第二章・嵐の予兆(その2)

 そうこうしながらバスが高原にある松風女子学園の宿泊施設に着くと、まずは学校生活の心構えやら進路の話やらについて久恵の講話があった。これからは女性も男性と平等に社会に進出し、自立して活躍する時代だから、その自覚をしっかり持って勉強に励み、規律正しい生活を送るようにとかいう久恵の講話を、生徒たちは退屈そうな面持ちで聞いていたが、その後にはクラスごとに集まって、クラス委員を決めることになった。


 潮音たちの所属する桜組では、委員長に紫を推す声もあがったが、紫は生徒会の仕事で忙しいことを理由に辞退した。そこで委員長は光瑠で決まったものの、二人の副委員長は立候補する生徒がなかなか現れなかった。


 そのときクラスの一部から、「寺島さんがやればいいんじゃない?」という声が聞こえてきた。潮音がその寺島琴絵てらしまことえという少女に目を向けると、眼鏡をかけて落ち着いた、地味で目立たない感じのする少女だった。琴絵は特にいやそうな顔もせずに副委員長の職を引き受けたが、潮音は一部の少女たちの琴絵に対する態度が気になっていた。


 続いてもう一人の副委員長を決めることになったとき、美咲が一つの提案をした。


「二人目の副委員長は、高等部から入った子がやればいいんじゃないかしら。高等部から入った子にも、早く学校に慣れてもらわないとね」


 しかし高等部から入学した生徒たちは、なかなか自分から声を上げようとしなかった。そこで生徒たちの沈黙を破るかのように、よく通る元気のいい声が上がった。


「はい。それやったらあたしがやります」


 その天野美鈴あまのみすずという名前の関西訛りの少女は、小柄でややボーイッシュで、いかにも快活そうな感じがした。


「あたしも高等部から入ったばかりで、松風のことはようわからんことかて多いけど、はようみんなと友達になりたいという気持ちは、誰にも負けへんつもりです。どうかよろしゅうお願いします」


 美鈴の明るく積極的な雰囲気に、その場にいた生徒たちはすっかり乗せられてしまった。ほかに副委員長に立候補する生徒もいなかったため、二人目の副委員長はそのまま美鈴に決まった。


 それから今晩泊まる部屋の割当てをどうするかを決めた後、クラスの目標をどうするかとかいった話合いが持たれたが、そこでクラスの委員長に選ばれた光瑠は、はっきりとした口調でてきぱきと議事を進めていった。紫は聞き役に回りながらもところどころで適切なフォローをしたり、他の生徒にも発言の機会を与えたりしており、その傍らでは琴絵が書記として議論の内容を筋道立ててホワイトボードにきちんとまとめていた。潮音はリーダーシップを発揮してチームをまとめていく紫や光瑠の力量を見て、やはり彼女たちにはかなわないと感じていた。


──女子校だと下手に男を頼りにしたりしないだけ、みんなしっかりしてるのかもしれないな…。


 そこで潮音は、自分自身男だった頃は、紫や光瑠のような威厳やリーダーシップなどないくせに、どこかにクラスの女子を見下すような意識がなかったかと思って、いささか気恥ずかしい思いがした。



 クラス討議が終ると、美咲が元気よく生徒たちに声をかけた。


「これからクラス対抗でスポーツをやる時間だわ。チーム分けはどうすればいいかしら」


 クラスのみんなで体育館に向かい、更衣室で体操服に着替えるときには、潮音はさすがにごくりと生つばを飲み込んだ。潮音が制服のブラウスのボタンを外しながらちらりと周囲に目をやると、周囲の少女たちは何ら気兼ねすることなく、にぎやかにおしゃべりしながら体操服に着替えている。そこで潮音は我に返ると、周囲の視線を少々気にしながらも、なんとか顔を伏せてそそくさと着替えを済ませた。それでもスカートのプリーツを乱さないようにきちんと畳むのには、少々手間取ってしまった。


 潮音が体育館に足を踏み入れると、他のクラスの生徒たちもすでに体育館に集まっていた。潮音はバスケットボールをやることにしたが、そこでクラスごとに集まってチーム分けを行うときになって、一部の少女たちは内気で運動が苦手な琴絵と同じチームになるのを露骨に嫌がるようなそぶりをした。その様子を見て潮音は、入学式のとき以来感じていた重苦しい感情をこらえられなくなって、思わず声をあげていた。


「そんな態度とることないだろ。これは勝ち負けがどうとかいう試合じゃないんだから」


 潮音の一声で、先ほどまでは琴絵に対して敬遠するような態度を取っていた少女たちもしんと静まり返った。特に紫は、高等部から入ったばかりの潮音が、いきなり物怖じせずにみんなに向けて声を上げたことにいささか驚きの目を向けていた。


──あの子…なかなかいい根性してるじゃん。


 そのような紫の様子など気づかぬかのように、琴絵は少々気恥ずかしそうな表情をして、ぼそりと口を開いた。


「…いいです。私はタイムとスコアの係をやるから」


 そこでなんとかチーム分けも決まってゲームが始まると、潮音は光瑠のプレイに目を奪われていた。光瑠はボールをドリブルで巧みに操りながら、相手のマークを軽々とかわしてコートの中を所狭しと走り回り、シュートを豪快に何本も決めてみせた。まわりの少女たちの視線は、そのような光瑠の姿に釘付けになっていた。


 その一方で、潮音は先ほどクラスの副委員長に名乗りを上げた天野美鈴の姿に目を向けていた。彼女は小柄ながら相手のマークをかわしてきびきびと敏捷に動き回り、パスを巧みに回していた。


 しかし潮音も、コートの中ではうかうかしている余裕などなく、パスを回されることもしばしばあった。潮音はこの際余計なことなど考えずにゲームに集中しようと思い直すと、自らも積極的にボールを取りに行ってシュートも何本か決めることができた。潮音は体を動かして汗をかくことで、心の中に積もっていたわだかまりを多少なりともほぐすことができたような気がした。


 ゲームが一セット終ると、光瑠の周囲にクラスの少女たちが集まってきて、歓声を浴びせた。中には光瑠にハイタッチをする少女もいたが、光瑠は笑顔でそれに応えていた。潮音がその少女たちの反応にいささか呆気に取られていると、暁子が潮音に声をかけた。


「潮音、なかなかがんばったじゃん」


「でも吹屋さんが、あんなにバスケうまいとは思わなかったよ」


 その潮音と暁子の会話を聞いていた紫が、二人に声をかけた。


「光瑠はバスケ部に入ってるからね。その背の高さも武器になってるんじゃないかしら。中等部には、光瑠がかっこいいと言ってバスケ部に入る子もいるみたいよ」


 そこで潮音は、少女たちが光瑠に熱い視線を向けているのには、単にバスケットボールが上手なだけではない、もっと深い背景があるのではないかと思って、いささか複雑な面持ちになった。

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