第19話 Invalid gene (6)

「え、ちょっと待って。これのどこがいい話なんですか?」

「別にいい話とは言ってない。続きはあるが期待するな」

「えー。あー……いちおう、続けてください。あでもちょっと待って」


 まったく異なる方向性の衝撃が度重なって、話の前後がつながらない。混乱した頭を落ち着かせてから、手のひらを反す。「どうぞ」


 陽は含み笑いを堪えながら、「期待するなよ」と念を押した。


「俺の言葉は、至極まっとうな疑問であり意見だと、あの人は当たり前のように言ったんだ。他人が言うのは禁句タブーだとして、家族にはその権利があるだろうと。それに、母親だってずっと疑問に感じていたはずだ。どうして弟は、障がいをもって生まれてきたのかと。そうでなければと、考えたことがないはずがない。仮に俺の言葉が引き金になったとして、母親に行動を起こさせたのは、母親自身の感情や考えに他ならない。それに、悪い意味にとられる可能性を考えてものを言うなんて、家族の会話じゃあまりやらないとも言っていた」


 それはそうかもしれない。立て直してきたなと、私は期待し始める。


「それと、子どもに障がいがあっても育てられる親は素晴らしいが、そうでないことが悪いわけではないし、むしろ母親は偉いんじゃないかと言った。全く愛していない子どもと、一緒に死ぬとは思えない。俺のことも、朝霧の家に預けてから事に及んだ。子どものことを想って、最善策を考えて、その結果出た答えが心中だったんだろう。さすがに推奨はできないが、間違ってるとも思えない。その是非を決められるのは俺だけじゃないのかと、そう言われてやっと、俺だけが生きている状況に納得できた。今の生活を、素直に喜んでいいんだと思えた。それから生物学の話をしこたま聞かされて、子育てなんて繁殖の仕組みでしかないんだとわかった。たとえば、ペリカンの話とかな。その延長線上に、今がある」


 陽が小さく笑った。それを見て、思わず私も笑う。やっぱり祖父は、変な人だったのだ。


 子ども相手に、生々しい本音を言ってくれる大人なんてそうそういない。陽はきっと、子どもの頃から頭がよかったのだろう。達観した子どもには、綺麗事なんて通じない。だからこそ、祖父の身も蓋もない言葉が響いたのだ。


 もし陽が、母親や弟への罪悪感を抱えたまま生きていたら、今頃どうなっていたのだろう。それを想像できるほど、私は陽のことを知らない。


「なんか説教くさい。っていうか、そんな小難しい話、当時理解できました? 小学校低学年でしょ?」

「もっとわかりやすかったかもな。何せ昔の話だから、改竄が激しいかもしれない。それでも本質的な部分は、俺から生み出せるような話じゃない。誇張はないはずだ」

「へえ。私も、話してみたかったな」


 私は祖母と違って、墓前で祖父と話すことができない。一度でも会話していたら、できたかもしれないのに。それが、少しだけ悔しい。


「ユイも似たようなところがある」

「え、やめてください。この流れでそれはちょっと」

「褒めているつもりなんだが」

「えー。私はもっと分別がありますよ。良くも悪くも」

「それはそうか」


 陽が、懐かしそうに目を細める。なんだか嬉しそうですらある。


 小学校低学年の時に、少し会話した程度。陽にとっても、祖父との思い出は多くないはずだ。もしかしたら、陽と祖父が顔を合わせた機会ですら、数えきれる程度かもしれない。しかもその思い出の最たるものは、気安く話し難い自分の境遇に触れている。本人が気にしていないことだとしても、それを聞かされた相手の心情を思えば、結果的に話すのは気が引けるだろう。


 陽は本当に、嬉しいのかもしれない。同情や憐憫を抜きにして、祖父との思い出を共有できることが。ならば私は、祖父の可笑しさを笑っておくべきだ。


「俺が養子だって言ったときのこと、覚えてるか?」

「ああ、はい。その瞬間は、わりと鮮明に」

「その後は?」


 思い出してみようとするが、まるで覚えていない。そもそもあの後に、何か会話があったのだろうか。それこそ私が小学生の頃の話だ。覚えていなくて当然だろう。「まったく」


「まあ無理もないな。これも俺の記憶にすぎないが、医者が世襲制でないことは知っているし、そもそも養子であることが世襲できない理由にはならない、というようなことを言っていたはずだ。それから、医者でないなら何になるのかと訊いた」

「うわあ。クソガキですね、私。人は誰しも将来の夢や展望をもって生きていると錯覚している、あの時期が憎い」


 今私が小学生にそんなことを言われたら、大人げなくむくれる自信がある。なぜその学部を選んだんですか、という質問ですら、良識のある人間は訊かないと思っている。


「間違ってないけどな。まず俺の返答がナンセンスだった。まあ、家業を継ぐのは和であるべきだし、そうなる見込みがある以上、俺の出る幕はないという意味だったんだが」

「絶やせない伝統芸能でもないですしね。それで、陽さんは何て?」


 なぜか陽は言葉に詰まって、目を泳がせる。無意識なのか、顎に手が触れている。珍しいなと、私はにやける。


「タイムマシンを作るとか、そんなようなことを言ったと思う。工学部に入るつもりはあったんだが」

「何ですかそれ。おじいちゃんリスペクトですか?」

「流行りだったんだよ、当時」


 そのムーブメントは知らなかったが、いまだにタイムマシンは完成していないし、ドラえもんも、それに準ずるロボットも誕生していない。そもそも未来人の訪問がない時点で、タイムマシンは開発できないのではないかと皆が心配し始め、ならば四次元ポケットも不可能ではないかと、今や諦めつつある気がする。


「タイムマシンがあったら」


 今の陽なら、当時の母親を救える言葉がかけられるかもしれない。なんて考えが一瞬浮かんだけれど、それは不適切だ。だいたい、救うなんておこがましい。陽の母親が下した決断は、きっと間違っていない。


「おじいちゃんと話してみたいです」

「そうだな」

「もし生きてるうちに完成したら、一緒に会いに行きませんか?」

「ああ。でもその時には、当時のあの人より年寄りになってるかもな」


 タイムマシンで会いに行ったら、おじいちゃんはきっと喜ぶだろう。私たちが会いに来たことよりも、タイムマシンが完成したことに対して。


 能うならば、ドラえもんも連れていってあげたいものだ。

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