第6話 Cosmetic gene (6)

「いつ、お気づきになったんですか」


 女性は声を震わせて言う。怒りや怯えではなく、恥に耐えるような響きだった。先入観によるものなのだろうが、間違ってはいないはずだ。


「ゲノム情報を拝見してからです。ご主人のご要望に沿って設計するとなると、かなりの情報収集が必要でしたので。依頼が変更になる可能性はありましたが、少し検証しておこうと下調べをした際に気づきました。これは言い訳になりますが、ご主人の最初のご依頼は、極力あなたの外見に似せるように、とのことでしたので、あなたの形質とゲノム情報を一致させる必要があった」


 陽が淡々と語る。今回は例の奥方との面談だが、陽が担当している。こういう場合は、臨機応変に対応するのだ。


 女性が苦笑を浮かべる。化けの皮がはがれる瞬間、ではなく、穏やかな表情のまま、小さくうなずいた。


「そうでしたか。そんな漠然とした注文では、お困りになったでしょう。しかも顔立ちと遺伝子が、一致しないんですから」

「そうですね。しかしそうでなくても、顔立ちというのは難しい。こういったものは、本来美容整形外科に任せるべきものだ」

「美容整形、ですか。それなら、私は間違っていないですね」


 女性はくすくすと笑った。その自虐的な言葉に、陽も頬をゆるめる。


「私は、整形のことを夫に話していません。彼はきっと、私の顔立ちが、自分の娘か息子に反映されることを望んでいるのでしょうね。これが人工物の、偽物であることを知らずに。それをわかっていて話さないのだから、私は彼を騙していることになるのでしょうか。……もはや、そんな問題でもないですね。だってそれどころか、子どもがなかなかできなくて、ほっとしてさえいたんです。ひどい女ですよね」


 これは陽ではなく、私に言っているようだった。女性と目が合い、気まずさを味わう。「ひどい女」と自分で言ってはいるが、「でも、同じ女ならわかるでしょう?」と訴えるような、女によくある同調の誘い。私は天邪鬼なので、私には理解しかねますが、と一蹴したい気持ちになる。しかし今は仮にも仕事中であり、相手は顧客。腹が立つのを抑えて、言葉を選ぶ。


「それなら、どうして不妊治療を? ご主人のご希望ですか」

「それは……、もちろん主人も望んでいたけれど、たぶん……単純に、私も子どもがほしかったんです。頭のいいところや、目元が彼に似たらいいなとか、髪質は私に似た方が苦労しないなとか、考えるようになって」


 女性は穏やかに微笑んでいたが、その眼差しは悲しげだった。「今後も、ご主人に打ち明けることはないんですか」なんて訊けなくなるほどに、哀愁に満ちていた。


「私は整形をしたから、主人と結婚できたんだと思います。でも、整形だってわかったら、主人の態度が変わるかもしれない。それが怖くて。今回のことも、主人が何を依頼したのか予想がついたから、不安になって。そのために、この前お邪魔したんです。依頼の内容を確かめるために。そうしないと、主人にばれてしまうと思ったから」


 女性の声が、次第に涙声に変わる。言い終えたころには、泣き出さんばかりだった。


 「互いに利益がある」。浜島さんはそう言っていたけれど、この場合はどうなのだろう。夫の利益は、損なわれているのだろうか。そんなどうしようもないことを考えて、ぼんやりとしてしまう。それを振り払って、黙りこんだ陽のかわりに質問を考える。


「奥様のご要望は、遺伝的な近視をとりのぞくことだけでしたよね? 失礼を承知で申し上げるのですが……、それは、本心なんでしょうか。つまりご主人のような、外見に関するご要望はないと」


 自分は整形までしたのに、子どもの外見に興味はないのかという意味だ。無礼千万だが、確認すべき点だろう。後になってから、どうして意思確認をしなかったのか、だとか、意をくみ取れだとか、理不尽な文句を言われても困る。


 女性は少し間をおいて、首を横に振る。


「ないと言ったら、嘘になります。でも、そういうのは嫌なんです。実は私、整形したことじたいは後悔している部分もあって……。私は両親に相談せずに整形しちゃったんですが、両親は少し悲しそうでした。表向きには、美人になったねって言ってくれたんですけど。両親から受け継いだ遺伝子まで、変えたくないんです。孫を見せた時に、また同じ思いをさせたくなくて。自分勝手ですよね、ほんと」


 それはそうだろうが、子どものことを考えるべきじゃないのか? 嫌味を言いかけたところで、陽が動きを見せた。おもむろに腕を組み、前のめりになる。


「何が問題なんです?」


 唐突な陽の発言に、素っ頓狂な声を上げそうになった。何を言っているんだ、この人は。


「自分勝手であることの、何が問題なんでしょう。ここに来る夫婦は、もちろんどちらか一方の時もあるが、たいてい自分勝手なものだ。それが許されなければ、我々には仕事がない。依頼内容の善悪や必要性、そんな概念はここに持ち込まれたくない。選ぶのは親になる夫婦の権利であり義務なのだから、やるもやらないも、何をどうするかも、自分たちの思想に従って決めてくれればいい。そのかわり、すべての責任を負うだけのこと。夫婦で食い違いがあるなら、どうにか折り合いをつけてから、ここに来ていただきたい」


 寡黙な彼が、依頼人にこうも滔々と喋るのは珍しかった。相変わらず無表情だったが、普段のぶっきらぼうな口調になっているあたり、よほど熱くなっているらしい。彼にとっては限りなく、怒りに近い非難。


「そう、ですよね。おっしゃる通りです。もう一度、主人と話してみます。本心が伝わるように、ちゃんと向き合ってみます。お待たせして申し訳ありませんが……」

「それはかまいません。お待ちしています」


 陽が頭を下げるのを見て、慌てて私も頭を下げた。事実確認は終了。ならば次の私の仕事は、依頼人を見送ることだ。


 私たちの発言で、依頼人が翻意するようなことがあってはならない。そもそも、依頼内容に正しいも間違いもない。私たちが介入するのは、夫婦の意思を確認するためだけ。ただ、それだけのことだ。


 女性は憑き物でもとれたかのように、ずいぶんとすっきりした顔で、事務所を後にした。


「ずいぶんな啖呵ですね」

「本心を述べただけだ」

「相手が美人だから、熱くなったとかじゃないですよね」

「何を言ってるんだ」


 陽は誠実なのか投げやりなのか、わからない時がある。不器用なだけなのだろうが、傍から見ればやはりぶっきらぼうで冷めた男なのかと思うと、なんだかもったいない。

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