第39話 Strange gene (5)

 母の車で家に帰ると、ソファが見慣れない柄に変わっていた。お洒落な柄だと思ってよく見てみたところ、パッチワークでできたものらしい。「かわいいでしょ」と、祖母が自慢げに言う。


「お洒落だね。市販品かと思った」

「山田さんに教えてもらって作ったの。あの人すごいねえ。器用だし、センスが良い」


 パッチワークと聞くと、田舎くさいというか、子どもっぽいというか、とにかくどこか野暮ったい印象があったが、目の前にあるソファカバーには純粋に魅力を感じた。母も隣で感嘆のため息を漏らしている。


「趣味の手芸を舐めてた。このレベルなら、教室開いても儲かるんじゃない?」

「そういう話ばっかり」


 とはいえ、私も母の娘だ。この特技を趣味にしておくのは忍びないと思っている。


「だけど教室に通おうなんて女の人、今どきいないんじゃないかしら。みんな生き急いでるから」

「そうね。私のように」

「まあ確かに、買ったほうが早いと思いがちかも。かといって、人の手作り作品を買いたいとも思わないし」


 やはり山田さんは、家庭に入るのが一番かもしれない。その認識は、三代に渡って一致しているようだ。そこに微笑ましさを感じていると、母がちらりと私を見て、思い出したように尋ねる。


「ユイは陽君の事務所に就職するつもりなの?」

「え、脈絡は?」

「ないよ。いつものことでしょ」


 母はそう言いつつ、私の鞄を指さす。そこには陽からもらった参考書が入っているわけだが、いつの間に見咎めたのだろうか。


「参考程度にもらっただけだけど」

「参考程度に参考書をって洒落? 陽君も粋だね」


 母は面白くもなさそうに言って、返答を促すように私を見る。視線で祖母に助けを求めたが、祖母はくすくすと笑っているだけだった。


「さっき、初めて考えてみた次第だけど」

「あ、そう。べつに悪くないと思うけど、今から道を定めるのはおすすめしないね。属人的な就職はリスキーだし」


 ばっさりと切り捨てるような口調に閉口するが、母の助言はぐうの音も出ない正論であり、言い返す言葉もなかった。「心得ておきます」と返すのが関の山だ。


「ま、自分が良いと思うようにしなよ。ぜんぶ私の持論だし」

「またゼロを掛けるようなことを」

「今度映画観に行かない? 最近流行ってるやつ」


 「脈絡」と文句を言いつつ、「最近流行っている映画」について思い返す。


「あれ恋愛ものでしょ。嫌いじゃないの?」

「好きじゃないけど、勉強だと思えば許せるかもしれない」

「今さら恋愛を勉強するの?」


 母の言動は高文脈ハイコンテクストすぎて、しばしば理解に困る。眉を寄せていると、祖母が堪え切れずに笑い始めた。


「いいじゃない。何事も勉強よ」

「ユイもフラグを勉強しないと」

「なんか馬鹿にされてるような」


 結局母の提案を棄却できず、なかば強引に水曜日の映画鑑賞が決定した。母はいつもこんな感じで、白井さんより断然自由人なのである。人が非凡さを失うのに、結婚や出産はやはり関係ないのではなかろうか。


***


 私はいつから探偵まがいのことを始めたのだろうと思い返し、結構前からだと気づいて自分で呆れている。


 病院の待合室を見渡すが、目的の人物は見当たらなかった。駄目もとかつ寄り道がてら覗いただけだったので、誤魔化すつもりで一周してから出入口に向かう。


「あれ、この前の」


 その声に振り向くと、売店帰りらしき三浦氏が立っていた。さすがに想定外で動揺したが、「あ、こんにちは」と、平静を装って挨拶する。


「診察? それとも見舞い?」

「知り合いが診察に来ているかもと思って、ちょっと立ち寄っただけです。特に用はなくて」

「ふうん。じゃあ時間ある? 暇だから話し相手が欲しくてさ。奢るよ」


 傍から見れば不審者の誘い方だが、三浦氏の話を聞いてみたいという好奇心が、断るのも恐ろしいという、有り余る警戒心に後押しされた。白井さんも一人で会いに行っているわけだし大丈夫だろうと自分を説得し、「あ、はい」と、乗り気ではない風の返事をする。


