第29話 絶対不幸也自分依存症。

 不幸であることに依存している連中がいる。お互いの不運を嘆きあい、報われない恋愛のなかで泥まみれになって重なり合うことだけが生きがいの喧しい連中があなたの友人にもいやしないだろうか。自分たちの跳ねた泥がどれほどまき散らされ、自分や相手を汚しているかなどと思いもしない幸せな連中が。

 傷跡を開き、血を流して、泣き叫びながら、己の不甲斐なさや相手の非道を声高に垂れ流す。まるで四六時中ハウリングし続ける厄介なトランジスタメガホンのような人間。茨の絡まった金網に自ら突っ込んで痛い、痛いと叫ぶ人間。自分の尺度で損得や人格をはかり、相手を否定し侮辱することすら正当化する人間。暴力は手足やモノを使うだけじゃない、七色の罵詈雑言で君を打ちのめすことも立派な暴力だし、君がそれに値する人間だと思い込ませることは立派な虐待ではないのか。

 暴言と嫉妬、快楽と性交、繰り返すそれは永遠回帰に見えるが、必ず無限に続くものではない。

 大袈裟で悪意に満ちた言動が汽笛となり煤煙となり君の耳と目を塞ぐ。そして君の叫びは轟音にかき消され誰にも聞こえない。不幸を真っ黒な石炭に変えて、涙と体液をスチームに変えて、破綻の崖に向かって煙をあげながら突っ走る壊れかけの蒸気機関車にしがみつきながらただ一途に一人を愛し一人に愛されない一人の人間として幸福を目指している、そんな自分に酔っている。車輪がはじけ、スチームがそこかしこの穴から吹き出し、石炭がぼろぼろこぼれて、黒煙をまき散らし、やたらに汽笛を鳴らしながら、線路もとっくに外れているのに、それでもまだ君は、その蒸気機関車にしがみつき、こんなダメでどうしようもない自分を本当に受け止めて愛してくれる人のところへ向かっているつもりか。

 降りない列車から引きずり下ろす術はない。

 身に振る火の粉を振り払わなかった君が何色の炎に包まれて燃えてしまおうが焼けてしまおうが、その火を消すことさえ望まれないのならば、ただ心の身を焦がすばかりだ。手を差し伸べてもしがみついてる、声をかけても聞こえない、手招きしても目を閉じてる。そんな人を、どうやって救ってやることが出来るものか。そして救おうとしている自分の姿に気が付いて、自分も蒸気を噴き出して真っ赤な炎が燃えていることに気が付いて、はらわたの熱さと背筋の寒さに耐えきれず、ただ去ってゆくのみだ。


 幾らでも戻りたい。君を連れ戻せるならば。この手で奪い去って、あんな男ほっとけよ、と言えるのならば。あの日あの場所あの時に。

 君を近鉄日本橋駅になんか連れて行かない。手を繋いで地下鉄千日前線に乗り込んで、谷町九丁目で降りたら全てわかるはずだ。つかんだ君の手を離したりしない。しがみついてほしい、轟音の中で泥にまみれて、石炭で両手を真っ黒にして、焼けた蒸気で影すら焦がして、一緒にいてほしい。もう少しの間だけでも。

 結んだ星座を砕いても、時を捻じ曲げ空を引き裂いてもいい。いつか君を振り払ってしまって、すっかり日常を取り戻し、僕のことなどすっかり忘れて、そのままいつも通りの生活に戻るころ、再び僕は君を愛する人生を選んで星座に結んだ長い糸を束ねて空を見上げて破綻の崖から飛び降りて、何度でもこの人生をやり直して、走り去ってゆく蒸気機関車にしがみついてでも、君のことを愛して愛して、また生きて死んでゆくだろう。

 嫉妬と悔恨と情念の涙を集めた湖のほとりで。

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