第18話 Invalid gene (5)
「ユイさんのお祖父さん、どんな方だったんですか」
陽が会計をしている間、白井さんを背負った浜島さんが尋ねる。
「祖父ですか? どうして浜島さんが」
「陽さんの恩人だと聞きまして。どんな方なのかと」
「ああ」
陽は、祖父と親睦があったらしい。いかんせん私が生まれる前なので、聞いた話でしかない。
「私は会ったことないので、陽さんのほうが詳しいですよ。私が知ってるのは、祖母の中で生きてる祖父です。バイアスかかりまくりの」
「それでも構いませんよ。どんな方ですか?」
「そうですね。正直言うと、変な人です。変わり者で理屈っぽい。科学者らしいって言えばそうなんですけど、理屈に一貫性がないんです。よく言えば柔軟、だそうですが。それでもいちおう、その時々の文脈には沿ってるようでしたけど、酒が入った途端に支離滅裂で」
陽が恩人だと評する理由は、わかるようでわからない。祖母の魅力はわかるけれど、祖母が想い続ける祖父に魅力を感じるかというと、そうでもない。
「気が合いそうですね、陽さんと」
「どうですかね。祖父が生きてる時なんて、陽さん小学校低学年ですよ? 人格形成前です」
「その時期に話した人物を恩人と呼ぶのも、なかなか変わり者ですから」
それもそうかと納得したところで、陽が店から出てきた。
「じゃ、浜島さんお願いしますね」
「ちゃんと帰れよ、自分の家に」
「はいはい。ではまた」
浜島さんと白井さんの家は同じ方向で、距離も近い。酒を飲むたびにつぶれる白井さんを送るのは、もはや浜島さんの役目だった。そして駅へと向かう私は、方向が同じ陽と帰る。
「何の話をしてたんだ?」
「おじいちゃんの話です。どんな人かって。陽さんが恩人だなんて言うから」
「本当にそう思ってるんだが」
こういうことを照れもせずに言う。茶化してみたくもなるが、実はうっすら心当たりがあって、地雷かもしれないと恐れている。だからこそ、気になってもいる。陽も多少酔っていると見える今は、それを訊くチャンスかもしれない。
「なんで恩人なんですか?」
「言ってなかったか?」
「聞いたことないです」
陽が頭を触り、軽いため息をつく。ふむ、といった風に。
「前に、俺が養子だって話はしたよな」
「それは聞きましたね。いつでしたっけ、あれ。しれっと言うからびっくりしたんですけど」
「あれも、知ってるものだと思ってたんだ。お互いの家族が皆知ってるから、ユイもそうだと思い込んでいた」
確かあれは、陽の大学受験前だった気がする。分別のつき方が未熟だった私は、何気なく陽に尋ねたのだ。「陽君は医学部に入らないの?」と。
そして陽はこう答えた。「医者は世襲制じゃない。そもそも俺は養子だけど」と。
当時の私に、「世襲制」は難しかった。だから、すかさずその場で調べた。その意味がわかったところで、養子だったのかと驚いた。
それ以上は、当時の私もさすがに訊かなかった。本人はもとより、両親や祖母からも聞くべきではないと思った。私の分別は、そこで大いに育まれたのである。
「俺の母親は、いわゆるシングルマザーだった。俺には二歳下の弟がいたんだが、その弟を産んですぐに離婚したらしい。その原因かは知らないが、弟は遺伝性疾患をもっていた。知的障がいと言ったほうが早いな。身体にも特徴が現れるが、そちらは生活に支障がないタイプだ」
「新着情報のオンパレードですけど」
「聞いてるものだと」
養子という時点で、のっぴきならない事情があるだろうと思ってはいたが、危惧していた以上にのっぴきならない事情がありそうだ。アルコールが入った状態で聞いていいものかと思ったが、素面のほうが気まずいかもしれない。そう思いつつも急に気まずさを感じ始め、相づちが曖昧になる。
「知的障がいだから苦労が多いのは言うまでもないが、余裕のない母親にとってはもっと問題だった。支援がまるでなかったわけじゃないが、大した助けになってなかったんだろう。因みに母親は朝霧夫婦の友人で、俺たちを預かることもあった。だから、和のことは前から知っていた」
ここで朝霧家が登場するのは、なんとなく救いに感じた。しかし祖父とはどうつながってくるのか、まだ予想がつかない。口をはさむ気にもなれず、聞くに徹する。
「俺が物心ついてすぐのことだ。母親が、俺だけを朝霧の家に数日預けた。その間に、母親は弟を殺して自殺した。それは、少し後になって知ったことだ。当時の俺は、いつまで経っても家に帰れなくて不思議に思っていただけだった。帰りたいわけでもなかったから、ラッキーだとも思っていた。それが、ずっと続いてるようなものだな」
瞬きを繰り返す。想像の遥か斜め上、地雷なんてレベルの話じゃない。晴天の霹靂。ぎりぎり観測できない小規模隕石の落下。
陽は淡々と語っているが、衝撃的で言葉が出ない。そんなこと、まったく知らなかった。
「都合の良いことにあまり覚えていないが、俺は弟も母親も、たぶん嫌いだったんだろうな。我慢ばかりだったし、弟のおかげでからかわれた記憶もある。ひとつ明確に覚えているのは、母親に対して、どうして弟はこうなんだと、訊いた時のことだ。責めるつもりはなくて、素朴な疑問だった。その時の……、母親の顔はとっくに忘れているのに、表情は覚えている」
陽が不意に、口元に触れる。彼の表情を窺うが、動揺しているわけでもなさそうだった。ただ淡々と、何度も反芻した記憶の通りに述べている。そんな感じだ。
「少し経ってから、あの言葉がまずかったことを理解した。俺があんなことを言わなければ、母親が思い詰めることもなかったかもしれないと思った。それでも罪悪感以上に、これでよかったんだと思う気持ちが勝った。同情されるのもお門違いだったが、自分が可哀想なやつであるべきこともわかっていた。だから、誰にも言わなかった。なのにあの人に初めて会った時、なぜか漏らしていたんだ。不思議なことにな」
初対面の他人に、それもカウンセラーとはほど遠い一般人に複雑な心境を漏らすなんて、いったいどういう状況なのだ。首をひねりたくなったが、しみじみとした雰囲気を尊重した。神妙な顔をつくり、「それを聞いて、おじいちゃんは何て?」と尋ねる。
「そうかもな、と」
「え?」
「だから何だ、と」
「え?」
祖父に関するエピソードの中で、一番ぶっとんでいる。
傷心の子どもにかける言葉じゃないでしょ、おじいちゃん。
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