第7話 Cosmetic gene (7)
「本当に、お騒がせしました」
夫婦はそろって頭を下げた。用件としては謝罪だが、新婚が結婚の報告に来たような朗らかさと、いじらしさが醸し出されていた。
「整形のことを妻から聞いたときは、やっぱりびっくりしました。でも、むしろほっとしたというか、後ろめたさが消えたというか」
「私も夫も、同じことでコンプレックスをもっていて、お互いに引け目を感じていたんだなって。それがわかったら、ずっと感じていたわだかまりみたいなものが、なくなったんです」
その言葉の通り、ふたりは清々しい表情をしていた。こうして見るとお似合いの夫婦だった。
「それはよかった。では今後の流れについて、説明させていただきます」
陽は興味なさげに、事務的な説明を始めた。結局、今回は視力に関する遺伝子操作のみということで、話がついたらしい。
私はお茶を出し、そっと個室を出る。
「平和的解決だね」
白井さんが満足そうに言う。奥方が一言礼を言いたいとのことで、今日は予め身だしなみが整っていたのだが、デスクの上は相変わらず汚い。
「よかったですよね。むしろ、夫婦仲が改善されたみたいだし」
「あたしらの仕事とは、本来関係のないところだったけどね。まあ、これも仕事のうちといえば、仕事のうちだけどね」
「仕事のうち、ですか。……もしも奥さんが整形のことを告白しなかったら、陽さんはどうするつもりだったんですかね。もともと、旦那さんの要望が無茶な話でしたけど、奥さんに黙って契約を結ぶことに関しては、非難めいたことを言わなかったじゃないですか。だけど夫婦の意見が合致していないどころか、相反しているとなったら、さすがに問題ですよね。整形のことを告白しなければ、和解も難しかっただろうし。旦那さんと奥さんの要望、どっちを優先するつもりだったんでしょう」
白井さんがにやにやしていることに気づいて、眉を寄せる。「なんですか」
「今回の問題はさ、奇跡的にいい話でまとまったけど、本来もっと泥臭いことだと思うんだよ。旦那は美形な子どもがほしい。奥さんのほうは、元の自分の顔にそっくりな子どもだったら困るけど、地位的にも経済的にも、整形のことがばれて夫に愛想を尽かされるのはもっと困る。だからルックスについては自然の摂理にまかせて、有耶無耶になってほしい。そんなところでしょ。両親が美形でも、子どもはそうでもないってことなんて、いくらでもあるからね。結果的に旦那が譲ったのは、奥さんが本来美人じゃないってわかって、諦めがついたからでしょ。陽さんなら、たぶん間をとってたよ。旦那の依頼内容を、奥さんの顔立ちに似るように、とかに変えさせてさ」
白井さんは小声で言ったが、そこには夫婦を糾弾するような響きがあった。白井さんは美人だが、人の外見を馬鹿にしたり、それを理由に見下したりする人ではない。彼女が嫌っているのは、本質的な部分に触れようとしない、彼らの態度だろう。仮に彼らの言い分が本音であっても、彼女にとっては、綺麗事で泥臭い感情を誤魔化すための詭弁に過ぎない。なぜなら口に出すのも憚られるような、倫理に反した本心を見抜くのが、彼女たちの仕事のひとつだからだ。そしてそれは、依頼人の無意識のなかにさえ存在している。
「ま、あたしらが口出しすることでもないし、契約が成立したなら、万事オッケーなんだけどね」
「宣伝効果、期待できますかね」
「できるかもねー。でも、陽さんが不愛想だから」
「そこはご愛敬ですね」
ふたりでくすくす笑う。しかし実際は、陽の評判が悪くないことを私は知っている。事務的だが、余計なことに介入しない。ビジネスの範疇で、最善の選択に促す説得力や、信頼性がある。だからこそ、他でたらい回しにされた夫婦が、今日もこの事務所を訪れる。
「何の悪口だ」
陽が戻ってきて、白井さんからさっと離れる。
「悪口なんて人聞きの悪い。褒めてたんですよー。今回もまた、良い解決に導いたなって」
「俺は特に、何もしていない」
「またまた。最初に依頼を受けた時だって、あたしはどうかと思いましたよ。子どものルックスを良くするために遺伝子を弄るなんて、倫理的にどうなんだって人は少なくないし。そういうとこ、イエスマンなんだなって」
白井さんは、からかうように笑う。陽は呆れたような顔をして、小さくため息をついた。
「倫理的にも何も、同じ苦労を子どもにさせたくないという親の心理は、非難されるべきものでもないだろ。手段がどうであれ、利用できるものは利用すればいい。子どもは自分と同じ苦労すべきと思っていて、都合の良い時にだけ倫理がどうのと他人を否定する人間のほうが、よほど倫理的にいかがなものかと思うが」
これは、社会に対する苦言だろうか。この事務所で働いていて実感することだが、人間は心のどこかで、自分を優れたように魅せたいと願っている。その手段が優れた子どもであったり、他人を陥れて相対的な優位を得ることだったりする。そういう心理は、時に倫理観を捻じ曲げる。もしかするとこれは、生存競争の中で培われた本能なのかもしれない。
「そもそも俺は、基本的に依頼を断らない。契約を切るのも、たいていは先方からだ」
「それはそうね。でもそれは、陽さんのヒアリングスキルが成せる業でしょ。誰にも相手にされない可哀そうなお嫁さんが、ストーカーになっちゃうくらいだもん」
「それを言うな」
陽は心底嫌そうな顔をして、虫を払うように手を振った。
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