第六章・ロミオとジュリエット(その6)
潮音が光瑠や紫と一緒に講堂を後にして校舎に向かおうとすると、光瑠の前に生徒たちが集まって人だかりを作り、熱い視線を向けた。。ロミオの役を凛々しく堂々と演じたことで、松風の生徒たちの間での光瑠の人気は不動のものになったようだった。
「これでまた、中等部にはバスケ部に入る子が増えるんじゃないかしら」
「そんな理由で入部する子なんて、練習についていけなくなってほとんどがすぐにやめちゃうよ」
紫の言葉にも、光瑠はつれない態度を取った。
そして光瑠たちの前に集まった生徒たちの中には、榎並愛里紗の姿もあった。
「桜組の劇、私も見させてもらったわ。やはり吹屋さんのロミオが良かったわね」
そこで潮音が愛里紗に声をかけた。
「楓組の『嵐が丘』は明日のお昼だよね。楓組もがんばってね」
「私は峰山さんがジュリエットをやるとばかり思ってたけど、藤坂さんがジュリエットとはちょっと意外だったわ。でも藤坂さんのジュリエットの演技もなかなか上手だったし、私たちにとっても桜組の劇を見たことはいい刺激になったわ。私たちも桜組に負けないようにもっとしっかりしなくちゃね」
愛里紗は表向きこそ愛想良さそうにしていたものの、その陰では紫や桜組に対抗意識を持っていることを潮音もひしひしと感じていた。潮音はこのまま丸く収まらないものかと、一抹の不安を感じずにはいられなかった。
なんとかして潮音たちが生徒たちの群れをやりすごすと、そこで潮音は校内の展示を見て回っていた男の子と鉢合わせになってしまった。その男の子こそ、湯川昇たった。
潮音はよりによってこんなところで昇と出会うなんてと思って、思わず体をこわばらせてしまった。それを見て紫が、わざと意地悪っぽく潮音に声をかけた。
「おや、潮音の彼氏も来てたんだ」
それを聞いて光瑠と恭子も、俄然と身を乗り出してきた。
「へえ。藤坂さんに彼氏がいるなんて知らなかったな。見てみたらなかなかかっこいい子じゃん」
「ほんまやわ。いつの間にかこんな彼氏まで作るんやから、潮音もなかなか隅に置けへんな」
潮音はあわてて、昇は自分の彼氏なんて呼べるようなものではないと否定しようとした。しかしそれに対して、昇は屈託のない様子で話しかけた。
「藤坂さん…さっきの劇、ずっと見てたよ。ジュリエットの役なかなかうまかったじゃん。感動したよ」
潮音は昇が自分の劇を見ていたことを知って、思わず穴があったら入りたいような気分になった。動揺のあまり目を白黒させている潮音を、紫と光瑠、さらに恭子までもが笑顔を浮べながら見守っていた。そこで恭子が、さっそく潮音に提案した。
「せっかくやから潮音が、彼氏にいろいろ学校や展示を案内してあげたら?」
しかしそんなことをしたら、校内でどのような噂が立つかわかったものではない。潮音はあわてて、照れくさそうに手を振って恭子の提案を断った。そのときの潮音の取り乱した様子には、昇までもが気まずそうな顔をしていた。
昇が潮音と別れて潮音のそばを立ち去るのを、恭子はやや物足りなさそうな表情で見送っていた。
「潮音もいけずやな。せっかく彼氏と仲良うなるチャンスやのに」
「だからそんなんじゃないってば」
潮音は語調を強めながら、恭子の言葉を打ち消そうとした。その潮音と恭子のやりとりを、紫と光瑠も困ったような表情で眺めていた。
「二人ともいいかげんにしなさい」
紫にたしなめられて、恭子も少し調子に乗りすぎたと反省したようだった。
「…すまへんな」
そこで少し重くなりかけたこの場の空気を振り払うような、明るく元気な声がした。声の主はキャサリンだった。キャサリンの目には、クラスの演劇だけでなく文化祭で行われるさまざまな催し物のすべてが新鮮に映るようで、文化祭を楽しんでいる様子がありありと見てとれた。
「日本の学校にこんなイベントがあることは漫画やアニメで知ってましたが、なかなか楽しいです。みんなのロミオとジュリエットの劇も、すごくうまいと思いました。」
