Romantic - 恋愛の, 夢のような

第24話 Romantic gene (1)

 祖父が気に入って購入したという年代物のソファに寝転がり、癖がついてへこんだ部分にクッションをはさむ。正直なところ寝心地は良くないが、そのおかげで寝すぎることもない。うたた寝にはちょうどいい寝床だった。


 うとうとしていると祖母が来て、「お腹冷えるよお」と、膝掛けを腹にかける。それが絶妙心地よくて、私は吸い込まれるように眠りについた。


 祖母が聴いている音楽が、夢の中でぼんやりと聞こえてくる。その音が夢が現実か、わかり始めた頃に目が覚めるのが常だ。もうすぐ目覚めそうな感覚から意識を逸らし、控えめに寝返りをうつ。


 鼻先にちくりとした痛みを感じ、唸りながら目を覚ます。ソファにかけてあるカバーが擦り切れ、ささくれた本体の皮が出てきているのだ。そこから覗いているのは、部屋の雰囲気には合わない、鮮やかだったであろう水色の皮。


「そろそろカバー、変えないとねえ」


 皮がぼろぼろになっていても、ソファを買い換えようとは誰も言わない。祖母が大切にしていることを知っているから、私たちは冗談でも口にしないのだ。


 きっと祖母が亡くなってしばらくしたら、このソファも廃棄されるのだろう。祖父の形見だからといって後生大事にするほど、私の両親は感傷に浸らない。というかまず、祖父が見繕った程度の物を形見だと考えない。それでも祖母がいる間は、このソファは祖父の形見であり続けるのだ。


「ずっと思ってたんだけど、このソファはなんで水色なの?」

「おじいちゃんが気に入ったのよ。ドラえもんみたいな色だからじゃないかなあ。それに買ったのが夏だったから、涼しくていい色に見えたのよ。ここに置くと、ちょっと浮いちゃうけどねえ」


 祖父のドラえもん好きは、よくわからないところで表出していたらしい。


「そんなにドラえもんが好きなら、工学部に入って開発しようと思わなかったの?」


 陽の話を思い出して、はじめて不思議に思ったことだった。そんなに好きなら、そちらの道に進めばよかったのに。


「物理が苦手だったんだって」

「ああ、なるほど」


 物理が苦手。それだけで、祖父が農学に進んだ理由まで見える気がした。とはいえ祖母と出会えたのだし、教授にまでなっていたのだから、結果的にはよかったと言えるのではないか。


***


「ということがありました」

「それはまた、おもしろい話だな」


 陽はうっすら笑いながら、キーボードを叩く。


 今日は面会の予定が入っておらず、案件のほうも小康状態だったため、私たちは資料整理に勤しんでいた。不要な紙をシュレッダーにかけ、袋に詰め込んでいく。時代錯誤な作業だが、片付けている実感があって嫌いではない。


「お疲れさまです。遅くなりましたー」


 ピンヒールを履いた白井さんが、スーツケースをもって現れる。昨日、妹さんの結婚式があったのだ。


 白井さんは自分の席にピンヒールを脱ぎ捨て、いつものサンダルに履き替えた。先日一緒に買い物に行ったから、私はそのピンヒールが二万円以上することを知っている。その価格がブランド料なのか材料費なのか、はたまた縫製の技術料なのかはわからないが、おそらく大切に扱われることを期待されたピンヒールが、その辺の安物同然に履き散らかされたことに胸が痛み、気づけば整えに走っていた。


「どうでした? 結婚式」

「家族結婚式って気楽でいいね。ほらほら、写真見てー」


 写真には、白井さんと妹さん、そして父親らしき人が三人で写っていた。


「妹さんきれいですねー。さすがの美人姉妹。こちらはお父さんですか?」

「うん。で、これが婿」


 次の写真は、花嫁と花婿のツーショットだった。妹さんの隣に写っている花婿は、爽やかな見た目の男性だ。パンフレットに載せても映えそうな、お似合いの夫婦である。


「ご実家で、お父さんと同居されるんでしたっけ?」

「うん。やっぱりそのほうが安心だし」


 白井家が父子家庭であることは、白井さんから聞いたことがあった。妹さんとは会ったことがないが、何度か話に聞いていたし、写真を見たので顔も知っていた。何なら、婚約済の相手がいることも知っていた。


 妹さんは、生まれつき心臓が悪いそうだ。未熟児で生まれたせいだろうと白井さんが言っていたが、詳しいことまでは知らない。日常生活を送ることじたいに支障はないものの、いつ発作が起きるかわからないし、心臓に負荷のかかることはできない。体調を崩すことも多く、誰かが付き添っていたほうが安心なのだ。


「父も退職したことだし、家に誰かしらいたほうが張り合いもあるでしょ。あたしだって、しょっちゅうは帰れないからさ」

「お父さんも嬉しいでしょうね」

「まんざらでもなさそうだった。でもね、お前も結婚しろってうるさいの」


 すればいいじゃないですか、とは、さすがに言えなかった。


「それはたぶん、白井さんが帰りづらくなって、寂しがると思ったんじゃないですか」

「ふふん、あたしは気にせず帰るけどね」


 白井さんはあっけらかんとしていたが、その心境は複雑なのだろうと察する。それを知ってか知らずか、白井さんは土産を引っ張り出し、ばらまくようにして陽に渡していた。「豆まきじゃないんだぞ」と、陽が拾いながら苦言を呈す。

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