第一章・新しい日(その3)

 潮音たちが松風女子学園に近づくにつれて、まわりに制服姿の少女たちが増えていった。襟元のリボンの色が違うのは中等部の生徒たちだ。


 松風女子学園は中等部と高等部が同じキャンパスにあり、体育祭や文化祭、クラブ活動などは中高一緒に行われる。高等部の生徒も三分の二ほどは中等部からの持ち上がりである。潮音はまわりの少女たちの姿に目を奪われていた。


「なんかこうして見ると、松風の中等部の子ってかわいいよね。いかにもお嬢様って感じで。今まで通ってた中学の女子とは全然雰囲気が違うよ」


「…どういう意味よ。なんかひっかかるわね。言っとくけど、あんただって中学入ったころは気の弱そうな男の子だったんだからね。それが中学入ってから下ネタばかり口にするようになって」


 暁子はふて腐れた表情をしていた。


 そうこうしながら潮音たちが高台にある松風女子学園の校門の前まで来ると、沿道に植えられた満開の桜並木に花びらがはらはらと舞っていた。そこで潮音たちは、色白でブロンドの髪の、レンガ色の瞳をした目鼻立ちがパッチリとした少女が一人、通学路を歩きながら舞い散る桜の花びらをうっとりと眺めているのに気がついた。


「外国からの留学生も来てるんだ」


 暁子がその少女に目をとめる傍らで、潮音はその少女が桜の花を眺めるときの嬉しそうな表情がとりわけ印象に残っていた。


 桜並木を抜けた校舎の前には、張り出されたクラス分けの紙の前に人だかりができており、それを見た生徒たちが結果に一喜一憂していた。


「松風ってクラスの名前も桜組・梅組・すみれ組・萩組・菊組・かえで組というんやね。風流な感じするやん」


 優菜が話している傍らで、さっそく暁子はその紙を見て歓声をあげた。


「よかったじゃん、潮音。同じ桜組で。優菜は楓組で、クラス別になっちゃったけど」


「オレと暁子とは腐れ縁なのかもしれないな」


 口ではそう言いながらも、潮音ももし暁子と別のクラスだったら、この見知らぬ世界でどのようにすればいいのかわからなかったかもしれないと思うと、暁子とクラスが同じだったことに内心で安堵した。そのそばでいささか残念そうな顔をしていた優菜を、暁子はそっと慰めた。


「優菜…気にしないでよ。クラス別でもこれからずっと仲よくすりゃいいじゃん」


 その傍らで潮音はしばらくの間、クラス分けの紙をじっと眺めていた。潮音の所属する桜組に「キャサリン・武藤むとう・カーライル」という名前があったときには、先ほど見かけた留学生らしい少女なのだろうかと思ったが、しばらくして潮音は、ある名前に目を止めた。そこには、「峰山紫みねやまゆかり」という名前が載っていた。潮音はその名前を見たとき、胸の奥にどきりとするものを感じた。


──よりによって峰山さんとこんなところで再会するとは…でも今のオレの姿を見たら、峰山さんはどんな顔するだろう。

  

 潮音が内心で動揺しているのを、暁子は怪訝そうな目で見た。


「どうしたの? 潮音。急に驚いたような顔して」


「いや、昔知ってる子がいたから…」


 そこで暁子も、潮音の心中を察した。


「あまり気にしすぎない方がいいよ」


 暁子はなんとか潮音をなだめると、その傍らで先ほどのブロンドの髪の少女が、青みのかった瞳できょとんとしながらクラス分けの紙を眺めているのに気づいた。そこで暁子は、その少女に思いきって声をかけてみた。


「あの…もしかしてキャサリン…さん?」


 そう言われて、ブロンドの髪の少女は軽くうなづいた。潮音が彼女にどう声をかけるべきかとまごまごしていると、キャサリンの方から微笑を浮かべてしゃべりだした。


「気にしないで下さい。私の母は日本人で、今はロンドンの大学で日本文学の先生をしています。だから私は小さいときから母に日本語を教わっていましたし、ロンドンには日本人の友達もたくさんいましたから」


