第29話 Romantic gene (6)

「浜島さんにお願いしたらどうですか? ダイレクトじゃないにしても、不審者はやっぱり怖いですよ」

「そうだけど、いちいち怖がってちゃ生きていけないから」


 白井さんにとって、男に声をかけられるとか、ちょっと気色悪い絡み方をされるとか、そういった面倒事は日常茶飯事なのだろう。尾行されているのか、それとも後方を歩いている人が見惚れているだけなのかすら、判断が難しそうなものだ。


「だいたい、ナンパ野郎はあんな回りくどいやり方しないんじゃない? 偶然、無差別な個人情報泥棒に目をつけられただけじゃないかな」

「それはそうかもしれませんけど。でも気をつけてくださいね。まず郵便物は小まめに回収してください。ポスト投函の荷物も要注意ですよ」

「はい、気をつけます」


 マンション自体のセキュリティは堅そうに見えるが、設備が整っていても抜け穴はあるものだ。それ以前に白井さんの普段の様子を見ていると、どうしても心配になってきてしまう。


 しかし何者なのだろう。おそらく事務所とは無関係だろうが、近頃肝を冷やすことが多いせいか、何らかの因果を感じずにはいられない。


***


「しかしほんとによかった。山田さんが日に日に元気になってて、うちにもあまり来なくなったんだ。薬がなくても眠れるようになってきたみたい」


 かずはご機嫌だった。彼は患者の回復を心底喜ぶことのできる、稀有な医者なのではなかろうか。ほかの医者には失礼かもしれないが。


「最近は私より、おばあちゃんと仲良くしてますよ。もともと介護関係の資格を持ってるみたいなので、こちらとしても安心というか」

「介護関係かあ」


 和も思うところがあったらしく、数秒の沈黙が流れた。一方和の表情を見た陽は、含み笑いを堪えている。このふたりのこういったやり取りも、ずいぶん久しぶりに見るような気がした。


 今日は和の誘いで、朝霧家にお邪魔していた。私が行くのだからと、陽も強引に帰省させた結果がこの状況だ。今は食事が終わり、陽と和がビールで晩酌しているところだった。私は晩酌には参加せず、おばさんおすすめのプリンをちまちま食べている。


「一時はどうなることかと思ったけど、先入観はよくないね」

「あの時は本当に鬼気迫るものがあったんだ。無理もないだろ」

「嫌味で言ってるわけじゃないんだけど。あんまりこういう話できないけどさ、事務所のほうはどう? 順調?」

「経営自体はそう言っていいんだが」


 陽が渋い顔をするので、和が困り顔になる。


「また困った人でも?」

「困った依頼人は定期的にいる。それは覚悟の上だが、業務とは別のところで煙が立っていたりするんだ」

「人間関係とか? ってのも、職場内ではなさそうだな。揉め事?」

「さあ」


 陽はうんざりした顔で首をかしげ、枝豆をかじる。


「まだわからないんですよ。白井さんの自宅に、迷惑ダイレクトメールみたいなものが送られてきて」

「ダイレクトメール? 郵便ってこと? なんかアナログ回帰みたいだね。どんなやつ?」

「役所からの封書を装っていて、手続きがどうこうって内容の書面に、QRコードが貼られてるんです。そこから、個人情報一色の入力フォームに飛ぶみたいで」

「ほんとに迷惑メールみたいだね。でも、住所と名前がわかってるってことなのか」

「そうです。でも今どき、住所よりも電話番号とかメアドとか、そういったアカウント登録に求められるもののほうが、価値は高いのかもしれないですね」


 住所と氏名は最も重要そうに見えるが、それらだけでは利用価値が低いのだろう。不正アクセスを目的とする場合だって、住所と氏名だけではどうにもならない。それに、セキュリティは堅固になるほど複数の情報が必要になるものだから、新たな情報を引き出すために利用するのは道理だ。


「でも、白井さんを狙ってのこととは限らないだろ?」

「まあ、そうなんだが」


 陽は言いにくそうに目を泳がせながら、「白井はいかにも、ストーカーに遭いそうだから」とこぼす。


「そうですか? いかにも相手にしなさそうですけど。というか、実際に相手にしていないような」

「そのほうが、厄介な妄想を膨らませる場合もあるだろ」

「それはそうかもなあ。もしかして、これまでにもあったの?」


 白井さんと陽は大学で知り合ったそうだ。当時は知人程度の付き合いだったが、卒業後にひょんなことで再会し、陽が白井さんを誘う形で事務所を設立するに至っている。ちなみに、陽のほうが一年上の先輩だ。


「ストーカーってわけでもないが、どこかの社長に言い寄られただとか、どこかの御曹司に目をつけられているだとか、そういった類いの噂が後を絶たなかったし、大半の噂が事実だった。白井が大学を出ると、出待ちが睨み合いを始めるんだ」


 その睨み合いの間を素通りしていく白井さんが、目に浮かぶようだった。


「いつか柄の悪い男に弱みを握られて、脅迫されないかと皆が心配していた」

「そういうことも、実際にあったの?」

「知らない。本人に訊いてくれ」


 白井さんが大手事務所を辞めた理由も、見た目で贔屓されていると勘違いされるのが嫌だったからだと聞いたことがある。加えて、贔屓されているのを否定できない状況に辟易していたという話も聞いている。そんな折に陽から誘われたのは、白井さんにとって渡りに舟だったわけだ。


「生活に困らない男は、見た目を重視するものだからね」

「生活に困る男だって、ロマンを求めている場合がある」


 陽と和はしみじみと言い、仲良くビールをあおる。

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