第25話 Romantic gene (2)

「いやあ助かるよ。散らかり放題だったからさ」


 古田氏はタオルで顔を拭い、満足気にスポーツドリンクを飲む。私ももらったペットボトルに口をつけ、遠慮しいしいちびちびと飲んだ。


 古田氏の事務所は、前情報に違わず確かに散らかっていた。ただ、食べ物やゴミが散乱しているような生活感のある散らかり方ではなく、書類や物がごちゃごちゃに積まれたような散らかり方だったので、覚悟していたほどの汚さを感じない。


「本当に来てくれるとは思わなかったけどね。何か買いたい物でも?」

「いえ、特には。ちょっと訊きたいことがあったので、あわよくばと」

「ふうん。何?」

「山田さんのことです」


 陽のストーカーとして恐れられる女性だと、古田氏はすぐにわかったのだろう。眉をひそめ、「なんでその人のことを?」と訝しげに訊く。


「ちょっとしたことで親交を持ちまして」

「ふむ。どの程度?」

「恋バナしちゃうくらいですかね」

「あら。俺も聞きたいね、その話」


 おどけたように言うが、古田氏の目は笑っていなかった。山田さんのことを厄介で面倒な女だと認識しているからだろう。まあ無理もない。


「というのは半分冗談で、恋バナに花を咲かせたわけじゃありません。結果的には、陽さんに付き纏った理由も聞けましたが」

「じゃあ、俺には何を訊きたいわけ?」

「古田さんはどう解釈していますか? その理由を」


 古田氏は手を広げて、さあね、とでも言いたげに眉を動かす。


「他人に執着した結果、ああいう事態になったとしか考えてない。その言いぶりによると、恋バナの類いじゃないってことだろ?」

「そういうことです」


 私は頷き、つい先日の会話を思い返す。


***


 祖母はしょっちゅう墓参りをする。具体的には、週に一回以上だ。祖母はほとんどの時間を家で過ごしているはずなのに、毎週通っても祖父に報告したいことが尽きないのは、単純にすごいことだと思う。それと同時に、祖母は早く祖父のところに行きたがっているのではと、私や母は気を揉んでいる。


 それはさておき、祖父の墓参りの付き添いは、ほとんど私の担当になっていた。だから私も墓に参るのだが、そうすると毎回、山田さんに出くわすこととなる。


 はじめは辟易していたが、単純接触効果もあったのだろう。私は以前ほど、山田さんと会うのが苦ではなくなっていた。そして会話しているうちに、山田さんは嫌な人ではないのだとわかった。


「ユイちゃんは、好きな人とかいるの?」


 おそらく、彼女にとってはなんでもない質問だったのだと思う。しかし私は、この手の話題が昔から苦手だった。だから好きな人が常にいて然るべきだとする、恋多き女子には嫌われていると思う。


「思い当たりませんねえ」


 この時私は、すでに自分の「設定」を忘れていた。陽との関係を勘違いされぬよう、浜島さんと付き合っていることにした謎の設定のことだ。あれはいざという時の備えであり、浜島さんに対する冷やかしのつもりもあったので、単に必要なかっただけでもある。


 とはいえ無理のある設定が必要なくらいに、私は恋愛事と縁がないわけで、ここで山田さんが「じゃあ好きなタイプは?」などと質問したら、私はうんざりした顔を隠し得なかっただろう。しかし彼女の返答は、ずっと切実なものだった。


「ユイちゃんは頭もいいし、ひとりで生きていけそうだものね」


 寂しそうに言う彼女を見て、どう返すべきか迷った。迷った結果、考えるのが面倒になる。


「山田さん、結婚されてないですよね?」

「バツイチ。今はひとりだけど、ひとりで生きられてるわけじゃないから情けないの」

「私だって今は、親に養われてますけど」

「でもいつかは、就職するでしょ?」

「そうであることを信じて已みません」


 山田さんは左の薬指をちょっと見て、恥じらいながらこう言う。


「短大を出てすぐ、親に薦められた人と結婚したの。お前はどうせ変な男に捕まるから、この人と結婚しておけって」


 学生時代、度々男に利用されて面倒なことになったのだという。山田さんは良くも悪くも、尽くすタイプなのだ。


「相手も悪い人じゃなかったんだけど、歳が歳だから、早く子どもが欲しかったみたい。でもなかなかできなくて、検査してるうちに私が原因かもしれないって結果も出て、どうせ不妊治療するなら遺伝子操作で治しておけって。そのうち何もうまくいかなくなってきて、全部私が悪いんだって思えてね」


 私はすでに腹が立っていて、「不妊治療を舐めすぎでしょう」と、本筋から外れたことをつぶやく。


「その話も頓挫しちゃったのよね。私が変なことしちゃったから」

「変なこと?」


 もしや、ストーカー行為をそれと認識できていないのか? そう疑ったが、少し違った。


「私ね、事務所で話をしてるうちに、辛くなって泣いちゃったことがあるの。でも担当の人は、全然面倒がらずに事情を聞いてくれて、あなたが悪いんじゃないって、きっぱり言ってくれて。それがすごく嬉しくて、その時は思い詰めて死にたいって思ってたくらいだから、本当に救われたの。だから、とにかくお礼がしたくて」


 おそらく当時の彼女は、思考も狂っていたのだろう。おまけに尽くすタイプの人間だから、お礼の徹底が過剰化したのだ。


「でもどうお礼したらいいかわからないし、その人に喜んでもらえることを考え続けていたら抜け出せなくなって、できることを全部試したら、相手に迷惑をかけてしまって。そんなつもりじゃないと思っていたけど、立派なストーカー行為だったみたい。自業自得だけど、それで離婚した。離婚してから、あの時私は、その担当の人が好きだったのかなあとか、考えたりもした」


 周りに散々、浮気がどうのと言われたのだろう。経緯を知っていない人が見れば、間違いなくそう映る。


「それで気づいたの。たぶん私は、夫もその人も好きじゃなかったんだって。恋愛対象じゃなくて、恩を尽くすべき相手って感じだったから」

「好きじゃなかったのかぁ」


 陽にとっては嬉しい事実かもしれないが、私は少しがっかりする。

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