第六章・冬の終り(その3)
三人でタオルを手にしながら港町の狭い路地を抜けて銭湯に向かう間も、優菜はやや上気した表情で暁子に話しかけていた。
「智也君ってめっちゃかわいいやん。私もこんな弟ほしいわあ」
そのような優菜の様子を見て、暁子は冷然と口を開いた。
「弟の世話するのけっこう大変だよ。しょっちゅう文句ばかり言うし、親からは何かにつけて『お姉ちゃんなんだから』とばかり言われるし。だいたい優菜にはお兄ちゃんいるでしょ」
「それとこれとは違うよ。うちのお兄ちゃんなんてガサツで騒々しくてさ」
二人の話を聞きながら、潮音は優菜って案外ショタコンだったのかよといささか呆れていた。
銭湯は港町の中心の、どこかうらぶれた商店街の中に古色蒼然とひっそりと建っていて、玄関口には古い木製の靴箱がどっしりと構えていた。潮音にとっては、赤い暖簾のかかっている女湯に足を踏み入れるだけで心臓が跳ね上がりそうになった。
古びた脱衣場の中は空いていたとはいえ、潮音はしばらくためらい気味にその場に佇んでいた。しかしその間にも暁子と優菜が服を脱いでいったので、潮音も覚悟を決めてようやく服を脱ぐと、暁子と優菜は潮音のつけていたブラとショーツに目を向けた。
「潮音、いつの間にそんな下着用意してたのよ。やはり綾乃お姉ちゃんに買ってもらったわけ?」
「そんなのどうだっていいだろ」
しかし暁子と優菜は、潮音の均整の取れたプロポーションやつややかな素肌にも目を向けていた。そこには潮音がほんの数か月前まで男の子だったことを示す痕跡はどこにも残っていなかった。潮音がなんとかしてタオルで髪をまとめると、暁子と優菜はためらっている潮音の背を押して浴室に入った。
浴室に入るまでは緊張していた潮音も、開いたばかりの銭湯が空いていたのにはいささかほっとした。そしてその高い天井や壁いっぱいに描かれたペンキ絵を見て湯気の香りを吸い込むと、ようやく息をつけるような感じがした。
潮音は蛇口の前に腰を下ろすと、暁子や優菜のことはつとめて意識しないようにしながら体を洗った。
「あの…こうやってオレと一緒に風呂入るのに抵抗ないの?」
「気にしなくてもいいよ。過去はどうだったとはいえ、今のあんたはどこからどう見ても立派な女の子だよ」
「それ言うたら私なんか、水泳部で潮音の裸なんかしょっちゅう見おったからね」
「優菜、潮音ったらちっちゃな頃なんか、お風呂から上がるとしょっちゅう裸でそこら中走り回ってたんだよ」
「二人ともいいかげんにしろよ」
潮音は気恥ずかしそうに暁子と優菜に対して声を上げたものの、長く伸びた髪は特に念入りに洗っていた。
そして潮音は一通り体を洗い終えた後で、浴槽の熱い湯につかると、ここでようやく旅の疲れを癒すことができたような気がした。 こうやって三人で浴槽に浸かっていたとき、優菜が暁子に声をかけた。
「アッコも水泳部入ったらとまでは言わへんけど、いっぺん一緒にプール行かへん? 松風には一年中泳げる温水プールもあるし。泳いでみたらスカッとするよ」
そう言われたときの暁子はどこか気恥ずかしそうにしていた。そのような暁子の横顔を見て潮音も暁子に声をかけてみた。
「暁子の水着姿もちょっと見てみたいな」
「バカ」
暁子はますます顔を赤らめていた。
そのとき潮音たちと一緒に浴室にいたおばさんが、潮音に声をかけてきた。
「こんな若い子たちがこの銭湯に入りに来るなんて珍しいわ」
このおばさんは、昔は島の中にももっとたくさんの銭湯があって、仕事を終えた造船所の工員たちが汗を流していたが、銭湯も廃業が相次いで今でも営業しているのはここくらいになったこと、それでも自転車でしまなみ海道をめぐるサイクリストがたまにこの銭湯で一風呂浴びることもあることなどを話してくれた。
そこで優菜は、おばさんに声をかけた。
「この島、めっちゃきれいなとこですね。私もまた来たいです」
「夏になると海水浴の客もたくさん来るんだけどね。でもいつでも来るといいよ」
風呂から上がって、潮音がタオルを体に巻き付けたままドライヤーで髪を乾かしていると、暁子と優菜は親し気な様子で肌にローションを塗っていた。潮音はその様子を眺めながら、自分はまだ女の子のことを全然知らないこと、自分と暁子や優菜との間にはまだ大きな隔たりがあることをひしひしと感じ取っていた。
しかしむしろ暁子や優菜の方が、潮音が慣れた手つきで髪の手入れをするのに少し驚いていた。
「髪の手入れの仕方は姉ちゃんからさんざん仕込まれたからね。それにこの髪は、あのお嬢様の思いが伝わっているものだから大切にしたいんだ…姉ちゃんからはこの春休みの間、ずいぶんいろいろな髪型の実験台にされたけどね」
潮音は困ったような表情で話していたが、暁子と優菜は、潮音が綾乃にいろいろと髪型をいじられるところを想像して、思わずにんまりとしてしまった。
「…あんたって変に強情なところがあるからね。だけどそういう、あのお嬢様のことを大事にするとこなんかはけっこう好きだよ。でもあんたは、ショートヘアだってけっこう似合ってたと思うけど」
暁子はため息交じりに言った。
「アッコもそんな辛気臭い顔しとらんと、もっとリラックスしたらええやん」
そう言って優菜は、さっそく番台で買ったフルーツ牛乳を口にしていた。
「やっぱり湯上りにはこれがええわあ」
そのような優菜の様子を見て、潮音と優菜もどこかほっとしたものを感じていた。
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