第二章・嵐の予兆(その1)

 入学式の翌日、潮音と暁子、優菜の三人は連れだって松風女子学園へと続く坂道を登っていた。三人のカバンの中には、泊まるのに必要な着替えや洗面用具などが詰め込まれていた。今日と明日は、街から北に上がった高原にある学校附属の宿泊施設で行われる、一泊二日のオリエンテーションだ。


「持ち物で何か困ったことなかった?」


 暁子は潮音に尋ねた。


「ヘアドライヤーとか髪を止めるゴム、簡単な化粧用品など、女の子が出かけるのに必要な小物はだいたい姉ちゃんが用意してくれたからね」


「よかったじゃん」


「でも姉ちゃんったら、女の子同士で泊りがけで出かけるときくらい、下着はかわいいのつけておけって言うんだもの」


 潮音がそう言って自分の胸のあたりを気恥ずかしそうに見渡すと、暁子も思わず赤面した。


「バカ」


 そのような話をしながら三人が学校に着くと、すでに校門の前には貸切バスが何台か停まっていた。校門のところに集合していた少女たちは、みんなオリエンテーションが楽しみらしく、明るい表情でみんなおしゃべりに花を咲かせていた。


 潮音がなかなかその輪の中に入ることができずに、どこか落ち着かない面持ちをしていると、その背後から声がした。


「どうしたの? 藤坂さん。相変らず緊張してるじゃん」


 声の主は吹屋光瑠だった。周囲の少女たちと比べて背が高め光瑠は、少女たちの間でも目立って見えたが、元気で屈託のない明るい雰囲気は、昨日の入学式のときと全然変っていなかった。


「藤坂さんももっとみんなと仲良くすればいいのに」


 光瑠はそう言って、潮音の背をそっと押して少女たちの中に連れていった。しかしそこで、潮音は峰山紫と鉢合わせになってしまった。


 いざ紫の姿を目の当たりにして、潮音はますます心の中で緊張の糸がはりつめていくのを感じずにはいられなかった。紫も潮音のそのような様子には何か感じるものがあるらしく、潮音の顔をしげしげと見つめながら口を開いた。


「藤坂さん…よね。あなたとはちょっと話したいことがあるの。今日の晩にでも会ってくれないかしら」


 潮音は紫のつぶらな瞳が、あたかも潮音の心の中まで見透かしているように思えて、あらためて身震いした。しかしそこで紫は、周囲の少女たちに声をかけた。


「そろそろ出発時間よ。みんなクラス別に分かれて整列しなさい」


 そこで潮音や暁子とはクラスが別の優菜は、別の列に並んだ。しかしここで、潮音は紫が生徒たちを前にリーダーシップを発揮しているのを目の当りにして、あらためてすごいと思わずにはいられなかった。


──すごいな…。威厳というかなんというか、あの子がいるだけで学年全体の気が引き締まるような感じがする。


 生徒たちがクラスごとに分れて貸切バスに乗り込み、バスが走り出すとさっそく生徒たちはおしゃべりやゲームを始めた。暁子は中学時代の写真を入れたアルバムを持ってきて、まわりの少女たちに見せていた。光瑠をはじめとする中等部組は、その写真を興味深げに眺めていた。


「中学では男子と一緒に体育祭とか文化祭とかやるんだ。やっぱり彼氏とかできる子いるの?」


「そんないいことばかりじゃないよ。男子とケンカすることだってしょっちゅうだし」


「でも石川さんの中学の制服はセーラー服だったんだ。いいなあ」


 暁子のセーラー服姿には、キャサリンも熱い視線を向けていた。


「これがセーラー服ですか。私も日本の漫画やアニメでしょっちゅう見てたけど、実際にセーラー服着てる写真見るのは初めてです」


「私も中学の制服まだ持ってるから、キャサリンもいっぺん着てみる? 良かったら持ってきてあげるよ」


「ほんとですか?」


 暁子に言われて、キャサリンは一気に表情をほころばせた。しかし潮音は、その様子をどこかよそよそしい表情で眺めていた。


──女って制服のことで、なんでこんなに盛り上がれるんだろう。


 しかしここで、暁子から手渡されたアルバムを眺めていた、中等部組の長束恭子が口を開いた。


「藤坂さんも石川さんと中学一緒だったんとちゃうの? 藤坂さんの写真はあらへんの」


 恭子の疑問に対して潮音が答えに窮していると、暁子がさっそくスマホにタッチして、卒業式の日の晩、潮音と暁子、優菜と一緒にセーラー服姿で撮った写真を光瑠に見せた。これには恭子もいちおう納得はしたようで、潮音はとっさに助け舟を出してくれた暁子の心づかいに内心で感謝した。


