第一章・新しい日(その4)
そうしているうちに入学式の始まる時間が来て、新入生たちは講堂の前で整列して開場を待つことになった。潮音もその列に混じって辺りを見回してみると、自分は少女たちの間でも光瑠にはかなわないとはいえ、背が高い方なのに気がついた。潮音は自分が男だったころは、小柄で背が低いことに対してコンプレックスを抱いていたが、あの鏡もどうやら自らの背丈まではいじることができなかったらしいと思うと、いささか複雑な気持ちになった。
しかしそれよりも潮音は、少女たちが講堂の前に整列してずらりと並ぶ姿を目の当りにして、圧倒されるような思いがした。もちろん潮音も彼女たちと同じ制服に身を包んではいたとはいえ、やはり何かが違うのだ。制服の着方にしても、身のこなしにしても、彼女たちにはほとんど不自然さが感じられない。
特に潮音が気になったのは、少女たちのスカートだ。松風女子学園はさすがお嬢様学校と言われているだけあって、スカートの丈を極端に短く切りつめたり、ブラウスをだらしなく着崩したりしている生徒は見かけなかったが、中等部からの少女はほとんどが、スカートを膝丈よりも心持ち短めにしていた。しかもその長すぎもせず、短すぎもしないスカートの丈がかえってセンスを感じさせた。
潮音は整列した少女たちの、スカートから伸びた脚を目の当りにすると、彼女たちが背伸びすることなく自然に「女」としての自分を出していることに対して、気後れを感じずにはいられなかった。
潮音が列に交じって講堂の中に足を踏み入れると、体育館にパイプ椅子を並べたなどといったものではなく、高い天井のホールに、座席が舞台に向かってずらりと並んでいた。潮音は席についてからも、ただスカートの下で足を固く閉じて式典が早く終るのを待つしかなかった。
理事長の祝辞が終ると、潮音の一年上の背が高くてすらりとした体格の生徒が、在校生を代表してあいさつを行った。彼女の名前は
式典が終ると、各クラスの教室に戻ってホームルームを行うことになっていた。講堂から出たところで、出席番号順の関係で潮音の隣の席にいた光瑠が声をかけた。
「藤坂さん、大丈夫? すごく緊張してたじゃない」
その一言で、潮音はようやく緊張をときほぐすことができた。しかしその様子を見て、光瑠と潮音のもとに寄ってきたのは、ほかならぬ紫だった。
「やはり高等部から入った子は緊張するみたいね」
紫が自分に声をかけてきたので、潮音はどきりとした。しかし紫の方も、潮音の顔を見て少々気づまりなものを感じたようだった。
「あなたとは前にどこかで会ったような気がするの。教室に戻るとクラス全員で自己紹介をするから、そのときにあなたのことも教えてくれない?」
紫が屈託のない笑顔を浮かべるのを見て、潮音の心の中ではますます緊張の糸が張り詰めていった。
クラス毎に分かれて教室に入ると、中等部から持ち上がりの生徒たちは、すっかりうちとけた様子で同じクラスになれたことを喜び合ったりしている。そして、はじめは緊張していた高等部からの編入組も、席が近い者同士でSNSのメッセージを交換し合ったり、おしゃべりに花を咲かせたりしていた。その中でもキャサリンはさっそく、皆の注目の的になっていた。
潮音はこういった少女たちの様子を見ながら、こうやってすぐに顔見知りになれる点では、女の子の方が人づきあいがうまいのかなとふと考えていた。しかし潮音は、ここの少女たちは男子がいない分、中学校で見た女子よりもより気負わずに生き生きと活発にふるまっているように感じて、自分もその輪の中に入っていけるのだろうかと不安を覚えずにはいられなかった。
潮音の所属する桜組の担任は、英語を担当している二十代の、髪をソバージュにした、まだ若いぽよぽよした感じのする女性教師だった。彼女の名は
美咲は一通り話が終ると、クラス全員が簡単な自己紹介をするようにと言った。暁子が活発な声で自己紹介をしたのに対して、キャサリンの自己紹介のときには、生徒たちの間にざわめきが起きた。
やがて潮音にも自己紹介の番が回ってきたが、潮音がそそくさと簡単に自己紹介をする合間に紫の顔をちらりと見ると、紫は「藤坂潮音」という名前を聞いて明らかに戸惑いと動揺の色を顔に浮かべていることがありありと見て取れた。潮音は自己紹介を終えて席についてからも、紫に対して気後れに似た感情を抱かずにはいられなかった。
自己紹介が終ると、さっそく紫と光瑠が中心になって、高等部からの新入生に校内を案内して回ることになった。そのときに潮音がまず気がついたことは、校内にゴミが散らかっておらず、机の並びも整然としていたことである。潮音やはり伝統のある女子校は違うと思わされると同時に、自分は中学にいたころは教室の中で男子同士でつるんで悪ふざけばかりしていたことが恥ずかしく思い出された。
次に潮音が注目したのは、畳を敷きつめた部屋だ。
