第六章・ロミオとジュリエット(その11)

 時計も九時を回り、秋の夜も更けてくると、お泊り会もいよいよ本番ともいうべき、パジャマ姿で寝室に集まってゲームをしたり、ガールズトークに花を咲かせたりする時間になる。潮音がパジャマ代わりのスウェットスーツに着替えて紫の部屋に向かうと、紫はフリルのついたネグリジェに着替えていた。紫のネグリジェを見るなり、そこに居合わせたみんなは「かわいい」と声をあげた。


 潮音はこれまで紫の家に来たことは何度かあったものの、そのときは居間でパーティーをするかバレエのブルーレイを見るかで、紫の部屋に直接入ったことはあまりなかったなと思っていた。そこで潮音は紫の部屋のあちこちをあらためて見回すと、きちんと整理されて掃除も行き届いているだけでなく、じゅうたんやカーテン、家具なども落ち着いた配色でまとめられ、本棚には参考書や文学作品の文庫本、バレエ関係の書籍などが整然と並べられていた。潮音は紫の部屋は暁子の部屋と比べても、ずっとセンスがあって、いかにもお嬢様タイプの女子の部屋だと感じて、自分がその中にいることにいささかの気後れを感じずにはいられなかった。


 そこで潮音があらためて辺りを見渡すと、光瑠や琴絵、暁子もパジャマに着替えていた。光瑠のパジャマはスポーティな感じがしたのに対して、琴絵はパステルカラーのおとなしい感じのパジャマを着ていた。その傍らで暁子は、水玉模様のポップなパジャマ姿を着ていたものの、どこか落ち着かない様子をしていた。


「どうしたんだよ、暁子」


 潮音に言われて、暁子はますます気恥ずかしそうな顔をした。


「峰山さんたちに比べて、あたしのパジャマは子どもっぽくないないかな」


「暁子はそんなことで気後れしてたのかよ。そりゃ暁子の気持ちだってわかるけど、暁子のパジャマだってかわいいってば」


 紫は潮音と暁子がよそよそしい態度を取っているのを見て、もっとリラックスして打ち解けるように声をかけた。


 そして紫はさっそくトランプやカードゲームを取り出すと、みんなでゲームを始めた。潮音はゲームをしながら紫の出したお菓子をさかんにつまんでいたが、それを見た暁子は、呆れた表情をした。


「あまり夜に食べてばかりいると太るよ」


 それには紫も同意そうな顔をした。


「潮音はバレエもやってるんだから、太りすぎには気をつけた方がいいよ」


 紫からもそのように言われて、潮音はおとなしくなってしまった。


 ゲームが一段落すると、おしゃべりが夜中まで続いた。ここではまず、琴絵が劇の台本を書く時にも、元の「ロミオとジュリエット」の台本にはけっこう卑猥な言葉もあるので苦労したことを話した。それからしばらく、琴絵は劇の演出などを行ったときの裏話をしていたが、潮音はそれを聞きながら、学校ではクールでおとなしそうに振舞っている琴絵も、話をしてみると話題も豊富で知識も多岐にわたり、話していても飽きないことに気がついた。潮音は琴絵は周囲からは内向的に見られているけれども、学校でももっと積極的にみんなと接すればいいのにと感じていた。


 その一方で光瑠も明るく振舞っていたものの、その中で自分が学校の中で変にチヤホヤされていることに対して違和感を覚えていることをふと漏らした。潮音も自分自身、学校の中でもっと自然にみんなと接したいと思っていただけに、その光瑠の気持ちはわかるような気がした。


 そこで紫が、ニコニコしながら光瑠に声をかけた。


「そりゃ光瑠は背が高くてクールでかっこいいし、バスケ部だって活躍してるんだもの。体育祭だって学ラン着て応援団をやったらみんなにすごく受けてたし、あの劇だって光瑠がロミオをやらなかったらあんなに評判にならなかったよ」


「でも私も、実を言うとジュリエットをやりたかった気持ちもちょっとあるんだ…。私は男のきょうだいばかりの中で育ったし、中学入る前くらいから背も伸びたから、あんまりこういう可愛いの似合わないと思ってさ…」


 そう話す間も光瑠はずっと、気恥ずかしそうにもじもじしていた。潮音は光瑠が学校でこのような表情をしているところなど見たことがなかっただけに、ちょっと意外に思っていた。そこで紫が、ご機嫌そうに光瑠に声をかけた。


