第34話 Romantic gene (11)

 ひとまず男の身柄を古田氏に引き渡し、私たちは業務に戻ることとなった。仕事を始めようとしたところでふと思いつき、事務所を去ろうとする古田氏と男を引きとめる。


「先に訊いておきたいんですけど」


 男が振り向く。古田氏に首根っこを掴まれたような状態にもかかわらず、なぜか男は堂々としていた。こういう状況に慣れているのかもしれないなと、直感的に思う。


「なぜ浜島さんではなく、白井さんの家に封書を送ったんですか?」

「……その人宛の手紙しか、見つからなかったんで」


 すぐには意味を理解できなかったが、男の勘違いに思い至った途端、吹き出しそうになる。背後では、陽が実際に吹き出していた。


「最初に目撃したの、居酒屋ですか?」

「え?」


 思い返してみると、例の封書に添付されている入力フォームには、配偶者に関する情報の入力欄があった。役所からの封書を装ったのも、偶然ではなかったのか。


「絶妙な勘違いだな。しかしどうやって、ここにたどり着いたんだ?」

「ダチの話で、その女の人に似た人が、ここで働いてるのを見たって聞いて。いろいろ確認してる途中で、本人も見かけたんすけど」

「それなら、任務終了じゃないですか?」


 ダチのほうも気になるが、浜島さんを見かけたのであれば、白井さんに封書を送る必要はなかったはずだ。


「そうなんすけど、証拠が欲しくて。頼んだやつの所で道具とか、手紙とかだけは持って来れたんで、外歩いてる写真以外にも、見せられるものがあればって」

「真面目だねえ」


 白井さんが迷惑そうに言う。男はちょっと罰が悪そうな顔をして、事務所を出て行った。


***


 山田さんの弟夫婦からの依頼は、予想のとおり本契約に至った。私が同席しなかった面会も含めて、今のところ特に問題なく話が進んでいるらしい。懸念していた知識不足が解消されたことによって、夫婦の出産に対する認識も改まったようだ。


「本当は、もう少し準備ができてからにしようって言ってたんですけど。でも親から、金出してやれるうちに産んでくれって言われて、それもそうだなあと思って。俺らはそんなに金持ってないから、子どもが重い障がいをもってた時、正直大丈夫じゃないんですよね。だから親を頼ってでも、できる限り健康に生まれてきてもらうべきだと思ってます」

「子どもが少しでも苦労なく生きられるようにと思っても、生まれてからではどうしようもないことだってあるじゃないですか。そう考えたら、夢みたいな技術ですよね」


 金銭的に余裕がない。それを自覚したうえで、どうすれば子どものためになるかを考えられる冷静さに、私は好感を覚えた。陽も少し、表情が緩んでいるように見える。


 親が責任をもって、自分たちの力で子どもを育てる。現代において、それは当たり前のことであり、理想でもある。しかしそれが、必ずしも正しいとは限らない。


 子育ては、突き詰めれば繁殖の様式だ。その様式が哺乳類に限っても一様でないことを考えると、出産や子育てにおける模範は、所詮固定観念にすぎないのかもしれない。


「この資料、すごくわかりやすかったです。わざわざ作ってくれたんですよね?」


 ぼんやりしているところに話しかけられて、反応が遅れた。


「あ、はい」

「正直、いろいろ調べてもよくわからなかったんです。でも、これを見てやっと理解できました。ありがとうございました」

「いえ、そんな」


 夫婦そろって頭を下げられると、さすがに恐縮する。確かに手間ではあったが、自分も勉強するつもりで作ったものだから、律儀に労ってもらうほどのことでもなかった。


「大学生?」

「そうです」

「しっかりしてるなぁ。俺が大学の時なんて、遊んでばっかでちっとも勉強してなかったのに」


 これも学業ではなくアルバイトなのだが、話が逸れるので言わないでおいた。


「ホント、ろくな友達いないもんね」

「悪いやつらじゃないんだけどなぁ。バカだけど」


 そういえばと、駄目もとで訊いてみる。


「あの、ご友人に人探しをしている方、いらっしゃいませんか?」

「あー、いるいる。駅で見た、背高い美人にもう一度会いたいとかなんとかって言ってたやつ。そういえば、ここにもいたよなって話したわ」


 奥方が一瞬睨むので、こちらが肝を冷やす。


「あ、そうでしたか。私もちょっと、訊かれたもので」

「そりゃまた、とんだ迷惑を」


 それどころではない迷惑だと思う一方で、自分は特に困ったわけでもないかと思い直す。適当に取り繕い、陽とともに夫婦を見送る。


「世界は狭いですね」

「まったくだ」


***


「信じられるか? 銀行口座を売って、再発行して横領なんて」

「誰の話ですか?」

「例の不審者だよ。身の上話を聞いてみたら、とんでもない馬鹿野郎だった」


 これもまた、どこかで聞いた話だ。白井さんがげらげら笑っている。一方陽は呆れ顔だった。


「その人、結局何者だったわけ?」

「あまりでかい声では言えんが、反社の類いだよ。それも、いわゆる暴力団ってやつだな。ニュースで見るほど過激なところでもないようだが」

「穏健な暴力団ってあるんですか? というかそうなると、浜島さんも何者なんですか?」


 古田氏は手のひらを見せ、お手上げのようなポーズをとる。


「プライバシーに触れてやるな。姉さんは知らないのか?」

「知らないですよー。だって、本人が知らないことですもん。母子家庭ってことは知ってましたけど」

「じゃあなおさら、本人に頼まれない限り言わねえよ。知らなくていいこともあるもんだ」


 古田氏の言い分はごもっともだが、その言い方でなんとなく察しがついてしまう。「どうせ金をとる気だ」と、陽が毒づく。


「あの人はどうなったんですか?」

「いちおう解放してやった。監視できるようにはしてあるが、今回みたいなのはもうないだろ」

「わかりませんよ。世界は狭いので」


 白井さんが「ロマンだねー」とうっとりする。一連の流れのほんの一部しか知らない古田氏は、怪訝そうな顔をしていた。

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