てた家に住んでるけど、こんな感じだったね」

 リフォームは流行があるのだろうか。

 中に入ると火鉢のある部屋と奥には大広間があった。

「手前の部屋にあるタンスはスヤさんの嫁入り道具で桐でできたタンスです。棒で担いで運べるように、上には金具がついております」といわれて年季の入ったタンスを見る。南部鉄器などで紹介される家具と遜色ない立派なタンス、いや箪笥である。

「スヤさんのご実家は中国の大連にも医局があるお医者さんをされていたそうで、隣の資料館にはそこの写真が展示されております」

 との事。お金持ちたちの交友があったのだろう。


 ガイドさんの話だと1931年、40歳で帰郷した金栗さんはここに住むが1936年に東京オリンピックの準備のために東京にでて、1945年にまた熊本に戻ってきたらしい。結婚した翌日には東京行きだったので27年ほど家を空けてた計算になる。それでも案内を見ると、5人ほど子供がいるらしい。

「金栗さんって夫としては失格?」

 つい、思った事を口にした。失礼ストレートである。

「教師として働いていたらしいんだけどねー」

「というか、金栗さん。いつお子さん作ったんだろう?」

「それは脚本さんも不思議に思ってた。この人いつ子供作ったんだろ?って」

 ドラマでは「働かなん!はしってばかりの男でん!大事な息子」と言われていたそうだ。

「実際は教師をしていたらしいけどね」

 お金は大地主だから問題はないだろうが、熊本から東京、相当な距離がある。

「あとここに本格的住んだのって55歳からなんだね」

 放蕩息子ならぬ放蕩旦那のようにも思えるが夫婦仲は非常に良かったらしい。

 奥さんと義母の池部幾江さん(墓の名はイクエ)も本当の親子のようだったという。

「理想的な家族関係だったんだねー」

「これだけ広い屋敷だもん。一人で住むのは寂しすぎるもんねー」

 そういって左手を見れば近代的な、昭和時代のキッチンがあった。

「この家は金栗さんの長女が平成20年代までお住まいだったのですが、お亡くなりになられてから市に寄付されたんです」とのこと。

 大河ドラマというと数百年前の人物ばかりが題材だったが、娘さんが近年まで生きていた上に住処、生家がのっこている人物が主人公の大河というのは初めてらしい。

「そういえば、池部さんのおたくは地主だったらしいですけど、やっぱり農地改革の影響をうけたんですか?」

 と朝美ちゃんがガイドさんに尋ねると

「ええ、ここら一帯は池部さんの家でしたが十分の一にまで土地が減ったと言ってました」

「あー、やっぱり。じゃあ、あそこ等へんのたんぼは金栗さんの土地ですか?」

「ええ、よくあそこで雑草を取ったり稲を刈ってました」

 さらっと言われたがすごい衝撃だった。

「ちなみに、あの田圃から水を引いてる池にお孫さんが帰ってくるとよく遊びに行ってました」

「え!あそこの公園ってそんな逸話があるんですか!」

 ドラマだと見れないお話だという。

 朝美ちゃんは大興奮である。


「ドラマの歴史上の人物が実際に生活してた場所を実際に見ることが出来るってのは体験してみないと、凄さがピンとこなかったけど、来てみたらわかるね。あのテレビで見た昔の人が本当にここで生活して、生きていたってわかるんだから」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 余談だが、筆者はこの土地に再び来ることになった。

 そのときになるとガイドさんの方も手なれてきたのか、このとき聞けなかった貴重な話をいくつも教えてもらえた。

 ただまあ、RPGゲームとかでも二週目になって知ることが出来た新情報ってのがあると面白い時があるので、情報は最小限出すにとどめておく。

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