ポエム演説「食事」

牛盛空蔵

ポエム演説「食事」

 演説おじさんは、しっかりとした足取りで演壇に上った。

 聴衆は静かに始まりを待つ。

 彼はゆっくりと一礼して口を開いた。




 諸君、今日は「食事」について聞いてほしい。


 諸君は、ある経済学者の話という形で、このことを聞いたことがあるかもしれない。

 ひたすら穴を掘っては埋める作業でも、報酬が支払われる限り、景気刺激策になる。

 もちろん、現実的にこのような作業が発注されることはない。ただの徒労だからだ。

 ……そう、徒労だ。拷問に比肩するまでに無駄な、行きては帰り、変わりては戻し、上げては下げる。掘り下げた成果はいずこかへとかき消え、また原始の状態へ、抗うものをあざ笑うかのように、当然のごとく不条理にも帰還する。

 これと似たものを、諸君はほぼ毎日経験しているはずだ。


 そう、食事!

 食事こそは、これと同じただの徒労に過ぎない!

 来る日も胃袋にものを詰め、しかしてその食物はかき消え、その場の空腹こそ満たされても、またすぐにその活力すらいずこかへと消え失せる!

 永遠の徒労を、誰もが繰り返していることに、なぜ疑問を抱かないのだ!

 止まることなく巡り続ける呪縛の環。仮に精神は徒労と知っていても、肉体は決して外れることを許さない理不尽の理!

 精神は肉体と対峙することすら許されない!

 なぜなら精神は、呪縛された肉体なくしては存在しえないからだ!

 精神は無限であるべきというのなら、肉体へのささやかな抗いもまた通ずるべきなのではないか!

 食事の呪縛からもまた、その抗いは許される形の一つとなるべきものであるはずだ!

 食っては消え、摂っては空腹へ堕ち、補っては消え果てる。なぜこの明白な徒労に、人類は牙をむくことが許されないのだ!

 永遠――徒労の環に収まるのではない、真に食事から開放された状態を永遠としよう。もちろん死ぬのではなく、食事を永遠にとらなくても生きてゆける境地のことだ。

 このような形で永遠であることは、哲学上の神に近い。神は永遠、不変、絶対、そういった恒常的な特性を備えているからだ。

 しかし!

 しかし食事には永遠はない。今までつぶさに、微に入り細を穿ち、理不尽の理に怒る声を発してきたとおり、食事は徒労の環ではあっても、この意味の永遠ではない。

 つまり――食事に神はいない!

 この神なき行為に人は縛られているというのか!

 人を縛っているのは神ですらない、ただの有象無象の環だとでもいうのか!

 私は認めない、断じて認めるわけにはいかないのだ!

 私はこの不条理、徒労の環、埋めては戻す不毛の原理と戦い続ける!




 聴衆は、演説場の一瞬の静けさが過ぎて、一斉に拍手と喝采を送った。

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