第六章・ハッピー・バースデー(その3)

 暁子の誕生日パーティーを前日に控えた土曜日の午後になると、潮音は綾乃と一緒にケーキを作るのに必要な材料や、パーティーを盛り上げるためのグッズを買いに出かけた。


 潮音はどのようなケーキを作るか綾乃と相談した上で、クリームやフルーツなどを盛りつけたデコレーションケーキはまだ潮音のような料理の初心者には敷居が高いので、シンプルなチーズケーキを作ることにした。


 潮音はスーパーでケーキの下に敷く土台に使うビスケットや、クリームチーズなどを、レシピに載っていた通りに買い集めたが、このような買い物は今までしたことがなかっただけに、買い物の途中も緊張感が抜けなかった。ほかにパーティー用品も買うことで、なんとかしてパーティーを盛り上げるしかないと潮音は思った。


 そしてパーティーの当日の日曜日が来た。暁子の家でパーティーが始まるのは午後からなので、潮音は午前のうちにケーキを作らなければと思って、朝食が済むとさっそく前日に買い求めたケーキの材料や、ケーキ作りの用具を食卓の上に並べた。潮音はエプロンをつけて髪をゴムでまとめると、ちらりと綾乃の方を向いたが、綾乃は冷ややかな表情をしていた。


「私は困ったときや、うまくいかなさそうになったときには助言はするけど、あまり手伝ったりはしないからね。あんた自身の手で作らなきゃ意味ないでしょ?」


 潮音は綾乃の言うことももっともだと思うと、あらためてレシピを広げて、まずビスケットを細かく砕いてバターと混ぜ合わせると、それをケーキの型の底に敷き詰めて土台にした。


 それから潮音はクリームチーズをボウルに入れると、それを滑らかになるまでかき回し、それにグラニュー糖や卵、生クリーム、さらには薄力粉やレモン汁を混ぜてさらにかき混ぜて生地を作った。


 ようやく生地ができて、それを容器に注ぎ込んだときは、エプロンも粉だらけになっていただけでなく、潮音もいささか疲れていた。潮音のそのような様子を見て、綾乃はねぎらうように声をかけた。


「あんたにしてはよくがんばったじゃん。あとはこれをオーブンに入れて、焼き上がるまで待つといいわ」


 そして潮音がケーキが焼けるのを待つ間に、パーティーグッズの準備をしていると、インターホンが鳴った。潮音が玄関に出てみると、そこにはいつもの私服より少しおしゃれに着飾った優菜の姿があったが、その傍らにいたのは尾上玲花だった。潮音は暁子の誕生日に玲花も呼ぶかもしれないということは予想していたとはいえ、自分が中学生のとき、男子としてひそかに想いを寄せていた玲花の姿をあらためて目の当りにすると、胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。


「尾上さんもやはり来てたのかよ」


「だって優菜に誘われたんやもの。アッコたちと会うんも久しぶりやし。優菜が潮音はちゃんと準備できてるか見ていきたいと言うから、潮音の家に寄ったんやけど」


 しかしそこで、潮音があらためて玲花を見返すと、玲花は中学生の頃に比べて明らかに様子が変っていた。玲花はゆるやかにカールさせたヘアスタイルも軽やかで大人びたものになり、服装もポップで軽やかなものを着て、胸元には銀色のペンダントが光っていただけでなく、手の爪にはネイルまでつけていた。玲花が中学校で水泳部や生徒会で活動していた頃の面影とはうって変った、あか抜けた明らかにギャルっぽい装いをしているとは、潮音も全く予想していなかったことだ。


「尾上さん…いったいどうしたんだよ。中学までは地味だった子が高校入ったとたんにおしゃれになるなんて、もしかして高校デビューってやつか?」


「私が中学までは地味やったなんて、ずいぶんなこと言うてくれるやん。たしかに南陵は制服ないけどな、いつも学校行くときにはあまりギャルみたいな派手な恰好して来るような子はおらへんよ」


 潮音は自分がはじめ南陵高校を志望したのは、南陵高校は制服がなくて私服登校が認められているから女子の装いをしなくてもいいと思ったからだったが、今の玲花の恰好を見ていると、私服登校だってけっこう大変かもしれないと思った。


 しかしここで玲花は、あらためて潮音の姿をまじまじと眺め回しながら言った。


「なんか藤坂さんも、しばらく見いへんうちにずいぶん女の子らしゅうなったやん。今ここにおる藤坂さんが中学までは男子として、上半身裸で水泳部の練習やっとったなんて信じられへんわ」