そう言いつつもキャサリンは、模擬店で買ったホットドッグをおいしそうに口にしていた。そこで恭子が、潮音とキャサリンに提案をした。
「せっかくやから、みんなで一緒に展示見に行かへん?」
「いいよ。一緒に行こうか」
しかし紫と光瑠は、首を横に振った。
「ごめんね。私と光瑠は学園祭の執行委員会の用事があるの。キャサリンたちみんなで楽しんで来たらどうかしら」
潮音が恭子やキャサリンと一緒に展示を見に行ったのを見送って、紫はふとため息をついた。
「潮音と恭子は、最初はケンカもしたけどそのためにかえって仲良くなっちゃったみたいね」
「これでいいんじゃないの? ケンカするほど仲がいいとも言うし」
光瑠は紫に笑顔で答えていた。
潮音は恭子やキャサリンと一緒に、まず暁子が所属している手芸部の開催しているバザーの会場に向かった。潮音としては、暁子にあいさつをしておきたかった。
潮音たちがバザーの会場に着くと、先ほどまで講堂で潮音たちの劇を見ていた暁子は、すでにバザーに戻って売り子の当番をしていた。そしてその隣には、中等部二年の松崎香澄の姿もあった。
潮音がバザーの会場に足を踏み入れるなり、香澄は満面の笑みを浮べながら明るく元気な声で潮音を出迎えた。
「藤坂先輩、手芸部に来てくれたんですね。藤坂さんのジュリエット、すごく良かったです」
香澄の明朗さと元気さには、傍らの暁子もすっかり圧倒されてしまったようだった。そこで恭子が、冷やかすような口調で潮音に言った。
「潮音は中等部でもすっかり有名人やな」
潮音はそれを聞いて複雑そうな表情をしたが、そこで暁子は潮音の姿を見るなり、ほんの少し照れくさそうな顔をしながらぼそりと口を開いた。
「潮音…あの劇、あたしも見てたよ。すごく良かったじゃん。今まであんたはどっちかというと目立たない子だったのに、それがここまで劇ができるようになったってことは、あんたもだいぶ一生懸命練習したんだね」
暁子にそこまで言われると、潮音はますます気恥ずかしい思いがした。
「そこまで言うなら、暁子だって来年の文化祭でなんか劇に出てみりゃいいじゃん」
潮音に言われると、暁子はますます赤面しながら手のひらを振ってみせた。
「そんな…あたしなんか無理だよ」
暁子がはにかみ気味の表情を浮べているのを見て、潮音の隣にいた恭子もじれったそうに口を開いていた。
「石川さんかてもっと自信持てばええのに。バザーでこれだけいろんなもの作れるなんて、大したもんやと思うよ」
そして香澄も暁子に向かって口を開いた。
「そうですよ。石川先輩は手芸部で頑張ってきたじゃないですか。私にも裁縫についていろいろおしえてくれたし」
香澄の明るく屈託のない様子を見て、暁子は少し気を取り直したような表情をした。
「潮音がこれだけいろんなことを頑張ってるんだから、あたしだってぼやぼやしてばかりはいられないよね」
その暁子の言葉に、潮音はもどかしそうな顔をした。
「だから暁子は無理に人と比べたりしないで、もっと素直に自分のやりたいことやればいいじゃん。暁子こそ手芸部でどんなの作ったんだよ」
そこで暁子は、バザーのために自分が作ったフェルト細工や小物を潮音に示してみせた。潮音は恭子やキャサリンと一緒に、しばらくの間、それらをじっと眺めていた。
「この人形なんか、なかなかかわいいじゃん。やっぱり暁子は手先が器用だよ」
「ほんまやわ。石川さんって前からこういうの作っとったの?」
暁子の作った手芸の数々を、潮音だけでなく恭子やキャサリンも興味深げな目で見ていた。それを見て暁子は、いささか照れくさそうにしていた。
「そんなことないよ。このフェルトの人形とかは、綾乃お姉ちゃんに作り方教えてもらったわけだし…」
そこで潮音は、暁子の作ったフェルト細工をいくつか買い求めた。
「それじゃあ暁子も、バザー頑張ってね」
「藤坂先輩もまたバザーに来て下さいね」
潮音が香澄に見送られてバザーの会場を後にすると、恭子は笑顔で潮音に話しかけた。
「香澄ちゃんってほんまに元気で明るい子やな。あのクールで落ち着いた、生徒会長の松崎千晶先輩の妹とは思えんわ」
