第33話 Romantic gene (10)

 上の階のトイレから見つかったペンは、ペン先にカメラを内蔵していた。専用のアプリでデータを取り出す仕様らしく、古田氏は当然のようにその手順を知っていた。


「パスワードは?」


 男は答えなかった。古田氏も答えてもらえるとは思っていなかったようで、すぐに作業に戻る。持参した小型のパソコンに接続し、キーボードを鳴らし始めて数分経った頃、録画した映像が流れ始めた。男子トイレの手洗い場の鏡を、斜め後方から映したもののようだ。手を洗う人の顔が、画像は悪いが特定できる程度に確認できる。


「どんな趣味だよ」


 男はむくれた様子で黙っていた。ビニールロープで手足を縛られているから、体育座りのような格好で縮こまっている。


「顔を映したいにしても、もう少しやり方があったんじゃないの? 女子トイレだったら犯罪」

「男子トイレでも犯罪でしょうに。でもまあ、誰がどのフロアで働いてるかはわかりますけどね。もしかしたら、他の階にも置いて虱潰しに探していたのかも」

「探し人が浜島なのか?」

「弁護士ならなおさら、もっと探し方があっただろうに」


 本当に浜島さんを探していたのかもわからないが、相手の顔だけを知っていて、名前や職業を知らなかった可能性もある、だろうか。いずれにせよ、まるで目的がわからない。


「ハマはほんとに知らないの? この人」

「本当に存じ上げません」

「探される心当たりは?」

「この職業ですからね。思い当たることがありすぎて、心当たりはありません」


 私には、浜島さんがはぐらかしているように聞こえた。もちろん弁護士という仕事柄、どこかで人の恨みを買っている可能性はあるだろう。しかし浜島さんは、これまでに買った恨みとその経緯のすべてを把握しているような人だ。


「浜島さんつながりで、白井さんにあの封書が届いたってことですか? そこの繋がりを見抜いたのに、やり方が陳腐なのでは?」


 陳腐と言われたのが気に食わなかったのか、男が身じろぎする。反応はわかりやすいが、誘導するには手がかりがなさすぎて埒があかない。


「警察呼ぶ?」


 白井さんがスマホを取り出したところで、「やめろやめろ」と古田氏が止める。


「俺は警察が嫌いなんだ」

「立派な犯罪者ですよ?」

「この程度で大げさだな」


 古田氏も似たようなことをやっているからこその台詞だろうが、男を擁護しているようにも聞こえる。法律家である浜島さんの顔が引き攣った。


「じゃあ聞き出してくださいよー」

「おいお前、正直に話せば見逃してやらないでもないから、さっさと目的を教えてくれよ。警察呼ばれたくないだろ?」


 男は戸惑った顔で、ちらちらと浜島さんの顔を見る。いかにも柄の悪そうな格好をした古田氏より、浜島さんに怯えている風なのが不思議だった。


「ハマからも頼みなさいよ」

「自白を条件に見逃せと? ……しかしまあ、事情によっては穏便に済ませましょう。今のところ、実害はないようですし」


 陽がぼそりと、「何様なんだ」と呟く。


 浜島さんの譲歩が功を奏したのか、男の表情に迷いが見え始めた。威圧的に問い詰めるより、冷静に話を聞いた方が効果的なのかもしれない。ならば床に転がしたままにするのもどうかと思い、椅子を引っ張ってくる。


「どうぞ」

「……どうも」


 礼が返ってきたのは意外だった。悪い人ではなさそうだ。


「それで、誰を探してたの?」


 白井さんが尋ねると、男は目を泳がせながら、ぶつぶつと答えた。


「そこの、浜島さん、です」

「なんで?」

「わかりません。昔の、高校生っぽい写真を見せられて、探して来いって」


 どういう状況なのか、まるで想像できない。


「それは誰からの依頼なんだ?」

「……上司、です」

「探し人とどういう関係なのかは、言ってなかったのか?」

「何も。どこで何してるかわかればいいから、探してこいとしか」


 ずいぶん曖昧な人探しだ。ちらりと浜島さんを見たが、表情は変わっていない。


「渡された写真は、個人写真ですか?」

「たぶん、そうです。卒業アルバムか何かの。十年くらい前の写真だって」

「それだけを手掛かりに、ここまで?」

「最初は、専門のやつに頼んで。でも、そいつが逮捕されたとかで、自分でやるしかなくて。しかもそいつ、すぐに出られたのに夜逃げして、途中まで調べさせた情報も、削除されてたから」


 古田氏が顎をさする。それを知っていたから、例のストーカー男ではないと確信していたのだろう。


「ホントにハマなの? 写真見せてよ」

「そうですね。確認は必要です」

「ほどいていいか?」

「陽さんまで。皆さん見たいだけじゃないですか」


 古田氏が男のポケットをまさぐり、スマホを取り出す。腕の紐をほどかれた男は、手渡されたスマホを素直に操作し始めた。画面をこちらに見せる。


 男が言った通り、高校生らしき少年が映っていた。拡大されているせいか画像が少し荒いことと、中途半端に整えられた髪型と表情から、卒業アルバムの個人写真というのも納得できた。


「これはハマだね」

「若いながらも仕上がってますね」

「これなら行き着くな」


 皆がそう言うくらいには、浜島さんの面影があった。浜島さんにも見せるが、「私に見えますね」と流される。


「卒アル写真なら、名前も載ってるものじゃない?」

「写真と一緒には載せない学校もありますよ。依頼した人も、名前は知らなかったんですかね」

「苗字が当てにならないと考えたのかもしれない。それで、本当に心当たりはないのか? 浜島」


 浜島さんが苦笑し、「存じ上げないのは本当ですよ?」と前置きをする。


「私の母親は、いわゆる未婚の母です。父親はわかりません。強いて言っても、それだけです」


 聞いたことのない話だったが、驚きはなかった。皆が落胆したような、納得したようなため息を漏らす。


「それは確かに、心当たりとは言わないな」

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