第一章・新しい日(その6)

 潮音が校門を後にすると、傍らにいた優菜はスマホをチェックしていた。しばらくSNSで何かやりとりをした後で、優菜は潮音と暁子に顔を向けた。


「尾上さんも南陵の入学式終ったから、こっち来るんやって。駅前の広場で待っといたらええと言うとったわ」


 中学生のときに男子としてひそかに想いを寄せていた尾上玲花の名前を聞いて、潮音は少々びくりとした。


「どうしたの? 藤坂さん」


光瑠は潮音の様子を見て、怪訝そうな表情をしていた。


「いや、別の高校行った同じ中学の子も、今日入学式だったから会おうって…」


「学校別になっても友達っていいよね」


 光瑠の屈託のない様子を見て、潮音は自分は中学生までは男子で、これから会おうとする玲花にひそかに想いを寄せていたことを光瑠が知ったらどんな顔をするだろうと思っていた。


 しばらくして、潮音は駅前の商店街に向かう途中で、光瑠に思いきって尋ねてみた。


「あの…うちのクラス担任の吉野美咲先生ってどんな先生なの」


「いい先生だよ。理事長先生の娘で、まだ大学出てからそんなに経ってないけど、あまりえらそうにすることもないし、勉強以外にもいろんなことで気さくに相談に乗ってくれるし、なによりあの先生がいるとクラスがぱっと明るくなるからね。あたしたちの間では『みさきち』って呼ばれてるんだよ」


「じゃあ学年主任の牧園先生って…」


「牧園先生はうちの学校に昔からいるみたいなんだけど、生徒指導とか厳しいのでみんなの評判はあまりよくないね。『牧園のクソババア』なんて陰で言ってる子もいるけど」


 そこで潮音は、先ほど理事長室に呼び出されたときの、久恵の心の内まで見透かしたような視線を思い出して、身が縮こまるような思いがした。


 そのとき潮音は、自分たちのすぐそばをカラフルなランドセルを背負い、服も髪型もかわいらしい感じにまとめた小学生の女の子たちの一群とすれ違った。小走りに通り過ぎていく小学生たちの姿に、キャサリンも目を丸くしていた。


「ランドセルってなんかかわいいですね」


「以前は男の子は黒、女の子は赤と決ってたけど、最近はいろんな色があるからね」


 光瑠の説明をキャサリンが興味深そうに聞く中で、潮音は小学生たちの元気で屈託のない様子を見て、はっと息をつかされた。自分にはあの少女たちのように、「女の子」として生きてきた過去などない…そう感じると、潮音は自分一人が場違いなところに放り込まれたような場違いさや、果たして自分はここにいてもいいのだろうかという後ろめたさを覚えずにはいられなかった。


 しかし光瑠はそのような潮音の心の内など素知らぬかのように、明るい口調で皆に話しかけていた。


「いつかみんなで一緒にカラオケにでも行かない? キャサリンが英語の歌歌うところ聞いてみたいな」


 キャサリンがニコニコしている傍らで、暁子と優菜はロンドンにもカラオケがあるのだろうかといぶかしみながら顔を見合わせていた。しかしここでも潮音は、もし自分がカラオケに行ったとしても、これまで自分がよく聴いていた男性ロックグループの歌はなかなか歌えないだろうし、かといって女性歌手の歌を歌うのもいまいち似合わないだろうし、いったいどんな歌を歌えばいいんだろうと考えていた。


 そのようにして一行が駅に近づくにつれて、辺りもにぎやかな市街地になっていった。そこで呉服屋の前を通りかかると、そのショーウィンドーに飾られた着物の色鮮やかな生地に、キャサリンは目を引きつけられていた。


「私もいっぺんこんな着物を着てみたい…」


 そのキャサリンのうっとりするような表情を目の当りにして、潮音は中学校の卒業式の日、祖父の屋敷で令嬢の形見の着物を身にまとったときの、胸の奥が甘酸っぱくなるような感触を思い出していた。


「確かに着物ってきれいだけど、けっこう窮屈だよ。着るのめんどくさいし」


「藤坂さんって着物着たことあるんですか。いいなあ」


 キャサリンは潮音の話の内容など、まるで聞いていないようだった。


「うちの学校の華道部では、お茶会のときには着物着ることだってあるのよ。この華道部の部長はさっき言った椿先輩がやってるんだけど、先輩が着物着たらほんとにきれいだったんだから。それに礼法の授業でも、七月になると浴衣の着付けの仕方を習うの。今年の夏には、キャサリンも一緒に浴衣で夏祭りか花火大会に行けるといいね」