 ここでまた、暁子のスマホに保存された写真を見た光瑠が口を開いた。


「藤坂さんってセーラー服着ても似合ってるじゃん。でもなんか藤坂さんだけ照れくさそうにしてるけど、そこがかえってかわいいよね」


 潮音は光瑠が明るい口調で話すのを聞きながら、どう答えたらいいか戸惑っていた。


「潮音はああ見えてけっこう照れくさがりのところがあるからね」


 暁子は適当に話を取りつくろったが、その言葉はさらに光瑠を調子づかせたようだった。


「藤坂さんって一見かっこよさそうに見えるけど、実はけっこうシャイなんて、そのギャップがまたかわいいじゃん」


 潮音は光瑠の明るく屈託のない様子で「かわいい」という言葉を連発するのに、ただまごまごするのみだった。


 その間にもバスは高速道路に乗って市街地を抜け、車窓にも緑が目立つようになった。キャサリンにとっては、こういう日本の景色は何もかも新鮮に目に映るらしく、熱心に車窓を眺めては周囲の少女たちにいろいろ話しかけていた。しかし潮音は、女子たちに囲まれながらバスに揺られる行程にいささか疲れと緊張を感じていた。


「もし男子がいたら、この辺でバスガイドに向かって卑猥なジョークを飛ばすやつも出てくるかもな。夜になったら下ネタで盛り上がったりプロレスごっこやったり、こっそり持ってきたエロ本広げたりするからな」


 潮音がこう言うのを聞いて、暁子は潮音をにらみつけると、手のひらをぎゅっとつねり上げた。恭子もそのような潮音の様子を見て、少々眉をひそめながらもきいてみた。


「共学の学校ってそんなもんなん?」


「ああ。男女共学の学校にはかっこいい男子がいて彼氏ができるなんて思ってたら大間違いだよ。少女マンガに出てくるイケメンとか見てると、こんなやつがいったいどこにいるんだとか思うもの。男子なんて口を開けば下ネタばかり言うし、年がら年中バカ騒ぎばかりやってるし、運動部の部室なんて汗臭いし汚いし」


 潮音は松風の生徒は男子と接する機会がない分、男子に対して変な幻想を持っているのかもしれないと思った。しかしそこで光瑠が、あっけらかんとした表情で横から口をはさんだ。


「そうだよね。あたしもお兄ちゃんと弟がいるけど、家の中がドタバタ騒々しいし。でも女の子同士だってエッチな話するよ。うちの学校の部室だって散らかってるし。でもうちみたいな女子校の方が、男子の目を気にせず自然にのびのびできていいかな。何年か前には共学化しようという話もあったみたいだけど、生徒会も卒業生もみんな反対して撤回されたし」


 潮音はその話を聞きながら、これから夜になったらどうなるかと思うと身震いがした。しかしそこで暁子が、悪戯っぽい口調でそっと潮音に耳打ちした。


「少女マンガのことなんかよく知ってるじゃない」


「姉ちゃんがそういうマンガ持ってて、昔から自分もそういうの読んでたからね」


 潮音が笑顔で答えると、暁子は呆れたような表情をしていた。


 しかしその傍らで、恭子は潮音と暁子に対して、いささか冷ややかな視線を向けていた。彼女の勘は、潮音は松風に中等部からいるどの生徒とも、いや高等部から入学した生徒ともどこか違うということをしっかりと見抜いていた。


──あの藤坂さんという子、なんかほかの子とは全然ちゃう感じするな…。口調もなんかさばさばしとるし、こんな子初めてやわ。石川さんも藤坂さんとはえらい仲よさそうやけど、単に中学一緒だけやったらそこまではいかへんわ。石川さんは藤坂さんのこと、わかっとるんやろか…。


 恭子の心の中には、疑念がつのっていくばかりだった。

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