 潮音はキャサリンがいきなり流暢な日本語で話し始めたのに驚いた。一方優菜は、「ロンドン」という言葉を聞いて目を輝かせた。


「イギリス人とのハーフなんや。でもええなあ…私もイギリス行きたいわあ。私は前からホームズとかクリスティの推理小説もずいぶん読んどったし、ハリー・ポッターやナルニア国物語も好きなんや」


 キャサリンは優菜の関西弁混じりの言葉に少々驚いていた。


「でもキャサリンは留学生なんでしょ? 今どこに住んでるの」

 

「今は祖父、つまり母の両親の家に住んでいます。母も祖母もこの松風女子学園の卒業生で、母は英国の大学に留学していたときに父と知り合って、そのままロンドンで結婚したのです。私はロンドンに生れて育ったけど、母は私が小さいころから、日本のことをよく話してくれました。だから私はそれ以来、ずっと日本に憧れていて、もっと日本のことをよく知りたいと思って、母や祖母も通っていたこの学校に留学することにしたのです」


 潮音はキャサリンが丁寧な言葉づかいで話すのを聞いて、どこかよそよそしい気分になった。


「ところであなたも私と同じ桜組ですか?」


「うん、私…は藤坂潮音というんだけど。でも…キャサリンって制服着ても似合ってるよね」


 暁子と優菜は、潮音がキャサリンを前にして変に身構えるような態度を取っているのを見て、互いに向き合って笑みを浮かべた。


「ええ、英国でもパブリックスクールにはたいてい制服がありますから。でも私は今まで日本の漫画やアニメを見て、日本の学校の制服にずっと憧れてました」


 キャサリンが嬉しそうにしているのを見て、潮音たちは顔を見合わせて苦笑いした。


「ところで藤坂さんの『しおね』ってきれいな名前ですね」


「『潮音』というのは『波の音』という意味なんだ。父が海が好きだったからこういう名前をつけたらしいけど」


「そんな話、初めて聞きました」


 キャサリンは目を丸めて、きょとんとした顔つきで答えた。しかしその次にキャサリンは、潮音のポニーテールにした髪をそっとなでてみた。


「でも藤坂さんの髪って、黒くて長くてさらさらで、ほんとに『ヤマトナデシコ』という感じできれいですね。私の母もそうです」


 潮音の髪を眺めるときのキャサリンの瞳は、どこかうっとりしていた。暁子と優菜はキャサリンが潮音を『ヤマトナデシコ』と呼ぶのを傍らで聞いて、吹き出しそうになるのを必死でおさえていた。そこで優菜が積極的に身を乗り出してきた。


「うちはキャサリンの桜組とは別の楓組になってしもたけど、これから仲良うしてな」


 そうこうしているうちに、キャサリンはさっそく少女たちの注目の的になって、多くの少女たちがまわりに集まってきた。しかしこの中から、一人のいかにもお嬢様然とした、気の強そうな感じのする少女が現れてつかつかとキャサリンの前に進むと、英語でキャサリンと話し出した。キャサリンも英語で受け答えしたが、その様子を見て潮音はどきりとした。その少女こそ、潮音が先ほどクラスの名簿で名前を見かけた、峰山紫だった。


「すごいね…あの子英語ペラペラじゃん」


 暁子も驚きの目で紫とキャサリンが話しているのを眺めていた。


 潮音が峰山紫の名を初めて知ったのは、小学校のときに通っていたバレエ教室だった。潮音と紫は小学校の学区が別だったので、顔を合わせるのはバレエ教室のときだけだったが、その頃から紫のバレエの実力は教室に通う子どもたちの中でも抜きんでていた。バレエのコンクールに出場しても、賞を取るのはいつも紫だっただけでなく、潮音も可憐な衣装を身にまとってバレエを演じる紫の姿にひきつけられていた。


 紫の側も、男の子がバレエの教室に通うのは珍しかったのか、潮音のことを目にかけてレッスンの後などにはいろいろ話相手になったりもした。その頃は潮音と紫も、あまり男女の違いを意識する年頃でもなかったが、その頃から服装もおしゃれで、態度も落ち着いて大人びた紫は、学校やバレエ教室で見かける他の女子たちとは違う気品を漂わせているように潮音も感じていた。さらに潮音は、紫はバレエだけでなく学校の成績も優秀で、中学は私立中学を受験する予定だということをバレエ教室の女子の間から噂で聞いていた。しかし潮音が小学校を卒業する直前になってバレエ教室を辞めると、潮音と紫の関係もそれっきりになってしまった。


