第7話 いざ熊本城(2019年9月の状態)
どうやら熊本市内の繁華街を通ると熊本城の南側に到着するらしい。
ここから左手、堀にそって西の方へ行くと入り口がある。
「ここから橋を越えると日本一長い242mの長塀があるんだってー」
それはすごい。
遠くからでもわかる熊本城の巨大さを表したような塀である。だが
「なんじゃこりゃー!!!」
みれば塀はずらっと並んだ作業用の足場が立っており、見ることができない。少し進むと、2016年の震災のせいで塀が半分壊れていて無惨な姿をさらしている。
道の途中で撮影スポットがあったが当時の姿と現在の姿を見比べると災害の爪痕がよくわかる。
特にひどいのが塀の西端の櫓だった。
小屋の形状の櫓の下の石垣は四方を支える部分をのぞいて土砂崩れのように石が崩れており、真ん中から土台の柱がゆがんでいる。
「これ、よく倒れなかったね」
長さ10m位の建物が、両端のわずかな石垣だけで支えられている。長い空間にはつっかえぼうの一本も配置されておらず、いつまっぷたつになっても不思議ではない状態でたたずんでいた。
すごい時に来たものである。
外側ですらこうなのだから城内の様子も推して知るべしである。
城の入り口である行幸橋の袂にあるでっかい加藤清正公像(台座含めると高さ4m位ある)を撮影すると、橋を渡り城の敷地に入る。
すると
「10月5日に熊本城の一部を公開します」
との張り紙があった。
「今日から一ヶ月後かー……………」
とても残念である。もはやここに来ることは無いだろうし本丸は見る機会はもうないだろう。そんな事を思いながら現在観光可能な部分はどこまでか見てみる。
どうやら現在は城の外周だけで、本丸や飯田丸とよばれる敷地内には立入禁止のようだ。2年以上たつが、建物自体が修復中で入れないらしい。
本当にすごい時に来ちゃったものである。
ただ、完全に修復されている部分もある。
歴史的建造物では無い、現在の建造物。そうお土産屋だ。
橋を渡って左手にある、桜の馬場と呼ばれるにぎやかな店が建ち並ぶ休憩どころは20以上の商店が軒をならべ江戸村の様な歴史っぽさの残る販売所が活気を呈している。ここだけで熊本名物は大体買えるという熊本観光を凝縮したような場所である。
名物の辛子レンコン3つ280円にチーズの入った焼きちくわ300円を食べる。
「レンコンむっちゃ辛いね!」どうやら辛子レンコンはレンコンに何も引かない何も足さない純粋な辛子がはいっている代物らしい。
とても辛いが油で揚げられたレンコンと一緒に食べているとついもう一口食べたくなる、後を引く辛さである。
焼きちくわは、揚げたちくわの中にスティック場のチーズが溶けたものが入っており、とろっとした触感が何ともすばらしい絶妙な食べ物だ。
香りも良いし少し寒い今の時期、ビールとともに食べれば最高である。
我々は何の躊躇もなく第三のビールを購入すると、ちくわを肴に酒を飲む。
あぁ、幸せだ。
車を使わない旅の最大の利点は昼間っから酒が飲める点である事を再認識する。
辛子対策の水にビール。そしてチーズ味の揚げちくわ。
そしてベンチの中央では甲冑に身を包んだ熊本城おもてなし隊のみなさんが観光案内をしている。
それをビール片手に眺める我ら二人。
最高だ。今最高に人生を楽しんでいる気がする。(飲酒的な意味合いで)
これ以上は無いほどの完璧な布陣で熊本グルメを堪能するとほろ酔い気分で大手門らしきものがあった西の丸駐車場にいくのであった。
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現在通行可能な観光ルートを確認する。
どうやら2019年9月の時点では二の丸駐車場と呼ばれる場所から城の外周を回り、加藤神社と呼ばれる本丸近くに建てられた神社以外は中に入れないらしい。
「まあ、せっかくだから一周してみようよ」
という朝美ちゃんの提案どおりに、桜の馬場から緩やかな坂道をのぼり左にある駐車場に行く。
ここには休憩所と土産物販売所を兼ねた建物がありトイレもある。
100人くらいの客が思い思いに壊れた城を撮影している中、朝美ちゃんだけ「ケ○ロ軍曹、加藤清正バージョンがあるー!」と某カエルキャラの30cmくらいあるフィギアを撮影していた。
どうせとるなら熊本市動植物園現在地移転50周年記念のけもの○レンズコラボポスターでしょ。
すごく行きたいのだが、場所がよく分からないし時間の制約があるので泣く泣くあきらめる。時間はもう2時50分を回っているのだ。
ついでに館内に展示されている加藤清正公の甲冑のレプリカを中国人観光客とアメリカ風観光客とともに撮影し、金色のしおりとかキーホルダーを見ながら外にでる。
「まあ、地震で倒壊した城なんてそこまで見所はないだろうし、さらっと見ていこ……」
言い終わる前に朝美ちゃんが固まった。
一見どこにでもある城の風景である。しかし人だかりができている撮影スポットを見ると、50mほど、塀だけではなく高さ5mほどの石垣ごとまっぷたつにでもされたかのように完全に倒壊し、塀だったものが波打って無惨な姿をさらしていた。
地震で城が壊れるというのはここまで痛ましいものなのだろうか?