「でも暁子も言ってたけど、あの生徒会長の妹、こう見えて手芸部の中等部生をまとめて活動もちゃんとやってるみたいだよ」
「香澄ちゃんはけっこうミーハーに見えるけど、そういうところはやっぱり姉妹やね。でも潮音と石川さんって中学も一緒やったんやろ? 道理で仲良さそうなわけやわ」
「…私と暁子は家が隣同士で、ちっちゃな頃からずっと一緒だったんだ」
「前から二人で『潮音』『暁子』と下の名前で呼びおうとったし、二人が話してるの聞いとると、なんか彼氏と彼女みたいやね」
恭子が屈託のない表情でそう言うのを聞いて、潮音はびくりとした。
「いや…そんなもんじゃないって」
潮音があわてたそぶりをするのを、恭子はニコニコしながら見守っていた。
それから潮音は恭子やキャサリンと一緒にいろいろな部活の展示を見たり、占いのコーナーに立ち寄ったりもした。日本の占いや、書道部の展示に陳列された書の数々、さらに野外ステージで行われていたお笑いには、キャサリンがもの珍しそうな顔をしながら見入っていたが、潮音が茶室で茶道部がお茶を立てていたのを見たときは、礼法の時間に正座をさせられたことを思い出して足がしびれるような思いがした。
そして潮音が文芸部の展示に行くと、そこで寺島琴絵が会誌を売っていた。文芸部が展示を行っている教室は、喧噪の絶えない文化祭の校内の中では、訪れる人も少なく静かに落ち着いていた。
「寺島さんは劇の脚本書いただけでなく、劇についてもたくさんのことを知っていて、いろんなところで指導もしてくれたけど、この一方でこんな本も作っていたんだ。すごいなあ」
「ほんまやわ。寺島さんがおらへんかったら、あの劇はできへんかったよ」
潮音や恭子に言われると、琴絵は首を横に振った。
「あの劇がうまくいったのは、藤坂さんたちみんなががんばって、それぞれの演技をちゃんとやったからで、私は何もしてないよ」
そこで潮音は、琴絵が売っていた会誌に目を向けた。そこには琴絵が自作したファンタジー小説も掲載されていた。
「寺島さんって自分で小説も書いてるんだ」
「そんな…ネットのサイトを見たら小説書いてる人なんていくらでもいるし、それに比べたら私なんてまだまだだよ。ましてそこから書いたものが本になって売れる人なんてごく一部だからね。親からも『小説ばかり書いてないで勉強しろ』としょっちゅう言われてるんだけど」
「いや…小説書きながら勉強もちゃんとやってテストでいい点取るんだから、寺島さんはすごいよ」
「私は小説だって好きで書いてるだけだけどね。私の書いた小説なんてあまり読む人もいないし」
そこでキャサリンが琴絵に声をかけた。
「少し時間ができたら、あっちの教室でやってるアニメの展示を見に行きませんか?」
「いいね。私もあのアニメの展示には行きたいと思ってたんだけど」
そのキャサリンの誘いには、琴絵も身を乗り出してきた。一見クールで優等生然とした琴絵がけっこうアニメ好きなのは校内でも有名で、同じくロンドンにいた当時から日本のアニメが好きだったキャサリンとはすっかり意気投合してしまったのだった。琴絵とキャサリンが連れ立ってアニメの展示に出かけていったのを、潮音と恭子はやれやれとでも言いたげな面持ちで見送った。
そうこうしているうちに秋の日も西に傾き、文化祭の一日目も終りになった。そこで潮音は桜組の生徒たちと連れ立って帰宅することになったが、そこでも潮音はクラスの生徒の何人かから昇についてたずねられた。潮音はあわて気味に、自分と昇の関係は彼氏彼女とかいったものじゃないと言って火消しに躍起になっていたが、それを暁子と優菜は冷ややかな目で眺めていた。
潮音は帰宅すると、自室でさっそくバザーで買った、暁子の作ったフェルトの小さなマスコットを取り出してみた。潮音はそのマスコットをじっと見つめているうちに、いつもの暁子の気の強そうな表情を思い出して、思わず表情をほころばせていた。
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