猫に嫉妬する男

「何が来たの?」

 恋人の部屋に遊びに来て数分後、やって来た宅急便から彼女が受け取ったのは小さな小包だった。

「……本を何冊か。それとこれ」

 ぱんぱかぱーんと取り出したのは魔術札だった。

「何それ?」

「これはね。一度だけ自分の言った事を聞かせることができる魔術札」

 ほんのり笑いながら彼女は説明を始めた。

「効果は大体三十分くらい。魔術耐性がある人にはそんなに効かないらしい」

「それなら魔術耐性がほとんどない僕には効果がある、ってこと?」

「多分」

 ……こいつは何を命じるのだろうか?

 どうせこいつのことだ、きっと可愛らしいお願いに決まっている。

 ……少し、楽しみだ。

 しかし彼女はその札をゴソゴソとしまいはじめた。

「使わないの?」

「え? 使っていいの?」

 キョトンとした顔で返された。

 それじゃあなんのために買ったんだと思うが、こいつは変なところで抜けているし。

 もしくは自分が気を抜いている時に使うつもりだったのだろうか?

「使えばいいじゃん」

 遠慮はいらないというと、彼女は花が綻ぶように笑った。

「それじゃあ遠慮なく」

 と、彼女は魔術札を掲げて口を開く。

 一体何を命じるつもりなんだろうか。

 控えめで気が弱い彼女の口からどんな願いが溢れるのか、少しわくわくする。

 しかし、唱えられた命令は予想外のものだった。

「豆大福、今すぐ私の膝の上で全力でくつろいで」

 …………は?

 その言葉とともに部屋の隅から彼女に駆け寄って来たのは一匹の猫。

 豆大福というのはこの猫の名前だった、何年か前に彼女が引き取った猫。

 豆大福は彼女の言葉の通りに彼女の膝の上でくつろぎ始めた。

 腹まで見せてだるーんとしている。

 それを彼女は、わーいとか言いながら撫で始めた。

「えっと……何? 今の……」

「お腹の毛やーらかーい……え? 今の命令の事? ……最近この子つれなくて、全然触らせてくれないから……」

 そういえばと思い出す、子猫の時は懐いてくれたのに、最近は素っ気ないと。

 ……だからと言って、わざわざ魔術札まで使うか?

 いや、こいつなら使うかもしれない。

「えへへへへ……まめちゃんかわいい……もふもふ……えへへへへへへ」

 思わず殴りたくなるような気の抜けた笑顔で彼女は猫の腹を撫でまくる。

 なんかすごい腹が立った。

 いくら突発的だったとはいえ、恋人が自宅に遊びに来てるのにその恋人そっちのけで飼い猫に構っているのである、こいつは。

 しかもだるっだるの笑顔で。

 頰がゆるゆるで心の底から嬉しそうな笑顔だ。

 惚れた女がそんな顔をしていて嬉しくないわけではないが、その笑顔が向けられているのは自分ではなく猫である。

 ちくしょう、いくら可愛くても許せないことはある、というかそういうことの方が世の中には多い。

 確かに札を使えばいいと言ったのは自分だ、だけどまさか飼い猫に使うなんて思わない。

 使う前に一言くらい言えばよかったのだ、猫に使うつもりだと。

 そうすれば今使えばいいとは言わなかった、絶対に。

 邪魔しようと思えばできる。

 膝の上の猫をどっかに放り投げてしまってもいい。

 しかし、あれだけ嬉しそうに笑っている彼女の顔は貴重だ。

 見ていたいという気もあった。

 そんなこんなで考え込んでいるうちにいつの間にか三十分経っていたらしい。

 だるだるだった猫が唐突に彼女の膝の上でビョーンと飛び跳ねた後、部屋の片隅に駆けていった。

「あ……」

 残念そうな顔で彼女は部屋の隅の猫に視線を向ける。

「…………………………たのしかった?」

 こちらを向いた彼女がビクリと身体を跳ねさせた。

「え……? なんか怒ってる……?」

「楽しかった?」

 もう一度問いかけると彼女は怯えたような表情で首を縦に振る。

「えっと…………貴方も触りたかった?」

 ……キレていいだろうか?

 キレていいな、よし。

 立ち上がって、彼女の身体を小脇に抱える。

 小さく悲鳴をあげていたが構うものか。

 別にここでもいいが、あの猫に邪魔される可能性もあるので寝室に移動する。

 部屋の大半を占めてしまっているベッドの上に彼女を放り投げた。

 不細工な悲鳴をあげた彼女の体に馬乗りになって告げる。

「構え」

「は、はい……」

 良い返事だと舌舐めずりをした。

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