Obsessive - 取りついて離れない, 強迫性の
第8話 Obsessive gene (1)
「そういえば、陽さんのストーカーってどうなったんですか?」
「さあねえ。少なくとも、事務所の近くでは見てないよ。あと、ホームページの問い合わせのほうからも接触はないみたい」
問い合わせフォームから接触することもあるのかと、ほんのり感心する。
「あの女性は大変でしたねえ。白井さんにも突っかかって。うちの弁護士たちも騒然としてましたよ」
「ほんとにそうよ。刺されるかと思ったもん」
事務所から少し離れた洋食屋で、浜島さんを交え、三人で食事をしていた。陽は面談の資料準備が立て込んでいるらしく、来ていない。つまり今は、例のストーカーの話をする格好のチャンスだった。
「幸いなことに、証拠が十分にあって立件できましたけどね。ストーカーというのは厄介です。依存症に近いものがありますから。ユイちゃんも、気を付けた方がいいですよ」
「気を付けるって、どうすればいいんですか」
「さあ」
さあってなんだ。無責任じゃないか。
「わかんないよねー。元恋人とか、勘違いさせた人がストーカーに遭うならわかるんだけど、あの不愛想な陽さんですら被害に遭うんだもんね。まあ、見た目はいいけど」
「あれは労災ですよ」
ストーカーも労災に含まれる時代が来てしまったようだ。洒落にならないが、笑い話にでもしないと、うすら寒くて聞いていられない。
「私たちもクライアントとお話しする仕事ですから、他人事にはできないんですよね。相談に来る方は、精神的にまいっていることも多いですし。その点、顧問弁護士は少し気が楽です。とんでもない仕事がくることもあるようですが、陽さんの事務所は比較的平和です」
ストーカーが発生するのは序の口らしい。
「とんでもない仕事って?」
「知人から聞いた話ですが、遺伝子設計の仕事は派手な訴訟が多いそうです。依頼主がそれなりに社会的地位や経済力を持っていることも、要因だとは思いますが。依頼主につく弁護士によっては、言いがかりも甚だしいような内容で裁判に負けることもあるそうです」
「怖い世界だねー」
「白井さん、なんで他人事なんですか?」
***
事務所に戻ると、ソファに見慣れない男性が座っていた。しかしよく見てみると、よく知っている男性だった。
「お久しぶりです、
「あ、久しぶり。誰かと思ったよー」
白井さんが目を白黒させる。「え、知り合い?」
「はい。陽さんのお兄さんですよ」
「あーなるほど、お医者様のお兄さんですか」
「そうです、医者の兄です」
陽の実家は開業医だ。祖父の代から続いており、今は陽の父が経営している。今は兄である和も診療をしており、いずれは継ぐ予定だそうだ。私が和に会うのは、少なくとも三年ぶりか。
「陽が連絡を返さないもので、直接お邪魔したんです」
「そうでしたか。邪魔だなんてとんでもない。連絡はちゃんと返さないとだめじゃない、陽さん」
「未読の山に埋もれていたんだ。見ていたら返した」
「そう遠くないので、俺がこうして会いに来ればいいだけのことなんですけどね」
そう言って、爽やかに笑う。和は人当たりが良く、患者からも評判がいい。そう、陽とは似ていないのだ。
「もう用は済んだので帰りますね。あ、そうだ。ユイちゃん連絡先教えてくれる? また陽が出ない時に、連絡してもいいかな」
「もちろん」
和が直接会いに来るほどの用って何だろうと思いつつ、私は連絡先を教える。陽の様子から見ても、何もわからなかった。
「それじゃ、お邪魔しました」
和はさっさと退散していった。白井さんが残念そうな顔をする。
「すぐ帰っちゃうんだ。つまんない」
「人の兄貴を面白がるな」
「それで、何の用だったんですか? 急用なら、私代わりますよ、面談」
「いや、急用ってほどじゃない。どうして兄貴がわざわざここに来たのか、俺にもわからない」
陽は相変わらずそっけない。こんなことだから、おそらく実家にも顔を出していないのだろう。和だって心配はしていなくとも、顔を見に来たに違いない。
「いいお兄さんじゃないですか、わざわざ会いに来るなんて、ねえ」
白井さんに同意を求められ、「そうですねえ」と曖昧に返す。会いに来るにしても、どうして仕事中に、という疑問は拭えない。今日が土曜であるからといって、陽の仕事は土日のほうが忙しいということを、和は知っているはずだった。
ちらりと陽の様子を窺うが、普段と何ら変わりない。和はお節介なところがあるので、本当に陽の働きぶりを見に来ただけで、何もないのかもしれない。しかしその逆、すなわち大層なことが起こっているにも関わらず、陽が平然としているというのも大いにあり得た。探りを入れたくなるが、和から聞いた方が早いかもしれない。
そんなことを考えていたら、白井さんにつつかれた。
「お兄さんに訊いてみてよ。何かあったと思わない?」
「私がですか? あったとしても、家庭の事情かもしれないじゃないですか」
「それなら知らなくていいんだけど、またストーカーが再発してたとかだったら嫌じゃない? あたしが」
「はあ。でもたしかに、実家にストーカーは怖いですね」
白井さんは心底嫌そうな顔をしていた。白井さんがそんなに嫌がるのに、当事者である陽が何でもない顔をしているのは変じゃないか。そう思いつつ、メッセージを送る。
「何か急ぎの用でしたか? お話しする時間を作らせますので、またいつでもいらしてください。 by 同僚の白井」
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