 キャサリンは光瑠の話を、目を輝かせながら聞き入っていた。


 駅の近くの本屋にみんなで入ると、キャサリンは真っ先に漫画の売場に向かい、漫画を手に取って熱心に見ていた。その様子には、潮音や暁子もいささか呆気に取られていた。


「最近は英国などのヨーロッパでも、日本の漫画は人気があるんですよ。こうやって本物が読めるなんて感激です。いつかアキハバラにも行ってみたいなって思ってるんですが、そのときは案内してくれないでしょうか」


 潮音と暁子はお嬢様然としたキャサリンの意外な一面を知って苦笑した。



 駅前で光瑠やキャサリンと別れた後、潮音は暁子や優菜と一緒に玲花を待つことにした。何本か電車をやりすごした後で玲花が改札から出てきたが、その玲花のいでたちを見て潮音たちは呆気に取られた。というのも、玲花はブレザーにタータンチェックのプリーツスカートという、女子高生の制服と変らない装いをしていたが、その髪型や服の着こなしはどこかギャルっぽさを感じさせたからだった。


「尾上さん…南陵って制服ないんやなかったの?」


 優菜が怪訝そうな顔を向けても、玲花はあっけらかんとした様子を崩そうとしなかった。


「これはなんちゃって制服と言うんよ。そりゃ南陵は制服ないし、卒業式なんかコスプレみたいな恰好して来る子かておるみたいやけど、たまにはこういう女子高生らしい恰好かてしてみたいやん」


 潮音たちは中学では優等生らしく振舞っていた玲花が、高校に入ったとたんに様子が変わったことにいささか面食らっていた。しかし玲花は、潮音たち三人を見まわした上で、特に潮音に目を向けていた。


「松風の制服もけっこうかわいいやん。でもこの女子高生が藤坂君やなんて、今でも信じられへんわ」


 そこで優菜が、みんなに声をかけた。


「こんなところで立ち話もなんやから、どっかそのへんでお茶でもしていかへん?」


 そこで潮音たち四人は、駅の近くにある喫茶店に入った。飲み物を注文して席につくと、潮音は中学生の頃からひそかに憧れていた玲花と喫茶店で同席するというシチュエーションに、いやおうなしに胸が高鳴らずにはいられなかった。


 四人でテーブルを囲んで席につくなり、優菜は思いきり伸びをして息をついた。


「なんか疲れたわ…。松風の子ってみんなかわいいだけやなくて、いかにもお嬢様って感じで勉強もできそうやし、うちらとは全然ちゃうもん。イギリスから留学してきた子かておるし」


「南陵かて男女共学やけど、進学コースに来る子はみんな頭良さそうやからね。ましてスポーツ推薦なんて、その道のエリートばかりやし」


 優菜や玲花の話を聞いて、潮音もため息をついていた。


「優菜の気持ちわかるよ…。オレなんかこれからどうすりゃいいんだろう」


「藤坂君は今でも、うちらの前では『オレ』と言うんやね。でも今は、『優菜』と下の名で呼んどるやん」


 玲花は潮音の様子に少し安堵したような様子を浮かべながらも、キャサリンについての話を興味深そうに聞いていた。そこで暁子も、口を開いた。


「キャサリンって話し方も丁寧だし、礼儀正しくておしとやかな子だよね」


 そこで潮音も暁子に答えた。


「ああ…並の日本人よりずっと『大和撫子』って感じがする。それに偉いよね。高校で親元を離れて、たった一人で外国に留学するなんて」


 そこで暁子は、軽く笑みを浮かべて言った。


「あんたと一緒だね」


 そう言われて潮音は、意表を突かれたような思いがした。


「どういう意味だよ」


「あんた見てるとつい思っちゃうんだ。あんたってこないだまで男の子だったからこそ、逆にかえって普通の女の子より女らしいんじゃないかってね。変な言い方だけど」


「何言ってるんだよ」


「さっきあんたが街歩いてたときだって、店のショーウィンドーにかわいい服やおしゃれな服が飾ってあったら、けっこう熱心に見てたじゃん」


 そのように言われて、潮音はすっかり赤面していた。


「いや…姉ちゃんに着せ替え人形にされるのも最初はいやだったけど、気がついてみたら女物の服って男物よりずっとバリエーション広いしさ…いろいろ服選んでみるのも楽しいかなって…」


「なんだかんだ言って、あんたもけっこう女の子の生活を楽しんでるじゃん」


「どうだっていいだろ」


 潮音はふて腐れた表情をした。

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