「だったら光瑠、来年の文化祭では光瑠が娘役になって劇やってみない? 今年の二年生がやったみたいに、アイドルをやってもいいじゃない」


 光瑠は紫が屈託のなさそうな表情で話すのを聞いて、ますます気恥ずかしそうに顔を赤らめていた。


「私、そんなの無理だよ…」


 そこで光瑠は顔を赤らめて、すっかり取り乱していた。その様子は壇上で堂々と凛々しくロミオの役を演じていたときとは全く対照的で、その様子が潮音には少しおかしかった。


 しかしそこで、紫が潮音を向き直して言った。


「ところで、この前の秋祭りのときに一緒だった潮音の彼氏、文化祭にも来てたじゃない。ずいぶん仲いいみたいだけど」


 その途端に光瑠と琴絵も、興味深そうな目つきで潮音の顔を向き直した。そうなると今度は潮音の方が、赤面しながら気恥ずかしそうに手を振る番だった。


「だから、湯川君は家が隣同士になっただけで、彼氏とかそんなんじゃないってば」


 潮音があわてたそぶりをするのを、紫たちはニコニコしながら眺めていた。そこで潮音は、むっとした表情をしながら紫たちに言葉を返した。


「だいたいみんなこそ、人の色恋沙汰にばかり首を突っ込んでるけど、自分たちこそどうなんだよ。松風はあんなにかわいくて頭いい子ばかりそろってるんだから、みんなその気になれば彼氏なんかすぐできると思うけど」


 しかしそこでも、紫は取り澄ました表情をしていた。


「そりゃ私だってそういうのに興味ないわけじゃないけど、今は勉強とか学校生活の方が忙しくて充実しているからね」


「でも紫はちょっとお嬢ちゃん育ちなところがあるからな。あまり男の子のこと知らないでいると、案外変な男にひっかかったりしないか心配だよ」


 潮音の話を聞いて、紫は少し不安げな面持ちをした。


「潮音がそう思うのは、やはりあなたがもともと男の子だったからなの? 男の中にはそういう悪いやつもいるって言いたいわけ?」


 紫がそう言うのを聞いて潮音は一瞬びくりとしたが、辺りを見渡すと琴絵ばかりか光瑠までもが紫のセリフを納得したような表情で聞いているのに、ますます当惑せずにはいられなかった。潮音は紫と琴絵には自分のことを打ち明けているものの、光瑠には話していないはずだがと思っていると、光瑠が潮音に目を向けた。


「劇の配役が決まったばかりの頃、紫からみんな話は聞いたよ。藤坂さんが中学までは男の子だったって話を聞いたときはさすがにショックだったけど、だからこそ納得したんだ。藤坂さんは何に対してもこんなに一生懸命なんだなって」


 光瑠にまでこのように言われて、潮音は照れくさい思いがした。その潮音のそぶりを見て、光瑠はじれったそうにしていた。


「藤坂さん、何遠慮してるのよ。あなたは過去にはいろいろあったかもしれないし、そこであなたがどんなに悩んだか私にはわからないけれども、今じゃどこからどう見ても女の子だよ。体育祭でも、そしてこの文化祭の劇でもみんなと一緒に頑張ってきたし、そしてクラスを盛り上げてくれた。それだけで十分よ。あなたが高等部から入ってきて、この学校もだいぶ活気が出たと思うわ」


 そして潮音も、光瑠の手を握り返した。先ほどからどこかモヤモヤした気持ちを抱えながら潮音の様子を見守っていた暁子も、その様子をはたで見ていて、どこか感慨深そうな表情をしていた。


 そこで潮音は、あらためて紫を向き直して言った。


「ともかく紫をだましたり、たぶらかしたりするような男が寄ってきて、紫が変な方向に行きそうになったら、紫のことをぶん殴ってでも止めてやるからな。これはうちの学校のほかの子たちだって一緒だよ」


「あんたがみんなのことを気にしてくれるのはいいけど、あまりトラブルを起こしたりしないようにね」


 紫はため息をつきながら潮音に釘を刺すように言うと、あらためてみんなに提案した。


「話は尽きないけど、もう夜も遅いから、そろそろ寝ない? 明日は代休だからそのときにみんなで遊びに行けばいいし、第一夜更かしは美容のためにも良くないよ」


 みんなも紫の言うことに同意したらしく、ゲームやお茶、お菓子を片付けると部屋に布団を敷いた。潮音は特に光瑠に対しては話し足りないような気もしていたが、それは今後も話す機会があるかと思ってその場はみんなと一緒に床に就くことにした。


 潮音の布団は暁子の隣だった。潮音は暁子が隣にいると緊張で眠れないかもしれないかもしれないと少し気がかりだったが、電気が消されるとすぐに暁子は眠ってしまった。潮音は寝床の中で暁子の寝顔をじっと見つめながら、文化祭の前は暁子も手芸部のバザーの準備に大わらわだったのだから疲れているのも無理はないと思うと、いつしか布団の中で自分も眠りに落ちていった。

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