第4話 Cosmetic gene (4)

「難しい話ですねえ」


 浜島さんは渋い顔をした。厳密に言うと、眉が八の字に下がっただけで口には笑みが浮かんでおり、目は笑っていない。


「しかしどちらの要望を優先したとしても、夫婦間の紛争になるだけでしょう。火の粉がふりかかる可能性は大いにありますが、こちらの言い分はどうとでもなります。まあ私個人の意見としては、ご主人の要望を優先するのが筋ではないかと思いますね。……それは置いておくとして、夫婦間で意見が合致していないのであれば、契約内容に従って依頼を放棄できますし、それが最も無難かと」


 浜島さんは滑らかに言い、いかがですか、という風に口角を上げる。目はやはり、笑っていない。


 浜島さんは、この事務所の顧問弁護士だ。上の階の弁護士事務所に所属しており、ちょっとしたことでも呼び出しに応じ、相談に乗ってくれる。年齢が近いからか、陽や白井さんとは個人的にも仲が良い。


「そうだよねえ。あの夫婦なら、クレーマーになることはなさそうだけど」

「ところで、その奥方はそんなに美人なんですか」

「かわいいよ。清楚系美人。母親似の子どもなら、男でも女でももてるんじゃないかなあ。わざわざ大枚はたかなくたって、それなりに顔の良い子が生まれると思うけどね、あたしは」


 白井さんは何個目かのチョコを片手に、語り口調で言う。そのチョコは、浜島さんからの差し入れだ。近所にある洋菓子店の少し値が張るもので、ちびちびと食べるべき品である。


「奥方が気づいたなら、放っておいても折り合いがつくだろ。俺たちが判断することでも、口を出すことでもない」


 陽はパソコンに向き合いながら、ぶっきらぼうに言う。私はチョコを3つほど小皿にのせ、陽のデスクへ向かった。それとなく画面を覗くと、ディスプレイには夫婦間の裁判沙汰に関する記事が並んでいる。


***


「私は、近視が遺伝するのは可哀そうだよねって言っただけなんです」


 女性は、弁明するように語った。光沢のある薄ピンク色のワンピースに、白い腕が映えている。長い首は大人びて見えるが、丸顔で瞳が大きく、顔立ちからは幼い印象を受けた。ばっちりめかしこんだ白井さんとは、ベクトルの異なる美人である。


「あ、コンタクトですか?」

「はい。私も夫も、ど近眼で。眼鏡かコンタクトがないと、生活できないくらいなんです」

「視力は大切ですよねー。あ、すみません。話の腰を折りました。それでご主人が、遺伝子操作の話を?」

「はい。なかなか子どもができなくて、不妊治療を検討していたこともあるので、どうせならって気持ちもあったんですが」


 想像に難くないが、遺伝子操作では体外受精を行う必要がある。体外で遺伝子操作を行い、基本的には体外受精を行う、らしい。実際の施術は病院で行うので、恥ずかしながら、私も詳しい工程を把握していない。


 この事務所で行うのは、親がもつ遺伝子情報を読み取り、膨大なデータベースをもとに編集する部分の塩基配列を設計し、設計図にあたる配列データを病院などの他の施設に送るところまで。遺伝子操作に必要なツールを作成する工程は、専門の施設に委ねられる。あまりにもそのままで例えにならないが、この事務所で担当するのは、建築における図面を引く工程だ。


「ここのことは、ご主人からお聞きになったんですか」

「はい。よさそうなところが見つかったって。でも、遺伝的な近視を治すのって、そんなに珍しくないですよね。だから、何をそんなに検討する必要があるのかなって。失礼ですけど……」

「いえいえ、おっしゃることはわかります。ただ、うまい下手は多少あるんですよ。美容整形の二重術くらい」


 例えがぴんと来なかったのか、女性はわずかに怪訝そうな顔をした。彼女には無縁な話だからかもしれない。彼女の瞼は、むしろ美容整形のカタログにでも載っていそうな、形の良い二重瞼だ。


 特段気にしているわけではないが、二重瞼神話に異を唱えたくなって、「一重瞼の私が通りますよ」と言って、お茶菓子を出す。


「ユイちゃんはすっきり一重でかわいいよ」

「それはどうも。どうぞお召し上がりください」


 女性は笑いをこらえながら、お気遣いなく、と小さく言う。恥じらうようなしぐさが様になっており、花を愛でるような心もちになった。


「ご主人には内緒にしてほしいと言われたのですが、ご存知だったんですね」

「はい。なんだか気になって、パソコンの検索履歴を見たんです。ふたりで共用のものなので、ちょっとのぞくくらいの気持ちだったんですけど……。かなり大掛かりな遺伝子操作の相場とか、成功率とか、かなり詳しく調べている様子だったので」


 甘いな主人。隠したいのなら、共用のパソコンで検索するな。せめて履歴を消しておけ。心の中で突っ込むが、結果的にはよかったのかと思いなおす。


「ご主人のお気持ちは、おわかりになりますか」


 白井さんが大人びた口調で問う。女性は下を向き、唇を噛んだ。


「自意識過剰って思われるかもしれないですけど、理解しています。夫が外見にコンプレックスを抱いていることは、私も承知していますから。でも、それは思い込みなんです。私は、彼に似た子どもがほしい」


 女性の目は、涙ぐんでいた。


「そのお気持ちを、ご主人に伝えてみてはいかがですか」


 白井さんは、芝居じみた口調で返した。

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