第30話 雨傘はソーダの海を泳ぐ深海魚のように
500mlの黒い缶のプルタブを引く。パシッ! と音がして蓋が開く。中の液体を飲み干す。炭酸が舌を駆けて喉を走り胃袋に落ちてゆく。いつしか感覚を失い飲み干してしまえば、後に残るのは空き缶だけ。どこにも誰にもわからない。
この体の中に満ち満ちた憎悪と後悔のソーダなど。その苦さも。甘さも。
ピンクの錠剤ニコニコなめて
市販の咳止めマイニチ飲んで
糖衣が私を邪魔するの
糖衣が効き目を邪魔するの
気賀から村櫛、舘山寺
弁天島までいくつも渡った
橋の色を今日も覚えてる
赤、青、青、赤、最後のひとつは
工事中
違う。違う、もっと呼吸に集中しろ。窓の外の虫の声や、遠くを走る車の音、夜の静けさをかき回す首振りスイッチの壊れたファンテリア。
明日の朝イチで首をはねられても不一致を重ねたインテリア。
コミュニケーションだけの付き合い
イマジネーションだけのお付き合い
コングラチュレーションだけの人生
イニシエーションだけが生き甲斐
ハレーションが始まっても気づかない
傘がひらく
傘は海の底でひらく
花のように
深海魚の目玉のように
傘が次々ひらく
貝のように海星のように
傘がひらく
過集中ぎみのカタツムリ、暗闇の中で画面は点けたまま。乾いた心に這いずる痕が首筋から胸元、肩口、二の腕、指先までそろりそろり。いつだってカタツムリはひとりぼっち。堅結びの人をウォッチ。時も空も海も虹も本当は色なんてついてなくて、本当の色など誰も知らなくて、本当に色がついていたとして、それを説明しようとする奴は信じられなくて。
半城土から小垣江へ。見覚えのある線路。午後二時の黄色い空気。県道をなんとなく北へ。前後、豊明、左京山。桶狭間のボトルネックを絞めて動脈瘤みたいな渋滞を起こしてみたい。あの斜面の両側にへばりついた無数の暮らしの色と匂いを引っぺがして君の実家をうずめてみたい。君のルーツを断ち切ってみたい。君のアイデンティティを不可視化したい。イデアを失う君が見たい。
君のいいところしか知らないんだ。人にいいところしか見せないんだ。僕にいいところしか見せないんだ。君をいいところしか知らないんだ。
一つでもマイナスが出たら、それで終わりなんだ。コミュニケーションをとり続けて、忖度のための忖度についてお伺いを立て続けなければならないんだ。上には上がいて、上の次はヨコもいて、無限のコミュニケーションだけが必要とされるんだ。コミュニケーションでイニシエーションを果たしグローバリゼーションに対応するサマーバケイション。
白い炭酸飲料の缶をパシンと開ける。惰性で飲み干す日常とストレス。今日も何事もなかった。今日も何もしなかった。ただ仕事をして嫌な奴の相手をして、渋滞する帰り道をノロノロ帰って、家に着いたら風呂に入って冷えたご飯に買ってきたお惣菜をあっためて。それで今日一日が何事もなく終わる。
そんな日々にもいちいちひとつひとつ感謝しろと言うやつの一日が自分と比べてどれだけ惨めなのか、それとも豊かなのか。考えることすらかったるいしめんどくさい。他人を比べても仕方がないんじゃない、他人と比べるほど、いま自分はそんなに生きちゃいない。どんな時計をしてどこの空の下にいても、結局のところ自分は自分であるしかない、自分を全うするしかない。惰性でも倦怠でも怠惰でもいい、自分は自分であるしかない。どこの時計をつけてどんな空を見上げたとしても。
ゆらめく世界
白昼の悪夢
無人の公園
じりじりと日差し
悪夢の舞台を照らす太陽
白昼夢は螺旋構造の悪循環
遊歩道と赤い橋
大きな坂道を登り切ったら
街が見渡せるから
響く声、子供たちの声、はしゃぐ声、お母さんが
子供を怒鳴る声、お父さんが
子供を殴る声、公園のなかいっぱいの
虚無と空白、悪夢と蒼白
青い空に白い雲がのびて
森に山に滑り台に
光が差して
子供たちの声が響く
無人の公園で
立ち尽くす
シャボン玉の中で
ふわふわ歩く
シャボン玉の中で
ゆらゆら揺れる
ゆらめく世界
白昼の悪夢
無人の公園
じりじりと日差し
悪夢の舞台を焦がす太陽
白昼夢は駐車違反の軽自動車の
助手席の上で
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