「うちの学校には礼法の時間があって、マナーを学んだりするのよ。冬になると、ここで百人一首の大会をするんだけど、けっこう盛り上がるんだから。あと箏曲のクラブだってあるし」
光瑠の説明を聞きながら、特にキャサリンは目を見開いて、その礼法室の様子を興味深そうに眺めていた。
ほかにも音楽室やパソコンルーム、理科室や図書室など、設備の充実ぶりに潮音は目を見開かれた。さらに一行が校舎を出て体育館に向かうと、キャサリンはさっそく体育館のそばにある弓道場に目を向けた。
「うちは剣道部や弓道部などの武道もさかんなんだよ。剣道部にはさっき入学式で在校生代表のあいさつをした、高等部生徒会長の松崎千晶先輩もいるんだ」
光瑠の話をキャサリンは興味深げに聞いていた。
「私もロンドンで剣道の道場に通っていました。先生は日本人で、指導は厳しかったけどいろんなことを教えてくれました。でも弓道も面白そうですね」
「ロンドンにも剣道の道場があるんだ」
キャサリンの話を、一同は驚きの表情で聞いていた。
そしてその近くには、テニスコートが何面かあった。しかしそこで、紫の傍らにいた、髪をツインテールにした、小柄でどこかあどけなさの残る、
「峰山さんはテニスもすごく得意なんよ。テニス部からもスカウトが来とるんやけど、バレエの練習と生徒会の活動で忙しいからね」
調子よさげに話す恭子に、紫はどことなくやれやれとでも言いたげな視線を向けると、恭子もそのような空気を察して黙ってしまった。そこで潮音は、恭子と紫との間の関係には何かありそうだと感じ取っていた。
体育館に入ると、一階は体育館で地下は室内温水プールになっていた。潮音は中学で水泳部に所属していた当時は、学校のプールを使えたのは夏場だけで、冬はたまに公営の温水プールを借りる以外は、もっぱら筋トレなどを中心に行っていたことを思い出した。潮音はふと、中学ではどの部員も夏場になると日焼けで水着の跡を残して真っ黒になったけれども、ここだったらこんなこともないのになと考えていた。しかしそこで、自分の素肌に水着の形の日焼けがついている姿を想像すると、やはり気恥ずかしい思いがした。
潮音はしばらく、プールのギャラリーから水面がじっと揺れるのを眺めていた。暁子はその横顔を見て潮音の心中を察すると、そっと潮音の手を引いてプールを後にした。
学校案内の最後は、おしゃれな雰囲気のカフェテリアだった。
「このカフェテリアは生徒のたまり場になっていて、よくここでおしゃべりをしたりするんだよ」
このように話すときの光瑠の表情は、どこか楽しそうに見えた。
このカフェテリアの一角では、先ほど在校生代表のあいさつをしていた松崎千晶が、同じ学年の髪を伸ばした、おっとりとした穏やかで気が優しそうな少女と、紅茶の入ったカップを手にしながら談笑していた。しかし潮音にしてみれば、むしろ主に中等部の少女が何人か、うっとりするような面持ちでこの二人を遠巻きに眺めていたことの方が気になった。
「あそこで話しているのがさっきも話した生徒会長の松崎先輩よ。一緒にいるのは
紫が話していると、千晶と絵里香も紫たちに気がついたようだった。
「峰山さんも高等部になったのね。今は高等部から入った子に校内を案内してるの?」
千晶に尋ねられると、紫もどこか落ち着きなくもじもじしていた。クールに落ち着きはらった姿勢を崩そうとしない千晶の傍らでは、絵里香がティーカップを手にしたまま、笑顔で潮音たちに視線を向けていた。
「なんか高等部から入った子って、かわいいわね」
絵里香はそのように話す間も、にこやかな笑顔を浮かべたままだった。潮音は自分のことを「かわいい」と呼ばれてびくりとしたが、そこで光瑠が話し出した。
「去年の学園祭の劇はすごかったんだよ。松崎先輩が男役、椿先輩が女役をやったんだから。松崎先輩は渋っていたところをなんとか引き受けたらしいけど、それが二人ともすごいはまり役で、それ以来中等部の子たちの間にえらく人気が出ちゃってね」
「吹屋さん、余計なことまで言わないでよ」
困ったような表情を浮かべた千晶を、絵里香がすかさずフォローした。
「千晶もそんなに恥ずかしがることないじゃん。ともかく高等部から入った子も、早く学校に慣れるといいね」
カフェテリアを後にしてからも、潮音の心の中では特に千晶の背が高くてすらりとしたスタイルや、絵里香のまるで人形のようなかわいらしく整った顔立ちが特に印象に残っていた。
ひととおり校内を回って教室に戻る途中、潮音はいささか疲れ気味にそばにいる暁子に向かってぼそりと口を開いた。
「やっぱ私立の学校って金あるんだな」
「あたしもお母さんからさんざん言われたよ。『松風は授業料高いから、ちゃんと勉強しなかったら承知しないよ』って」
暁子はため息まじりに答えた。
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