第21話 Invalid gene (8)
「このご時世、暇さえあれば出不精でもストーカーになれるんだ」
そう言って、男性はおもむろに長い脚を組んだ。座っていてもわかるほどの長身で、客用のソファが小さく見える。体格は良いが、男性にしてはずいぶんと色が白い。
「というと、SNS関連ですか」
「ご明察。一部の人種は、日常を誰かに晒さないと生きていけないらしい」
男性がタブレットを差し出し、陽に提示する。SNSのページであることは傍目にもわかった。
男性は古田と名乗った。陽の知り合いだという、例の探偵だ。フィクションに登場する探偵としてはぴったりだが、現実では起業家を名乗っていそうな覇気と貫禄がある。陽より年上であることは確かだが、若々しさと円熟具合が両立していて、年齢がわからない。
「これはまた、ご丁寧に」
「それを眺めていれば、その女性がこの事務所に来たこともすぐにわかる。さらに遡れば、夫が遺伝子疾患をもっていることもまるわかりだ。アカウントと当人を結びつけることさえできれば、離れて暮らす両親よりも近況を知れるというわけだ」
「ストーカーのほうは、見当がついているんですか」
「まあ。ただ、この事務所から情報が漏洩した恐れがない以上、関係ないことだと思うけどな」
白井さんが私を見て、耳を貸せと指を動かす。顔を寄せると、小声でこう言った。
「あながち間違いでもなかったね。ネットストーカーってことでしょ」
「それはそうですけど、ネット上で絡まれただけのストーカーとは考えにくいですよね。相手は電話番号も知っていたみたいですし」
私たちがひそひそと話しているのが気になったのか、古田氏がこちらに視線を向け、にやりと笑った。
「女性陣は気になるかい?」
「それはそうですよ。どう見ても怪しかったんですから。関係なくても教えてくださいよー」
白井さんもそれなりに親交があるようで、会話がぞんざいだった。何より、白井さんがすっぴんのままだ。
「美人の頼みを断るのも野暮だしな。まあ勿体ぶるほどのことでもないんだが、いわゆる元カレってやつらしい。そうは言っても、この女性にとっちゃ無料のカスタマーエンジニアみたいな男だったのかもしれないな。機械に滅法強いらしくて、堅気とは言いづらい仕事で稼いでる。俺も、人のことを言えないけどな」
その仕事とは、クラッキングや詐欺商売のことを指しているのかもしれない。はじめに古田氏が「出不精」と言っていたから、彼の探偵業務もネット上で完結するのだろう。そこでふと、古田氏の色の白さが気になる。
「それも全部、ネット上で調べたんですか?」
「お、よくわかったな。仰る通り全部ネットで調べたことだ。今どきわざわざ足を運ぶより、ネットで調べたほうが直接的な情報が得やすいんだ。お嬢さんも気をつけたほうがいいぞ。場合によっちゃ、自分で泥棒や詐欺師に情報を流してるようなもんだ。ストーカーも然り」
「はあ」
生憎、私はSNSに疎い。とはいえ何でもかんでもネットで完結し得る以上、どの情報が誰に漏れているかわからないのも事実だ。そのことを考える度にげんなりしてしまう。
ここで突然、古田氏が前のめりになる。「よし」と漏らして、指を鳴らさんばかりに舌なめずりした。それと同時に、陽の表情が曇る。
「ここで交渉なんだが、この女性に俺を紹介してくれないか? そっちでお代を頂ければ、この事務所には請求しないでやろう」
陽が白井さんを横目で見る。お前のせいだとでも言いたげな、面倒くさそうな顔だった。白井さんが舌を出す。「迂闊でした」
「相変わらずですね。まあ、この件が今後支障にならないとも限りませんし、奥方にとっても解決したほうが良い問題でしょう。こちらから勧めてみます」
「相変わらず親切な男だな。また拗らせるなよ」
陽が思いきり口を曲げる。どうやら古田氏は、陽のストーカーの件も知っているようだ。
「古田さんって、陽さんとはどういう知り合いなんですか?」
「さあ。あたしも知らない程度には古いみたいだけど、面倒事があるたびに登場するのよね。と言っても首を突っ込んでるというよりは、陽さんが頼ってる感じ」
「へえー。不思議な人ですね」
この小声のやり取りも、古田氏には何となく想像できたのだろう。古田氏は荷物をまとめてから、つかつかとこちらに歩いてきて、慣れた手つきで私に名刺を差し出す。
「お嬢さんも何かあれば」
「え? ああ、ありがとうございます」
私が名刺を受け取ると、古田氏は少し屈み、耳打ちするように囁いた。
「バイトとかどう? うちも汚くてね」
陽が呆れた様子で、古田氏の襟首を掴む。陽より長身なはずの古田氏は、へらへらと笑って吊り下げられていた。
「やめておけ。こことは比にならない」
「助手も募集してるんだけど」
「いいんじゃない? ユイちゃんは間違いなく有能ですよ」
「やめておけ」
陽はあくまでも真面目に言っているようだった。というか、まるで冗談味がない。それが少し気になったが、どうであってもこれ以上バイトする気はなかった。
「単発なら考えますが」
「給料は弾むよ。じゃ、またよろしく」
古田氏は襟を整え、颯爽と事務所を去っていった。
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