第10話 Obsessive gene (3)

「忘れてたけど、陽さんのお兄さんから返信来た?」

「あー。私も忘れてましたけど、来ましたよ。用件は顔を見る口実で、ほんとに私的なことだからって、詳しいことは教えてもらえませんでした」

「そっか。それ以上は訊けないねー。お兄さんと話してみたいなあ」


 白井さんは楽しみを見つけたような口調で言う。普通の女性がこういうことを言うと、好みだから近づきたいのかなどと訝ってしまうだろうが、彼女が言うと面白がっているようにしか聞こえない。


「話変わるけど、例の相談のほうはどうだった?」

「進展なしって感じです。お姑さんの思い込みは、病的といってもいいような」

「ああ、たまにいるんだよねえ、そういう人。難しいねえ」


 白井さんも、似た案件を扱ったことがあるようだ。職業柄、珍しいことでもないのだろうか。白井さんが散らかした書類を拾い集めながら、ぼんやりと考える。


「そういう場合、依頼はどうするんですか? 依頼人に正常な判断能力がないとか、夫婦間で要望が異なると判断される場合なら、受諾できないんですよね?」

「そうね。そういう場合は大抵、相方のほうがつっぱねて終わるかなあ。でもごくたまに、完全に委任しちゃう人もいるからね。どういう心理なのかわかりかねるけど。まあどっちにしても、私たちが危ないと思ったら拒否するかな。大手とか病院に付属してるとこでも、偉い人が許可しないと依頼が受けられない仕組みになってるし。基準は曖昧だけどね」


 夫婦の希望ではない今回も、明らかに依頼を受けかねるケースだ。そもそも現段階では、依頼ですらないわけだけれど。


 後ろ盾があるとも言い難いこの事務所が成り立つ理由として、依頼を受諾しやすいという側面がある。白井さんが言うように、大手や病院の付属では依頼内容が諮問にかけられ、法律や倫理に反しないかを吟味するフェーズがある。もちろんこの事務所でも依頼内容について吟味するが、それを行うのは陽や白井さんであり、場合によっては浜島さんの意見を求めるものの、それで完結する。「偉い人」が報告を読み、少しでも怪しいと思えば再提出、もしくは棄却という、事務的な処理が行われる保守的な大組織と比べれば、拒否されることが少なく、スピードも速いわけだ。


「まあ今回は、受ける依頼じたいがないじゃない? これ以上はもう、ただのカウンセリングだよ。陽さんがどうするかはわからないけどさ」


 白井さんはそう言って、カタカタとキーボードを打ち鳴らす。彼女は今、別の案件に取り組んでいる。面談から委託まで難なく終わりそうとのことで、余裕綽々なのだ。


「陽さんのことだから、面倒くさがりながらも相談に乗るんだろうねえ」


 そう、陽は案外お人好しなのだ。依頼人がストーカーと化すくらいに。


***


「ユイちゃん、なんだか垢抜けたわね。もう大人の女性って感じ」

「そうですか? 化粧してるからかも」

「そっかあ、お化粧するようになったのねえ。ついこの間高校に入ったばかりだと思ってたのに、はやいなあ」


 私は数年ぶりに、朝霧家を訪れていた。おばさんが大喜びで、夕食を振舞ってくれている。


「なんか呼び出すことになっちゃってごめんね。母さんも会いたいって言ってたもんだから」

「いえ。私こそ、ご馳走になっちゃって」


 白井さんには隠していたが、直接会って話したいと、かずから連絡をもらっていたのだ。その内容について、何となく予想はついている。


「おじさんは、まだ診療中ですか?」

「うん。今日は親父が午後の担当だから。ところで、陽とはうまくやってる?」

「たぶん、うまくやってるほうだと思います。仕事も慣れましたし」

「そっか。陽はそういうこと、全然話さないからさ」


 食事中は、そんな取り留めのない話をしただけだった。食後に和の部屋に通され、ようやくふたりきりになる。和は気を遣ってくれているのか、どことなく挙動不審だ。


「けろっとしてて傷つくなあ」

「からかってます? それで、話というのは」

「うん、ユイちゃんも知ってるのかな。陽がストーカーに遭った話」

「はい。だいたいの経緯は聞きました」


 やはりそうだ。白井さんの勘は当たっていた。


「俺は陽から聞いて、半ば笑い話だと思ってたんだけどさ。あいつ、詳しく話さなかったし。でも、最近気になることがあって」


 和はそこで言い淀み、口に手を当てる。笑い話という認識を改めるほどの何かがあったのか。思わず眉を顰める。


「最近、定期的に診察する女の人がいるんだ。ちょっと鬱っぽくて、睡眠障害がある人なんだけどね。最初の診察の時に、弟さんがいるって聞いてさ。俺も弟いますよーって、陽のことを軽く話したんだよね。その後もだいたい一週間か二週間に一度診察してるんだけど、毎回訊くんだよ。弟さん、元気ですかって。その人が弟さんと何かあったから、俺の弟のことを訊きたがるのかと思ってたんだけど、やたら深掘りしようとするし、弟さんのことはほとんど話さないんだ。何か変だなあと思いつつ、診察がてら会話してた」


 この時点で察しがつかないほど、私は鈍感ではない。背中が冷え、何かがぞわぞわと腕を這う感覚。身じろぎしたくなるのを抑え、黙って耳を傾ける。


「それでこの間、思いきって弟さんのことを訊いてみたんだよ。そしたら、陽さんみたいに立派じゃないのでって言われて。だけど俺、名前は出したことないんだよね。なんで陽の名前知ってるんだろうって思って、例のストーカーの話を思い出したんだ。もしかしたらと思って、陽に訊きに行ったのがあの時」


 思わず、「うわぁ」という声が漏れた。本当にあった怖い話を地で行く事案である。


 要するに、例のストーカーが朝霧医院に通い、和の話から陽の様子を窺っていたということになる。しかし和の弟、つまり陽の名前くらいは、陽本人を知らずとも誰かから聞いた可能性がある。だから和は、陽にストーカーの風貌を訊いたのだろう。その患者と一致するかどうか、確かめるために。


「陽さんは何て?」

「何とも言えないが、下の名前が同じだし、可能性はあるって。あいつらしいよね。仮にそうだとしても、その人は診察に来てるわけだし、俺もそんなに詳しい話はしてないんだ。その場合、陽の前に現れなければストーカー行為ではないのかな?」


 陽のストーカーなのだから、実家のことくらい知っていたのだろう。そのうえで朝霧医院を訪れ、陽の兄である和の診察を受けているのだから、本人に接触していなくともストーカー行為ではないのか?


「そんなことはないと思いますが。というか和さんが話さないから、ストーカー行為に失敗しているだけなのでは」

「だよねえ」


 和は困り顔で笑う。

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