「とか言っといて悪いけど、病室でもいい? 好きな飲み物持ってきていいよ」


 適当に選んだチルド飲料を購入してもらい、三浦氏の病室へと戻る。三浦氏の足取りには病人らしさが見えたが、おぼつかないというほどでもなかった。


「この前は悪かったね。古田さんが無理やり引っ張ってきたみたいで」

「いえ、それは古田さんが悪いので」


 そう答えながら、相変わらず鎮座している夥しい量の花を見る。どう考えても、見舞い客には困っていなさそうなものだが。その内心を見透かされたのか、三浦氏がにやにやする。


「こいつ何者だって顔だな」

「似たようなことを考えましたけど、うっすら話は聞いているので」

「肝が据わってるね。姉さんもそうだけど」


 姉さんというのは白井さんのことだろう。少し迷ったが、思いきって尋ねてみることにした。


「浜島さんとは、会ってないんですよね」


 三浦氏はにっと笑い、「会う気はない」と、短く答える。


「こっそり探るつもりだったのに、あいつがヘマしてくれたからな。馬鹿正直で好いやつなんだけどさ」

「浜島さんと会ったことはあるんですか? 以前に」

「あるよ。小さい頃だからあいつは覚えてないだろうし、会ったときに菓子を買ってやるくらいの仲だけどね」

「浜島さんのお母さんとも、長らく会っていないんですか?」

「そうだな。何十年と。そっちも、会う気はないけどね」


 三浦氏は遠い目をして、月日を噛みしめるように目を瞑った。そこに、なんとなく違和感を覚える。


「ところで、白井さんとはどんな話をするんですか?」

「取り留めもない話かな。姉さんも、同情して来てくれてるだけなんだろ。ま、それでも嬉しいけどね。目の保養になるし、若い姉さんと無料タダで話せる機会は捨て難い」

「それはわかりますが、白井さんは同情するような人では」


 ない、とも言い難くなってきたか。言葉に詰まり、ストローに口をつける。


「何か言いたげだな。無礼講みたくはっきり言っていいよ。俺が呼んだんだし、怒る元気もないし」


 そう言われたところで、不興を買いそうな話をつらつらと述べられるほどの度胸がなかった。しかし黙っているのも気まずいので、小出しに口にしてみる。


「浜島さんとは、本当はどういう関係なんですか?」


 三浦氏は一見穏やかそうな表情のまま、目の色を変えた。


「一旦黙秘する。ちなみに怒ってないよ。単純に、君の推測を聞きたいんだ。もしくは推理か」

「そんな大層なものではないです。ただの憶測なので、馬鹿にしてもらって構いません」


 チルド飲料を膝に置き、どこから説明すべきか考える。三浦氏の手元を見つめたまま、「はじめにあったのは、根拠のない違和感です」と前置きする。


「浜島さんを探し当てる過程において、恰好のつけ方が中途半端だと思いました。一貫性がないというか。余生が短いと知って感傷に浸ることはあるのかもしれませんが、実際に三浦さんと会話した印象とは、合わないような気がして」


 はっきりとした根拠はないが、三浦氏は自己満足のために、恰好のつかないことをする人物ではないように感じた。自分が浜島さんの人生に干渉することを避けたいのであれば、そもそも探し出すようなことをしなければ良い。息子がどうしているか知りたいという心理は理解できるが、それに囚われるような優柔が、三浦氏の雰囲気に見合わなかった。


「それに三浦さんは、はっきりと父親を名乗ることも避けていますよね。だから直感的に、自分ではなく、誰かのための行動なのではないかと思いました」


 人が進んで恥を忍ぶのは、その行為が誰かのためになる場合が多い。それは、経験的にわかっていた。


「いわゆる反社会的勢力に身を置く人物が父親であることより、都合の悪い事実は何かと考えたんです」


 一番に思いつくのは、重犯罪を犯した人物だ。そしてよしみのある相手といえば、まず考えられるのは身内だろう。そこで「三浦」と「容疑」を並べて検索し、ひとまず浜島さんの地元周辺に絞って調べてみた。軽犯罪と呼べそうなものは山ほどあったが、反社会勢力に勝るインパクトのあるものはそう多くない。


「浜島さんは、弟さんの息子なんですよね?」


 三浦氏は追い詰められた時のように苦笑し、小さく手を挙げる。


「あんた、古田さんの弟子なの?」

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