「玲花もそないに思うやろ? あたしも潮音がこんなに女子校になじんでまうとは思わんかったわ」


 潮音は内心で、自分が女子校という場になじむためにどれだけ苦労してきたかも知らないで、あまり軽々しくそのようなことを言うなと内心で腹を立てていた。


 しかし玲花は、そのような潮音の心中などそ知らぬかのように、潮音のTシャツにハーフパンツという、男の子とほとんど変らないようないでたちに目を向けていた。


「ちょっと藤坂さん、これからアッコの誕生日のパーティーに行こうというのに、その恰好はないんとちゃう?」


「しょうがないだろ。今まで暁子にプレゼントするためにケーキを焼いてたんだから」


 その潮音の話を聞いて、玲花はますます表情をニコニコさせた。


「アッコのためにわざわざそこまでするなんて、やっぱ潮音は変ってきとるよな」


「どうだっていいだろ」


 潮音がむっとした表情で玲花に答えると、ちょうどそこに綾乃が出てきた。潮音がしまったと思ったときにはもう遅く、潮音は鏡台の前に連れていかれて綾乃の持っていた服をとっかえひっかえさせられていた。そして服を着せられるたびに、優菜や玲花の批評やアドバイスが入った。


 結局潮音が選んだのは、夏らしい軽やかな生地でできたティアードワンピースだった。それにはむしろ、優菜や玲花の方が心配そうな表情をしていた。


「藤坂さん、ほんまにそれでええの? あまり無理せえへんでも、潮音のしたい恰好すればええんよ。Tシャツにジーンズかてええやん」


 しかし潮音は、玲花のそのような不安げな様子を断ち切るようにきっぱりと言った。


「尾上さんはそんなに気を使ってくれなくたっていいよ。オレは毎日スカートはいて学校行ってるし、『どんな服着たって自分は自分』と思えるようになったら、女の服着るのだって逆に楽しくなってきたよ」


 潮音にそこまで言われると、玲花は一転して笑顔を受かべて、潮音を鏡台の前の椅子に坐らせると髪型のアレンジを始めた。


「そこまで言うんやったら、私が潮音の髪型アレンジしたるで。潮音の髪って、黒くてサラサラでボリュームあるからいじりがいあるわ」


「お手柔らかに頼むよ」


 そしてさらに、玲花は潮音の顔にうっすらとナチュラルメイクを施した。潮音はそのときの玲花の慣れた手つきから、玲花は高校生になっておしゃれに磨きをかけたことをあらためて感じていた。


 潮音の身支度が一段落すると、潮音は思い切って玲花に聞いてみた。


「尾上さん…椎名は南陵の体育コースで水泳部の強化選手になったんだよな。ちゃんと元気でやってるのかよ」


「潮音…今の自分の姿を椎名君に見られたらどないしようとか思っとるん?」


 それから玲花は、少し表情を曇らせて口をつぐんでしまった。そこから潮音は、浩三と玲花の間に何か起きたのだろうかと少しいぶかしんだ。


  しかしそのとき、チーズケーキが焼き上がったことを知らせるオーブンの音が鳴った。潮音は浩三のことについて玲花に尋ねるタイミングを逃してしまったと思いながらも、そこでオーブンからケーキを取り出すと、台所中に香ばしいにおいが漂った。それには優菜や玲花も歓声をあげた。


「なかなかうまくできたやん」


 優菜に言われると、潮音も照れくさそうな表情をした。


「姉ちゃんがいろいろ作り方教えてくれたおかげだよ。ほんとは誕生日のケーキというと、もっと飾りつけをしたようなものにした方がいいかと思ったけど、今のオレの力じゃこれが精一杯だからな」


「そんなの気にすることないやん。たとえシンプルなケーキでも、潮音が心を込めて一生懸命作ったものやったら、アッコは絶対喜んでくれるはずやと思うよ」


 その優菜の言葉に、潮音は思わず表情をほころばせていた。


 そして潮音はチーズケーキの上にうっすらとパウダーシュガーをまぶした。さらに潮音は誕生日を祝うメッセージカードを添えて、ケーキをおしゃれな感じのする箱に収めると、その箱の上からカラフルなリボンを結びつけた。


「なかなかかわいくできたじゃん。暁子ちゃんだってきっと喜ぶと思うよ」


 綾乃に言われて照れくさそうにしながら、潮音は綾乃や優菜、玲花と一緒に自宅を後にした。それを則子は笑顔で見送ると、奥の部屋で肩身が狭そうに新聞を読んでいた雄一に感慨深そうに声をかけた。


「暁子ちゃんの誕生日に手作りのケーキを焼くなんて、潮音もだいぶ成長したじゃない。私たちもあまり下手な心配などせずに、子どもたちのことをおとなしく見守ってやるのがいいのかもね」


 ご機嫌そうな則子を横目に、雄一はいささか複雑そうな表情をしていた。


 しかし潮音はみんなで暁子の家へと向かう途中も、心の中では浩三のことに話題を振ったときの、玲花のやや気づまりそうな表情が気になっていた。それでも潮音は、せっかくパーティーに向けて気分が盛り上がっているときに、そのようなことを口にするのは気が引けるような思いがしたので、そのまま口をつぐんでいた。

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