七ツ屋の女主人はこうして片腕を失った
三年前までの私はたくさんいた。
鏡の中を覗き込んでこう唱えるのだ。
私の名前は――。
それが私を切り替えるスイッチ、別の私にバトンを渡す合図。
そういう設定で日々を過ごしていたあの生活に終止符を打った原因は、今思うと一体なんだったのだろう?
身代わりであることに我慢がきかなくなったのか、誰かの代わりに愛されることに我慢ができなくなったのか。
あるいは――
今日も七ツ屋では閑古鳥が鳴く。
三年前にここの店主の老婦人に拾われた時から、客が入ることはあまりない。
それでも経営が成り立っているのはちょっとした副業を行なっているからだ。
一年前に店主が病気になってから、この店は私のものになった。
店も副業も受け継いではいるものの、私はきっとまだまだ半人前だ。
欠伸をしかけたその時に、ドアがゆっくり開かれた。
慌てて背筋を伸ばして、いらっしゃいませと声をあげた。
入って来たのは青年だった。
見覚えのある青年に、思わず目を見開きかける。
そして同時にやれやれと、頭の隅っこで埃をかぶっていた設定を引っ張り出した。
「……見つけたぞ、――」
青年はぼそりと呟く。
呟かれた名はかつての私の名前の一つ。
あの生活に終止符を打った時に捨てたものの一つ。
そしておそらく、私が一番執着していた名前。
――少し、痩せたか。
落ち窪んだ目を見てそう思った。
「……人違いです」
そう、人違いなのだ。
そういう設定にしてしまえばいい。
――ここにはもう、多重人格のふりをして心のバランスを取らないと生きることすらできなかった少女はいない。
私は七ツ屋の女主人、自分の妹の影武者でもなく、狂った戦士でもなく、冷徹な魔術師でもなく、ふざけた道化師でもない。
だから、お前のことなんて知らない。
「……今度はそういう設定か? 知っているぞ、お前の多重人格はただの演技だった、設定だった、そういうふりだった」
「ですから、人違いですよ。私はあなたのことなんて、これっぽっちも知らないのですから」
そう、全てが演技、あの日の私も今の自分も、自分の理想を演じていただけ。
「……嘘を、吐くな」
――それをお前が言うか、詐欺師。
貴様の嘘にはひどい目にあわされた、私だけでなく多くの人がその被害を被った。
その大嘘吐きが、他者に向かって嘘を吐くな、と?
あまり笑わせてくれるなよ? その口、縫い付けてやろうか?
「嘘なものですか。私はあなたのことなんかこれっぽっちも知りませんもの」
「……あくまで嘘を突き通すつもりか――なら、もういい」
青年はほとほと呆れたような顔で溜息をついた。
そして、懐から何かを取り出した。
取り出したのは小さなプラスチックのケース。
その中に、欠けた鏡の欠片が入っている。
「――依頼を一つ。この鏡の欠片の持ち主を探してくれ」
なるほど、そう来たか。
ここは七ツ屋。
だけど、閑古鳥が鳴くほど客が来ないことを憂いた前の店主がとある副業を始めた。
その副業は探し屋だ。
失せ物探し、物であれ者であれ、失くしたものを探し出す。
それがこの七ツ屋が行なっている副業。
今の所、探し出せなかったものは一つもない。
「報酬は弾む。いくらでも、たんまりとな」
さあどうする、とでも言いたげな笑みで青年はプラスチックのケースをずいとこちらに押し付けてくる。
そのケースを受け取って、私は一言。
「――引き受けましょう」
一か月後、渡された連絡先に私は連絡した。
鏡の持ち主が見つかった、と。
「まず、この鏡の持ち主ですが――お亡くなりになられていました」
開口一番にそういうと、青年はそんなはずはないと怒鳴り散らした。
だけど構わずに言葉を連ねる。
私が組み立てたシナリオを。
私が七ツ屋の女主人でいられて、かつこの探し屋に依頼失敗という泥を塗らずに済むシナリオを。
「――随分と探しましたが。この鏡の持ち主は樹海で首を吊って死んでいました。死後何年経っていたのかは、専門ではないのでよくわかりません」
「……」
青年は、私が一体何を語るのかと胡乱げな目で私を睨む。
「遺体は損傷が激しく、最早原型はとどめてはいませんでした。おそらく魔物にでも食い荒らされてしまっていたのでしょうね。――かろうじて、これだけ」
そこで私はテーブルの上に置いてあった包みを開く。
「――っ!!?」
包みの中身は骨。
ボロボロで、欠損だらけではあるがかろうじてそれが人間の腕のものである事は分かるだろう。
「――まともな形が残っていたのはこれだけでした。あとは粉々のボロボロで」
青年はボロボロの骨を見て絶句する。
不意にその目が私に、私の左腕に移った。
青年は私の左腕を数秒睨みつけて、ハッと息を飲む。
直後、青年が私の左腕を乱暴に掴んだ。
そして、はめていた手袋を剥ぎ取る。
その下にあったのは機械仕掛けの腕。
少し前に切り落とした腕の代わりにつけた、新しい私の腕。
これが、私が作り出した正答だ。
鏡の持ち主は見つかった、自殺した遺体の一部として、そういう設定として。
その設定を本当にするために、切り落としたあと、それらしく見えるように加工した。
包みの中の骨は私の腕、本物の私の腕。
それが鏡の持ち主であった事は代わりない。
持ち主は見つけ出した、ならば探し屋の仕事はそこまでだ。
これにて依頼達成。
青年は機械仕掛けの腕を掴んだまま、私の顔を睨め付けた。
「自分の腕を切り落としてまで、そこまでして俺を拒むか……!?」
「――さて、なんのことでしょう?」
だって私はもう、七ツ屋の女主人なのだから。
自分の妹の影武者でもなく、狂った戦士でもなく、冷徹な魔術師でもなく、ふざけた道化師でもなく。
誰かの偽物でもなく、誰かの身代わりでもなく、誰かの慰み者でもない。
だから、その問いの答えは是だ。
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