Cosmetic - 美容の, 表面上の

第1話 Cosmetic gene (1)

「僕の妻、美人なんです」


 男性は、この上なく真剣な面持ちで言い放った。小さいのにやけに通る声で、その慎ましい自慢に、おもわず拍手しそうになる。


「それはよかった」


 ようは、にこりともせずに頷いた。他人の幸福を祝福するようでも、嫉妬するようでもなく、「それはよかった」以上の感想が無いという顔をしていた。


「はい、それはとても良いことなんです、でも……」


 男性は急に身を縮めて、弱々しい声音で話し始めた。いや、戻ったというのが正しい。先刻の一瞬が、彼にとって唯一の魅せどころだったようだ。


「彼女の、妻の美しさは、そのまま受け継がれるべきだと思うんです。……僕の、こんな平々凡々な顔と、足して割ってしまったら、勿体ないというか、むしろ、損害なのではないかと」


 男性は悲愴なくらいに、身を縮めて話す。ただ脇で聞いている私も、眉を八の字にしてしまいそうだった。なんだか無性に、「そうですよね、わかります」と言いたくなる。わかってはいけないのかもしれないが。


「なるほど」


 陽はまた、「なるほど」以上の感想が無さげな顔で頷く。目線だけは男性に向けたまま、手がコーヒーカップに伸びる。おそらく彼は、足して割るという表現が不適切だ、などと考えているに違いない。あるいは、一対の二重らせん構造を頭の中で構築し、それらを干渉させているところかもしれない。


「それで、見た目……、外見に関する部分は、極力ですね、僕のを除いて、彼女の遺伝子にしていただきたいんです」

「それはまた」


 陽はコーヒーカップを傾けながら、何かを考える様子で天井を見た。呆れているのかもしれない。


 それは無理だ。専門家ではない私にもわかる。


 この手の依頼人は、人間の顔の形が、エンドウマメの種子の形や色と同じような仕組みで、遺伝子に暗号化されていると勘違いしているのだろう。そうでないとしても、少し複雑なだけで、いくつか遺伝子をいじれば思い通りになると考えているはずだ。


 お話にならない。


 かしこまっているのが馬鹿馬鹿しくなる。余ったコーヒーを自分のマグカップに注ぎ、立ったまま、壁にもたれかかって飲む。口をつけたマグカップのへり越しに、陽の横顔を覗く。


 陽の仕事は、遺伝子の設計だ。厳密に言うと、DNAのどこをどう組み替えるか考案し、依頼人の要望を塩基配列に変換するのが、彼の職務だ。


 遺伝子、つまり塩基配列のパターンを表現形質に反映させるというのは、難解な暗号を読み取るよりも、たぶんずっと難しい。何せ、遺伝子は相互作用するのだ。配列を変えたところで変化しないこともあるし、反対に、思いもよらないところで支障をきたすことだってある。そのリスクを最小限に抑えつつ、なけなしの知見と経験則を駆使し、依頼人の望みを形にしようという、頭の痛くなる所業なのだ。もはや言うまでもないが、皮をどう切り取ってつなげるかという、美容整形とは違う。もちろん、美容整形を馬鹿にするつもりはないけれど。


 そんなに奥方の顔が良いのなら、奥方の染色体を丸々使って、そこに比較的都合の良いあんたの遺伝子を組み込んでしまえ。そう言うのを抑える代わりにコーヒーを飲み込み、質問を飛ばした。


「そのご相談をされるのは、こちらが初めてですか?」

「いえ、何件か、他のところで相談しました。でも、あまり良い返事をもらえなくて……」


 そりゃそうだ。瞼を二重に、というくらいならできるとしても、バランスが重要な顔面を塩基配列で設計しろというのは、無理難題としか言いようがない。


「それがとても難しいご依頼だということは、ご存知なんですよね」

「ええ、はい。……ですが、どうしても、妻に似た顔で、生まれてきてほしいんです。僕は、運良く彼女と結婚できましたが、普通、こんなことないです。あんな、素晴らしい女性と……。子どもが僕に似ていたらどうしようって、彼女に似ていたら、苦労もないだろうにって、考えずにはいられなくて……」


 奥方に会えないのが残念だ。いったいどんな女性なのだろう。


「……コシヒカリって、知ってます?」


 口をついて出た。


「はい?」

「いえ、なんでもないです」


 目を合わせず、テーブルに向かって話す男性をまじまじと見つめる。先ほど彼が言っていたように、平々凡々というのが相応しい、見栄えしないが不愉快でもない顔立ちだ。特筆すべき欠点がないので特徴が掴み難いが、逆に言えば不細工でもない。一言で言えば、似顔絵が描き難そうな顔立ち、だろうか。


 背は少し低め、体型はやせ型。少し猫背気味だが特別骨格が悪いわけでもなく、立ち姿も平凡の極みだ。姿勢に関しては訓練や気のもちようでどうにでもなるのだから、問題はやはり顔面か。


「あなたの要素は要らないと?」


 陽がぶっきらぼうに尋ねる。男性は少し身じろぎをして、さらに下を向いた。


「外見に関しては、全面的に妻のもので……。あと妻は、近視にならないようにと」


 妻の要望はそれだけなのかと突っ込みを入れたいところだったが、陽が事務的に話を進める。


「近視は了承しました。外見のほうも、全く要望の通り、というのは無理ですが、固定パターンの明確な部分で具体的な特徴を挙げていただければ、その部分に関しては忠実に設計できます。しかし各パーツを組み合わせたところで、奥様に似た顔立ちになる保証はありません。生まれた後で気に入らないと言われても、変えることはできませんし、塩基配列が完璧に設計通りとはならない場合も、こちらが責任を取る義務はありません。それと、料金が尋常でないものになりますが」


 男性が顔を上げ、陽を見る。平々凡々な顔が、たちまち明るんだ。


「はい、理解しています。ぜひ、よろしくお願いします」


 男性は握手を求めんばかりだったが、陽はコーヒーカップを掲げたまま、にべもなく続ける。


「それともう一つ」


 コーヒーカップを置き、おもむろに手を組む。


「お子様の先天的形質に、あなたが責任を負うことになります」


 一瞬で空気が凍り付き、男性が息をのんだ。陽に言われるまで、思いもしなかったのだろうか。微かな不愉快を、耳鳴りと共に感じる。陽は男性の内心を透かし見るように、冷めた視線を向け続けていた。


 長く感じられたが、沈黙は数秒間だった。男性の目がきょろきょろと泳いだあとで、陽の瞳に吸い込まれるように、焦点が定まる。


「はい」


 コーヒーの液面を震わせる、静かで力強い返事だった。陽がわずかに目を細め、ゆっくりと瞬きをした。


 仮契約は成立だ。私はタブレットを素早く操作し、男性に手渡す。


「こちらが具体的な特徴の一覧になります。奥様と今いちど、よくご相談ください。お見積もりはその後になります」

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