大砲で攻撃されてもここまで酷い風景は見れないだろう。と思いながら震災の爪痕を無心で撮影する。
「由布ちゃん、こっちすごいよ!」
うん。石垣が完全に崩れた風景なんてとれるものじゃ無いもんね。そういうと朝美ちゃんは首を振る。
「熊本にはケ○ロ軍曹清正バージョンのイラストが載った特別住民票があるんだって!」
そういうとカエルのフィギアが乗った台座を指さしている。
いや、もっとこう、塀の一部が崩れたせいで、引きずられるように全体がゆがんでいる塀とか、倒壊して存在しなくなった大手門跡とかも見ようよ。私も好きだけどさ。
特に注目すべきは戌亥櫓である。
名前が示すように北西に存在する櫓は、高さ10mはあるであろう石垣がショベルカーで削り取られたかのように、張り出した櫓の先端部分の石垣を残して中が全部崩れてなくなっているのである。
正面から見ると、一本の柱となったような石垣のおかげで倒壊を免れたようにも見え、この2階建ての櫓は「砂上の楼閣」という言葉を体言したかのような危うさでかろうじて立っている。
「あの柱みたいな石垣、だるま落としみたいに誰かがハンマーで叩いたらエラいことになるよね…」
ものすっごく不謹慎だが、あの城の奇跡のバランスをこれほど的確に例えた言葉もないだろう。
15個のカーブを描いて積まれた1~2mクラスの巨石が二階建ての建物が落ちるのを支えているのだ。
城づくりの名手、加藤清正のすごさがわかる場所でもある。
この櫓を右に曲がると加藤神社の看板が見えた。
深い堀と本丸を結ぶ通路の先には黒いフレコンパック(1tの土が入る災害用の土嚢袋)が山のように詰まれて通路を守っている。
神社も境内は立入禁止だったが、ここからだと熊本城の天守閣がよく見えるのだ。
「うわ!すごい!」
見物にきた客たちが口々に城を見て感想を漏らし、写真を撮っている。
この時の熊本城は修復中で雨で痛まないように鉄骨の天井がついていたのだ。
熊本城の5階建て天守閣のとなりにある3階建ての小天守がある。
3階といっても城の3階である。立派な石垣を加えれば4階建てにも相当し、敷地の広さも体育館並である。
その巨大な建物に鉄筋でできた大きな柱と屋根が覆い被さるように建てられているのである。
東京タワーにL字型の屋根がついていたら驚かない人間はいないだろう。
このとき見た熊本城の衝撃もそれに匹敵する。
しかも神社を出て右の下り坂を降りていると、ほぼ真下から屋根を支える柱が見えた。まるで道路が垂直にそびえ立ったかのような、巨大で重量感あふれる巨大な鋼鉄の柱が、巨大な城を守るために立っている偉容は写真でも伝わらないだろう。
スカイツリーのような巨大で洗練された建物とは違う、工業的な無骨さのもつ力というものを感じる姿だった。
この光景は二度と立ち会えないものだし、二度とあって欲しくない光景である。
震災に立ち向かう人間の力の凄さを感じながら我々は熊本城を後にした。
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