第20話 Invalid gene (7)

「なにその話、ウケるね」


 白井さんが落花生をつまみながら、けたけたと笑う。今日は事務所が休みで、白井さんと買い物に出かけていた。買い物を終え、駅前にある喫茶店でひと休みしているところだ。


「銀行口座を売るところからしてアレですけど、どうして再発行したんですかね。もしかすると使い込むところまでしていたのかも」

「どうせ反社のマネーロンダリングなんだから、横取りしたっていいんじゃない? 仲介してる業者も大概だろうし、そこまで怖がることもなさそうだけど」

「反社と言ってもいろいろありますからね。詐欺業者から暴力団まで」

「まあね。でも金額が相当あったら、暴力団だと思うかも」


 だからといって、身を守ろうとして暴力団に入るだろうか。銀行口座を売買した罪で警察に捕まったほうが、穏便かつ無難に思える。もっとも、それで身を守れはしないわけだが。


 ふと外を見ると、道行く人がちらちらとこちらを見ていた。窓際のカウンター席だから、外から丸見えなのだ。そして道行く人が見ているのは、ばっちりめかしこんだ白井さんだろう。余所行きの格好をしている白井さんは華やかで、女優と並んでも遜色ないはずだ。


 面白がって外の様子を観察していると、見覚えのある女性が目に留まった。


「あ、あの時の奥さんじゃないですか? あの人」

「どれ? 誰?」

「コンビニの前辺り。あの挙動不審な奥さんですよ。先天性の白内障の件でいらっしゃった」

「ああ、そう言われればそうかも。あんまり自信ないけど。よく覚えてるよね、ユイちゃん」

「面談の時、暇なんですよね」


 女性は誰かと電話をしているらしかった。その様子が、なんとなくおかしい。


「あれでATMに行ったら、たぶん詐欺だよね」

「今どき、詐欺もネットで完結しませんか? というか、何してるんでしょう」

「さあ。でも、このあたりに住んでるんじゃなかったかな。うん、そうだった気がする。駅近の分譲マンション」

「それにしても、極端に普段着っぽいですよね。コンビニに行けるレベルの」

「目敏いねえ」


 女性はスマホを持っているだけで、鞄などはもっていない。コンビニに行く程度であれば事足りるだろうが、少なくとも今、買い物を済ませた様子はなかった。


「たしかに、家の中じゃできない電話ってニオイがするね。結構長いし。旦那さんは在宅勤務かなあ。浮気とか? だとしたら、ちょっと困るね」

「そんな感じではなさそうですけど。あの様子は、嫌な相手じゃないですか?」


 女性は手で口元を覆い、身を縮めるようにしていた。謝っている最中にも見える。


「でも家の中でできない電話って、相当じゃない? 仕事の電話程度なら、部屋変えればいいわけだし。縁を切り損ねた元カレとか?」

「旦那に知られたくない類いとしては、オーソドックスですね」


 数分後、女性は髪を撫でながらコンビニに入っていった。そのさらに数分後、小さな袋を提げて足早に出てくる。やはり家は近かったようで、すぐ近くにあるマンションのエントランスに入っていく。


「仕事には関係なさそうだけど、気になるねえ」

「あの挙動不審と、関係あるんですかね」


 ふと田中さんのことを思い出し、「縁を切り損ねた元カレが、ストーカーと化したとか」などと、根拠のないことを口にする。


***


「少々面倒なことになった」


 陽が顔をしかめる。「少々面倒なこと」に対応する表情には見えない。


「どうしたんですか? 業務に支障あります?」


 白井さんとともに、陽のディスプレイを覗き込む。そこには、問い合わせメールが表示されていた。その内容に、思わず眉を顰める。


「脅迫まがいですね」

「ああ。内容は幼稚だが、顧客情報が洩れているように見えなくもない」


 メールの内容は、依頼を取り下げるよう唆すような内容だった。具体的には、依頼人夫婦の一方が浮気をしているため、依頼を取り下げたほうが良いというご親切な忠告だ。


 その標的が例の女性、挙動不審な奥方なのだから驚きを隠し得ない。


「縁を切り損ねた元カレ」

「ストーカー」


 白井さんと順番に呟き、陽に怪訝な顔をされる。いや、あからさまに嫌そうな顔だった。「なんだそれは」と、苦そうに口を曲げる。


「実はこの前、奥さんを見かけたんです」


 目撃した時の様子を話すと、陽は首をかしげた。


「なんとも言えないな。根拠に乏しい」

「それはもう、その通りですけど」

「女の勘は侮れないよ。だいたい、ユイちゃんの勘だからね。でも、うちからの情報漏洩って可能性は低いんじゃないですか。当然、調べておいたほうがいいですけど」


 陽は少し唸った後、「それもそうだな」と言って、即座にメールをしたため始めた。宛先を見ると、浜島さんではなかった。


「誰宛ですか?」


 白井さんにこっそり訊くと、白井さんもこっそり答えてくれる。


「陽さんの知り合い。探偵やってるの」

「へー。知りませんでした」

「けっこう頼んでるんだよ。顧客にとっては心象悪いだろうから、いかんせんこっそりだけど。職業柄、仕方ないよねえ」


 職業柄仕方ないということは納得したが、陽に探偵の知り合いがいるというのが、意外かつ腑に落ちないところだった。陽は意外と顔が広い。


「ユイちゃん、弟子入りしたら?」

「探偵になるつもりはないんですけど」

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