 潮音はあらためて三年以上ぶりに紫の姿を目にすると、紫は小学生の頃と比べてもより美しく気品のある少女へと成長していた。たしかに紫は容姿だけを見ても、さらさらとした髪の毛やつややかできめ細かな素肌、パッチリとした瞳に整った顔つき、均整の取れた全身のスタイルと、アイドルにも引けを取らないほどのとびきりの美少女であることは間違いなかった。


 しかし潮音が彼女の姿に並ならぬものを感じたのは、そのせいだけではなかった。その少女は落ち着いた柔らかな物腰や柔和な表情といい、キャサリンを前にしても物怖じしない堂々とした様子といい、彼女の姿は周囲に集まっている少女たちの中でもひときわ際立って見えた。さらに周囲の生徒たちも、紫に対して一目置いている様子がありありと見て取れた。潮音は彼女の姿がそこにあるだけで、周囲の空気がぴりりと引き締まるように感じていた。


 潮音はたしかに中学生のころは尾上玲花に憧れていたが、紫の漂わせている気品は玲花とも全く異なっていた。潮音はあらためて、自分はとんでもないところに来てしまったのかもしれないと感じ始めていた。


 キャサリンと紫が英語で話している様子を、潮音がしばらくじっと眺めていると、そばにいたショートヘアの快活そうな少女が、明るくはっきりとした声で潮音を呼び止めた。


「あんたたち高等部からの新入生なの? なんか緊張してるけど」


 この少女は周囲の少女たちと比べても頭一つ分背が高いだけでなく、どこか大人びた雰囲気を漂わせていて、潮音より一年くらい先輩でもおかしくないような感じがした。潮音と暁子が名前を言うと、その少女は潮音にも何ら気負うことなく、元気な口調で気さくに返事をした。


「あたしは吹屋光瑠ふきやひかるというんだ。これからよろしくね。松風には中等部からいたんだけど…そんなに気張らなくてもいいよ。高等部から松風に入った子の中にはなかなかクラスの雰囲気になじめない子もいるっていうけど、そんなときは私になんでも聞いてくれたらいいからね」


 潮音はお嬢様然とした生徒の多い松風女子学園の中で、光瑠のような気さくで飾り気のない、どちらかといえば姉御肌の少女と出会えて少しほっとした気分になった。そこで潮音はさっそく、紫のことについて光瑠にたずねてみた。


「峰山紫さんって…この学校に通ってたのですか?」


 潮音が肩ひじ張った話し方をするのを聞いて、光瑠はいやそうに顔をしかめた。


「だから、そんなかしこまった言葉で話さなくっていいって。もっと気楽に話そうよ。でも紫のこと知ってたの?」


「ああ、小学生のとき同じバレエの教室に通っていたんだ…そのころからバレエがすごくうまかったけど」


 潮音の話を聞いて、光瑠も意外そうな表情をした。


「そうなの…。紫はすごいよ。去年もバレエの有名な全国のコンクールでも入賞するくらいだけど、それだけじゃなくて成績も学年のトップクラスで、テニスだって得意なんだから。これまでクラスの委員長や中等部の生徒会長もやってきたんだよ。今度も私たちと同じ桜組ね」


「英語がうまいのは…」


「紫は去年の夏休み、カナダにホームステイしてたからね。このときに勉強したんじゃないかな」


 潮音は思いきって光瑠に言ってみた。


「あのさ…。松風ってあの子みたいなお嬢様っぽい子ばかりだと思ってたけど、吹屋さんみたいな気さくにつきあえそうな子もいて、ちょっと安心したよ」


 その言葉を聞いて、光瑠は明るい笑顔を浮かべた。


「だったらよかった。なんかあったらこのあたしにドーンと任しときな」


 そう言って光瑠は、手のひらで胸をどんと叩いてみせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る