第37話 Strange gene (3)

「癌で肝臓を一部切除。リンパ節への転移は確認されてないけど、肝臓癌は再発しやすいからね」

「そんな風には見えませんでしたけど」

「本来はもっと矍鑠かくしゃくとしてるんじゃない? 知らないけど」


 当たり障りのない会話に参加した結果、男性の姓が「三浦」であることはわかった。ちなみにリストバンドには氏名が明記されているので、実際は下の名前も知っている。とはいえそれを知ってどうにかなるわけではなく、その他に特筆すべき発見もなかったが、断片的に聞いた話から想像していたよりも、三浦氏は常識的な人物なのではないかと考えている。ここで言う常識的とは、礼儀や倫理をある程度重んじるという意味だ。


「それで、白井さんはなぜお見舞いに?」

「ハマの生き別れの父親かもって聞いたら、会わずにはいられないでしょ。でも本人は興味なさげだから、代わりに」


 つまり興味本位なのだろう。答えを聞いてみれば、質問するまでもないことだった。


「言質はとれたんですか?」

「うん、まあ。ハマを探させた理由としては、老い先が長くないと悟って、昔のことを思い出したからだって。今さらそんなことをしてるのが恰好悪いから、こっそり探したんだとさ」

「その心理はわかるような気がしますけど。でも知られたくないなら、もっと良いやり方があったはずですよね。それこそ探偵事務所に依頼するとか」

「部外者を関わらせたくなかったから、運試しも兼ねたダメ元で素人にやらせたんだけど、その素人が余計なやる気を出しちゃったって話。忠実なのも考えものだね」


 そう言う白井さんも、どこか釈然としていない様子だった。私は古田氏を見て、「補足があればどうぞ」と、投げやりに言ってみる。


「迷惑野郎の根っこがわかった時点で、それ以上は調べとらんよ。プライバシーってやつだな」

「この状況でそんなことを言われても。今さらついでに訊きますが、私をここに連れてきた理由は何ですか?」

「三浦さんの意向だよ。現に謝罪があっただろ? 他意はない」


 本当にそうだろうかと疑いたくもなるが、三浦氏から謝罪を受けたのは事実だった。私よりも浜島さんに謝るべきだろうにとは思うが、本人との対面に気後れする理由もわかっている。


「三浦さんは、いわゆる反社の人だからね。直接的なやり方は気が引けるから、最終的には他人で片付くあたしたちを通して、息子の様子を探りたいんでしょ。あたしは単純に気になるから、何度か見舞いに来てるけど」

「それはわかるんですけど。いろいろと引っかかって」


 素人に任せた過程は当人の述べた通りだとして、息子だと確信していそうなわりに顔写真しか手がかりがないとか、ならば本当に関わりがなかったのだろうと思えばその写真が高校の卒業アルバムのものだったりとか、とにかく不思議な点が多かった。浜島さんの母親に訊けばわかることかもしれないが、それこそ各方面のプライバシーを侵害することになるので気が乗らない。


「まあ、他人が首を突っ込むことではないですよね」


 ここで議論していても埒が明かないし、結局のところ、私にとってはどうでもいいことでもあった。だからといって気にならないわけではないが、ひとまず矛を収める。


***


 屋根の下で傘を振っていると、「こんにちは」と声をかけられた。傘で顔が隠れていたが、声で浜島さんだとわかる。


「こんにちは。すごい雨ですね」

「これからバイトですか? 警報が出るかもしれないので、今日は早めに帰ったほうがいいですよ」

「警報が出る前に、電車が止まっちゃったんですよね。ここまでは来られたんですけど、家までは帰れなくて」


 局所的な豪雨のせいで、自宅に向かう路線が一時的に運転を見合わせているのだ。シフトは入れていなかったが、大学にいるよりはましだからと、事務所で待たせてもらうことにした。


