第2話 Cosmetic gene (2)
「意外でした。てっきり断るかと」
男性を見送った後、あらためてコーヒーを淹れる。心地よい香りが部屋いっぱいに広がって、鼻腔を撫でた。
「なぜ?」
「だって、無茶じゃないですか。顔立ちなんて、遺伝子ですべて決まるわけでもないでしょうし。それにあの人、ああ言うわりに具体的な顔立ちは想像できてませんよ。絶対」
「だろうな」
私は小さくため息をつき、陽のコップにコーヒーを注ぐ。それを手渡す前に少し持ち上げると、ようやく陽が視線を上げた。彼の両手が開くのを確認してから、コップを手渡す。
「それにあれ、あの人の独断ですよ」
「どうしてそう思う?」
「奥さんの要望は、遺伝的な近視を直すことだけです。あとはあの人自身の願望でしかない。そんな風に聞こえました。顔立ち云々についての話は全部、あの人の主観でしたし」
陽は視線を宙に漂わせ、鼻をひくつかせた。
「そうかもしれない」
「きっとあの人、近視以外は奥さんには内緒にしてくれって言ってきますよ。相当、お金があるんでしょうね」
私は少し、腹を立てていた。妻に黙って、子どもの形質を少なからず弄るのだ。彼の考えはもっともらしいようで、ただの自己欺瞞でしかない。自分が嫌いだから、自分に似た顔の子どもを見るのが惨めだから、妻の意思をないがしろにすることだとわかっていながらも、それがさも人類にとって有益であるかのように述べ、自分を納得させている。それがあけすけで、余計に腹が立つ。
「いいんじゃないか」
陽の言葉に、思わず眉を顰めた。「いいんですか?」という声が裏返る。いいわけないでしょう?
「すべての責任を、一人で背負う覚悟なんだろう。ならいっそ、奥方は知らないほうがいい。金も彼が稼いだものだろうし、文句を言われる筋合いはない」
「私が言ってるのは、奥さんに言うべきかどうかということ自体ではなくてですね――」
陽は首を振った。無表情ながら、どことなくうんざりしているような気だるさがある。
「そういうのは、他人がどうこう言うものじゃない。この仕事を注文住宅のプランナーのようだと揶揄する人間もいるが、まさにそうなんだ。住人の誰かが全部決めようと、全員で話し合おうと、注文を受けた側は私情を挟まず、可能な限り忠実に、要望を叶えた家を作る。奥さんの意見を聞きましょう、なんて口を挟めば、作る側が責任の一端を負わされることになる。それがこの仕事だと他人の子どもなんだ。たまらないだろ」
ゆっくりと語り、コーヒーを啜る。この手の文句はあしらい慣れているのだ。むしろ慣れを通り越し、とっくの昔に飽きている。
「それはそうですけど、奥さんの意見を聞いてのことなら、それで何か問題が生じたとしても、奥さんの責任じゃないですか」
「その考えは正しいが、そう考えない人間も多い。実際、お前が口を挟まなければよかったと言われれば、確かにそうなんだ。反対にすべて依頼人の意向に沿っていれば、文句をつけられたとしても言いがかりだと、誰もが納得するだろう。こちらは注文に従って、技術的に従えない部分は逐一報告し、リスクを漏れなく説明すればいい。余計な干渉は軋轢を生む」
私は言葉に詰まり、唇を噛んだ。彼が目を見開くような返しを必死に考えた。が、その数秒後には、私の反論の出来など問題にあらず、そもそもアルバイトが口を挟むべき話ではなかったのだと気づき、密かに後悔した。私に負うべき責任がない以上、彼の意向を審議する権利もない。結局、「そうですね」以上に言える言葉はなかった。
「とはいえ、どうであっても文句をつけてくる顧客は少なからずいる。人間は手を加えられるものに対して、過剰に期待するらしい。そして思い通りにならないと、他人の所為にしようとする。それは誰だってそうだ。だが問題は、子どもの形質を恣意的に決めることで生じる責任の重さすら、理解できない連中だ。画期的な技術が生まれると、そういう人間の
陽の表情が、うんざりした。それを見た私は、思わず苦笑いする。
「今回は、そうじゃないといいですね」
「それはそうだ。だが今回は、最悪の場合美容整形という選択肢がある。子どものころは我慢することになるだろうが、気に入らなければそうしてもらうほかない。遺伝子操作が許容されるようになって、美容整形に対するイメージも改善されているんだろう? 妙な話だが」
妙な話であることは否定できないが、不可解な話でもない。本来の顔立ちがどうであれ、金さえあれば誰の子どもにも、美形になり得る遺伝的要素を与えることができる。美容整形は、いわばその廉価版で一代かぎり。その認識が、美容整形なら子どもの顔は期待できないね、という幻滅を、幾分軽減しているのだろう。
「皮肉ですね」
「まったくだ」
陽がゆっくりと、コーヒーを啜る。
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