第二章・花火大会(その2)

 花火大会を前日に控えた金曜日、潮音たちの所属している水泳部は布引女学院に合同練習に出かけた。潮音は布引女学院は流風の通っている学校ということもあって、訪問するのが少し楽しみだったが、松風女子学園の他の部活も布引女学院と練習試合をやることもあるとはいえ、同じ伝統のある女子校同士ということもあって、松風の生徒の中には布引に対して対抗意識を持っている生徒もいるようだった。


 布引女学院は背後まで六甲山の森が迫る、港を見下ろす高台に位置していた。潮音たちが校内に入ると、夏休み中にもかかわらず部活動などで登校していた布引女学院の生徒たちは、松風女子高校の制服を着た潮音たち水泳部員に一様に目を向けていた。しかし優菜は、布引女学院の制服である淡いブルーのワンピースをどこかうっとりした表情で眺めていた。


「やっぱ布引ってほんまにおかたいミッション系の女子校って感じがして、学校の中もきれいで緑が多くて落ち着いとるね。けっこう立派な造りのチャペルかてあるし。それに布引の夏服のワンピース、いかにもお嬢様学校って感じでめっちゃかわいいやん」


 優菜は潮音に耳打ちしたが、潮音はどうもこの学校は校風も厳格で窮屈そうで、自分には合いそうにないなと直感的に感じていた。潮音は流風はこの学校で、どのような学校生活を送っているのだろうと気になっていた。


 やがて潮音たちが布引女学院の室内温水プールの入口に着くと、そこで布引の水泳部の顧問や部員たちが待っていた。松風の水泳部長の江中さゆりが一同を代表してあいさつをすると、布引の水泳部長らしい少女も笑顔でそれに応えた。


 それから数時間をかけて、潮音は布引の水泳部員たちと一緒に水泳の練習を行った。練習が一段落するころには、松風と布引の生徒たちの中には互いに打ち解けた雰囲気になって、学校の枠をこえて話をする者もいた。潮音がぼんやりと話し込む生徒たちを眺めていると、潮音に明るく元気な声をかけてくる布引の水泳部員がいた。


「何ぼーっとしてるのよ。せっかく松風から来てくれたんだから、もっと話さない?」


 潮音はその少女の、初対面の相手に対しても何ら物怖じすることのない、天真爛漫で屈託のない様子に一瞬呆気に取られてしまった。潮音が慌てて気のない返事をすると、その少女はさっそく自己紹介をした。


「あたしは富川花梨とみかわかりんっていうんだ。布引の水泳部には中学で入学してからいるんだけど、なかなかタイムが伸びなくてさ。ところであなたは名前なんていうの?」


「私…藤坂潮音っていうんだ」


 潮音の「藤坂」という姓を聞いて、花梨は目を丸くした。


「『藤坂』って…もしかして藤坂流風先輩の妹かなんかなの?」


 花梨の反応には、潮音もいささか驚きの色を見せた。


「え、流風姉ちゃんのこと知ってるんだ。でも私は流風姉ちゃんの妹じゃなくて親戚だよ。流風姉ちゃんにはちっちゃな頃からいろいろ優しくしてもらったからね」


 潮音は流風は自分から見て血縁上は叔母にあたることを話すと、いろいろと話がややこしくなると思ったから、この件については黙っておくことにした。しかし花梨は、潮音のそのような心中など素知らぬかのように話を続けた。


「布引はボランティアもさかんにやってるけど、そこでは流風先輩にいろいろと世話になったんだ」


 そこから潮音は、花梨とも多少は気楽に話ができるようになった気がした。潮音と花梨は休憩時間の間、流風やボランティアなどの話題でおしゃべりをしたが、花梨と話をしているうちに潮音の表情もいつしか緊張がほぐれて明るくなっていた。


 潮音たちが練習を終えて着替えと支度を済ませると、室内プールの入口で布引の夏の制服である、淡いブルーのワンピースに着替えた花梨と一緒になった。


「松風の制服ってけっこうかわいいじゃん。いかにも今風の女子高生って感じで」


 潮音が呆気に取られていると、潮音のそばにいた優菜が花梨に声をかけた。


「布引の制服かて、いかにもお嬢様学校って感じでええやん」


 そのような花梨の明るい態度を見て、潮音も多少は打ち解けた気分になっていた。


「布引ってもっとおかたいお嬢様学校かと思ってたけど、富川さんみたいな子がいてちょっと安心したよ。でも流風姉ちゃんと知り合いだなんて思わなかったな」


「うちの学校はよくお嬢様学校とか変に気取った子が多いとか言われてるけど、そんなことないって。みんな学校から帰るときは買い食いだってするし、男の子のうわさ話だってする、普通の女子高生だよ」


 潮音が花梨と一緒に布引の校内を歩いていると、そこでばったり流風に出会った。花梨は流風と、その傍らにいた自分と同学年らしいもう一人の少女に元気よく声をかけた。


「こんにちは、流風先輩。それにれんも一緒なんだ」


 その花梨のあいさつには、流風だけでなく花梨から「漣」と言われた少女もいささか驚いたような面持ちをしていたが、そこで流風は花梨の傍らに潮音がいることに気づいて、ますます驚きの表情を深くした。


