第11話 Obsessive gene (4)

 和の話を聞いてから、何かと陽の様子を窺ってしまう。こんなことでは白井さんに感づかれてしまうと思いつつ、気がつくと陽を見ている。


「ユイちゃん、ぼーっとしてるよ。恋?」


 白井さんが茶化す。いや、探りを入れていると考えるべきか。陽に聞こえないよう、声を潜める。


「違います。改めて考えたら、和さんが来た理由がやっぱり気になってきて。例のストーカーの件だったら、陽さんの様子が変わるかなって」


 妙な誤魔化し方かもしれないが、こういうことは白井さんに協力を仰いだ方が良い。ただし、和に会いに行ったことは秘密だ。白井さんも興味津々の様子で、ディスプレイ越しに陽を見ている。


「確かにねえ。でも、特に変化ないでしょ」

「ないですね」

「まあ当時も、嫌そうな顔こそすれ、平然としてたからね。鬱陶しいから通報したって感じ」

「はあ、男の人だとそんなもんですかね」

「さあ、陽さんだからじゃない? 女のストーカーのほうが、心理的にはこわいでしょ」


 相手にされないストーカーのほうが、かえって不憫だ。話を聞いてくれる相手が良いのなら、和のほうがよほど被害に遭いそうなものだが。


「白井、ちょっといいか」


 突然呼び出され、白井さんが跳び上がる。放り出した靴を回収しつつ、「はいはい」とぞんざいに返事しながら、そそくさと陽のもとへ向かった。


「癌の遺伝的要因に関する案件なんだが」

「例の癌恐怖症 phobiaの方の相談ですか。遺伝子検査はご希望なんですか?」

「いや、夫婦のほうはどちらも渋っている。問題は姑のほうだ。資金は自分が出すとまで言っているらしい」

「そうは言ってもないものはないですし、変えようがありませんよ。同様の事例を経験したことがありますが、その時は上が断って終わりましたね」


 白井さんはこの事務所に来る前、大手の事務所に2年ほど勤めていたらしい。契約に至るかはさておき、依頼数が圧倒的に多いため、顧客対応についての経験が豊富なのだ。


「前の職場では一般的な遺伝子検査に含まれる遺伝子しか、基本的には取り扱っていませんでしたから。家族性癌にかぎらず他の遺伝病についても同じで、比較的新しく立証されたものについては、知見不足ということで手を出しませんでしたね。いかんせん保守的なもので」

「検査自体もしなかったのか?」

「しませんでした。責任遺伝子として認めないというスタンスだったので。どこの大手もそうだとは限りませんけど」

「まあ、大半がそうだろうな」


 陽が腕を組む。悩んでいるというより、考えを整理している様子だった。


「検査だけで受けるつもりですか?」

「場合によっては。少し気になることがある。姑が改めて検査を受けろと頑なに言う心理はわからないでもないが、その対象が嫁だけというのは、少し奇妙な気がする」

「旦那さんのほうも、父親が癌で亡くなっているからですか? でも状況として、お嫁さんの身内にはやたら癌になった人が多いんですよね。そっちだけに目が向くのも、別に不思議ではないと思いますけど」


 その会話を聞いて、私は面談の内容を思い返す。姑の言い分は、孫まで癌で苦労するのは可哀想、といった内容だった。孫に遺伝子要因を受け継がせることすら嫌だ、という思いが遺伝子編集に拘泥する理由であるなら、息子にも検査を受けさせるべきではないのか。父親が癌で亡くなっているのなら、その他の身内がどうであれ、息子の遺伝子についても心配して良いように思う。それに姑は面談の際、夫の癌についてはなぜだか触れなかった。


「あの……、そのお姑さんには、どの程度の知識があるんですかね。遺伝について、高校生物程度の知識はあるんでしょうか?」

「なになにユイちゃん、どういう意味?」


 白井さんが興味深そうに尋ねる。陽が真剣な眼差しをこちらに向けるので圧倒されそうになるが、考えをまとめつつ口に出してみる。


「お嫁さんの遺伝子が健全、というか、現段階では証明済みの遺伝子異常がなかったとしたら、万が一息子さんが何かしらの遺伝子異常をもっていたとしても、形質として現れる……、遺伝的原因で癌を発症する可能性は低いと考えられませんか? 癌に関与する遺伝子が必ずしも劣性とは限らないでしょうけど、少し生物学を学んだ程度なら、そう考えると思うんです」


 陽と白井さんは昔を思い出すように虚空を見上げ、小さくうなずく。


「確かにそうだな。嫁さえ健全とわかれば、あるいはそうでなくても、そちらだけでも健全にすれば、子どもの形質に現れる可能性は低い、か。メンデル遺伝なら、そう考えて差し支えないが」

「それは中学でしたっけ? 忘れちゃったけど」


 中学でどこまで習ったのかは覚えていないが、習った知識を応用できるほどに理解を深めている場合、高校生物で再度習ったか、理系の教養として学んだと考えるのが妥当なように思う。


「それに、本当に癌が怖いのなら、身内に癌患者が多い女性を息子と結婚させたくない、くらい思わないものかと。遺伝子編集があるから許したとしても、お嫁さんに前々から言っていたと思うんです。遺伝子編集を受けなさいって。でも、それを言い始めたのは確か最近、ですよね?」

「そうだ。つまり、何かしらのきっかけがあったということか。この事務所の話を聞いたことかもしれないが、あの執拗さを考えるときっかけとしては弱い」

「あと……、これは主観ですけど、お嫁さんとお姑さんの仲が悪いようにも見えませんでした。内容的には、お嫁さんを責めているようにも聞こえましたが」


 姑は、息子に検査を受けさせたくないのかもしれない。もっと言えば、息子が遺伝子異常をもっている可能性が高いと考えているから、それを知られたくない、といったような。根拠薄弱だが、そう考えると辻褄が合うように思う。そうとなれば、その理由も自ずと見えてくる。


「朝霧医院に通院されていたことが、すべてのきっかけなのでは?」

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