「そうでしたか。お迎えは?」

「いちおう連絡しましたが、ひとまず電車を待ちます。どっちにしても、親の仕事が終わるまでは待つことになるので」


 とは言いつつ、迎えを待ったほうが賢明だろうと考えていた。このまま運休になる可能性は高いし、運転が再開したとしてもほぼ確実に本数を減らすだろうから、車内は尋常でなく混むはずだ。ただでさえ混み合う路線なのに、さらに混み合った車内で蒸れたくない。


「陽さんがいますから、親御さんも安心ですね」

「うちの親、そこまで心配性じゃないですけど」


 私が傘をたたみ終えたところで、「つかぬことを伺いますが」と、浜島さんが切り出す。


「近頃、白井さんの様子が変でして。何かご存知ないですか?」


 浜島さんがそんなことを訊くなんて珍しいなと思いつつ、首をひねってから、「変とは?」と尋ねてみる。


「家事へのやる気が芽生えたようで」

「あら、それは変ですね」


 心当たりはあったが、あまりに曖昧なことで確信がもてなかった。ひとまず、「悪い変化ではないと思いますよ」とお茶を濁す。浜島さんはそれ以上追及せず、「それなら良いんですが」とだけ言った。


「ちなみに、やる気はどの程度ですか?」

「まず、皿を洗うようになりました。というかそれ以前に、皿を出すようになりましたね」


 堪えきれず吹き出した後、ふと気になって尋ねる。


「白井さんの部屋って、汚いんですか?」

「唐突ですね。散らかってはいますが、汚いというのとは違うかと。洗濯物やごみを放置するような汚し方ではないですから」


 その口ぶりから、散らかった白井さんの部屋を浜島さんが片付けていることは明白だった。「なんとなくそうだと思いました」と、神妙な顔を保つのに苦労しながら言っておく。


 浜島さんと別れて事務所に入ると、陽と白井さんが難しそうな顔でディスプレイを睨んでいるところだった。


「こんにちは」

「あ、ユイちゃん。災難だったね」

「よくあることですから。どうかしたんですか?」


 陽が斜め上を見上げて、「せっかくだから仕事するか?」と尋ねる。どうせ暇な私は、二つ返事で引き受けることにした。


「この前面会した依頼人なんだが、遺伝子検査の結果が出た」

「網膜色素変性症の?」

「そうだ。結果としては遺伝子異常が見つかったんだが、少し妙なことに気づいた」


 敢えて私に話すということは、専門的な話ではないのだろう。しかし当てがあるわけでもなく、「それが何か問題なんですか?」と、ひとまず続きを促す。


「他の遺伝子も含めて、一致する遺伝子型が妙に多いんだよね。経験的に近親婚のレベルなの」

「従兄妹同士とかですか? でも、申告はなかったですよね?」


 近親婚は遺伝性疾患のリスクが高まるため、依頼を受ける際に確認することになっている。遺伝性疾患を回避したいというのであればなおさら、依頼人が近親婚を隠す利点はないはずだ。


「無自覚の近親婚もありえないではない。極端に親戚付き合いが薄弱だとか、両親の離婚だとか。この依頼で実際にあったということになるんだが、問題の遺伝子型が夫婦で一致してしまっている」

「網膜色素変性症の原因遺伝子ですか? じゃあご主人も、発症の可能性があることになるわけですよね」


 陽は曖昧にうなずき、白井さんと視線を合わせる。


「発症しないケースももちろんあるが、発覚した以上通知しないわけにはいかない」

「遺伝子型のうえでは、息子さんも発症するおそれがあるからね。だけど近親婚でもなければ、こんなことはそうも起こらないわけ。今回の場合は常染色体劣性遺伝のタイプだから、余計にね」


 遺伝子検査の結果を通知する場合、当然ながら遺伝性疾患の原因遺伝子に関する情報も提示することになる。つまり、本人たちが自覚していない近親婚を示唆しかねないわけだ。その懸念のために、陽と白井さんは頭を悩ませているということだろうか。


「無自覚の近親婚も、そうそう起こるものではないと思うんですが」


 思っていたより世界が狭いだけなのか、人口減少のために国内の相関図が密になっているのか、私にはわかりかねた。

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