「あら。ここで潮音ちゃんに会うなんて」


「うちの学校の水泳部が布引と合同練習をやったんだ。流風姉ちゃんこそ、夏休みなのに学校来て何してるの?」


「学校でやっているボランティアのことで話し合いがあってね。その割には花梨ちゃんと仲良さそうじゃん」


「流風姉ちゃんこそ、富川さんのこと知ってるの?」


「ああ。花梨ちゃんはボランティアにもちょくちょく参加してるからね。この前老人ホームを訪問したときも、花梨ちゃんがいると場が明るくなると評判だったよ」


 流風に言われて、花梨もいささか照れくさそうにしていたが、そこで流風の隣にいた漣というおとなしそうな少女に目を向けた。


「ほら。漣もあいさつしなよ。この子は松風に通ってるけど、苗字も藤坂といって流風先輩の親戚なんだってさ」


 そこで連も、もの静かな口調でためらい気味に自己紹介をした。


「私…若宮漣わかみやれんといいます。富川さんとは同じクラスで、ボランティアでは藤坂先輩にずいぶんお世話になっています」


 漣のもじもじしたような様子に、花梨はいささかじれったさを感じたようだった。


「ほんとに漣は無口ではにかみ屋なんだから。もっとはっきりあいさつすればいいのに」


 その花梨の様子には、流風もいささか困ったような表情をした。


「花梨、若宮さんには若宮さんの性格があるんだからあまり無茶言わないの」


 流風にたしなめられて、花梨も少し決まりの悪そうな表情をした。


 しかし潮音はそのとき直感的にではあるが、うっすらと感じていた。この「漣」という少女には、潮音が今まで中学や松風女子学園で見てきた少女たちとはいささか違うものがあるということを。潮音は漣が、女子校という場にいささか居心地の悪いものを感じているかのように感じていた。


 そこで流風が、少し気まずくなった空気を変えようと、あえて明るい話題を振った。


「潮音ちゃんもうちの母から新しい浴衣もらったんでしょ? だったら明日の花火大会に一緒に行かない?」


 そこで潮音は、いささか気まずそうな顔をして答えた。


「ごめん流風姉ちゃん…花火大会はうちの高校の友達と一緒に行くことに決めたんだ」


 その潮音の答えには、流風も残念そうな顔をした。


「そうか…じゃあ仕方ないね」


 そのとき花梨が、流風に声をかけた。


「流風先輩…それだったら私と一緒に花火大会に行きませんか? 漣も一緒になってさ」


 流風は笑顔でその花梨の提案を受け入れたが、漣はあまり乗り気ではなさそうにもかかわらず、かといって花梨の誘いを断るようなそぶりも見せなかった。潮音は漣のそのような様子が少し気になっていた。


 潮音が布引女学院を後にして、優菜と一緒に電車に乗って帰途についてから、優菜は嬉しそうに口を開いた。


「潮音、あの富川さんって子、なかなかええ子やったな。うちらとも仲ようなれそうや」


「あの子はいいんだけど…オレはあの漣とかいう子の方がむしろ気になるな。あの子、ちょっと自分に似てるような気がしたから…。ちゃんと学校でやっていけてるのかな」


「気にすることあらへんよ。はっきり言うて私やアッコも、潮音が松風に入ったときはちゃんとやっていけるか心配やったけど、今の潮音は私らが思ったよりずっとこの学校でしっかりやっとるやん」


「そんなことないよ。もし暁子や優菜がいなかったら、オレなんか今ごろどうなっているかわかんないし」


「だからそんなことばかり考えてクヨクヨしてないで、もっと楽しいこと考えたらええやん。明日は花火大会かてあるんやし」


 潮音が優菜と一緒に電車を降りて帰宅し、日が暮れて夕食が済んでから翌日の花火大会の準備をしていると、潮音のスマホに電話がかかってきた。発信したのは流風だった。


「どう潮音、明日は大丈夫? ちゃんと浴衣着られそう?」


「浴衣着るのは、姉ちゃんに手伝ってもらえばいいかな。…こんなきれいな浴衣をくれて、モニカさんにはありがとうと言っといてよ」


 その潮音の言葉には、流風もどこか気恥ずかしそうにしていた。そこで潮音は、流風にきいてみた。


「ところで流風姉ちゃん、あの今日会った漣って子について何か知らない?」


「…どうしてそんなこと聞くの?」


「いや、あの子なんか自分に似てるような気がしたから…」


「そうねえ…私とは学年違うけど、花梨ちゃんも無口でおとなしくて、自分の感情をうまく伝えられないようなところがあるって言ってたかな。だから花梨ちゃんがそのことを気にして、あの子をボランティア活動に誘ったらしいんだけど…ボランティアでは人と接することに手ごたえを感じてるみたいで、活動はちゃんとやってるけどね」


 このように話すときの流風の口調も、少し心配なようだった。潮音もそのような流風の心中を察して、流風に返事をした。


「ともかく、明日の花火大会にちゃんと来てくれて、そこで楽しんでくれたらいいんだけど」


「潮音ちゃんって優しいんだね。ともかくこのことはあまり気にしないでいいよ。ともかく明日の花火大会が楽しくなるといいね。でも夏休みだからといって浮かれてばかりいないで、勉強や宿題もちゃんとやらないとダメだよ」


 流風はそう言って潮音に釘を刺した後で、電話を切った。しかし潮音は流風の話を聞いて、ますます漣の持っている、どこか不思議なムードが気になっていた。潮音にはどうも漣が他人のようには思えなかったが、なぜそう思うのかを問われても潮音自身、きちんと答えられる自信はなかった。しかし潮音はこんなことばかりクヨクヨ考えていてもしょうがないと思い直すと、明日の花火大会に着て行く浴衣にあらためて目を向けた。

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