第21話 煩悩コントロール(9)

(1)


 二人は会場内で人とすれ違う度に声を掛けられ、挨拶と自己紹介及び、ちょっとした世間話に興じていた。とは言っても、話をするのは主にシャロンで、グレッチェンは努めて笑顔で相槌を打っているのみだったが。


 グレッチェンは人の多い場所や仕事以外で知らない人間と話すのが苦手だ。取りわけ上流の人間は父と姉を想起するからか、苦手を通り越して軽く恐怖すら覚える程。

 しかし、シャロンに恥をかかせたくない一心で、無理矢理に硬い表情筋を動かし、口角をいつもより上げて笑顔を保っていた。


「グレッチェン、疲れていないか??暑いから喉も乾いているだろう。飲み物を取りに行ってくるよ」


 いつもならすげなく断るところだが、慣れない場所、慣れない服装、苦手とする人々との会話に正直疲れていた。グレッチェンは素直に頷くと壁際に寄り、シャロンが戻ってくるのを待った。

 ところが、しばらく待ってみてもシャロンはグレッチェンの元へ戻ってこない。

 また誰かに話しかけられているのかしら、と、思っていると、一人の男性がグレッチェンに声をかけてきた。グレッチェンと同じ年頃の上品そうな青年だ。


「失礼。不躾は承知の上で、貴女の知的で楚々とした美しさについ目を奪われてしまいまして。少しだけでもお話できればと思い、お声がけさせていただきました」

「……はぁ……」


 口調こそ丁寧だが、明らかに口説かれている。色恋に疎いグレッチェンでも、すぐに気づいた。

 けれど、シャロンやハルがからかい半分で口説いてくるのとは違い、見ず知らずの男性をどうあしらっていいのかなど、うぶなグレッチェンには知る由もない。


「すみません、お気持ちは大変嬉しく思うのですが……、連れがそろそろ戻ってくるかと思いますので……」

 かろうじて絞り出した断り文句を聞いたにも拘わらず、青年は余裕そうに笑っている。

「貴女のパートナーなら、先程からレディ・キャロラインとご一緒していますよ。ほら、あれをご覧ください」


 青年が視線で示す方向を注視してみる。いた。

 シャロンはアッシュブロンドの豊満な体格の美女ーー、キャロラインに伴われ、挨拶回りをしている。

 おそらく、グレッチェンの飲み物を取りに行く途中でキャロラインに捕まってしまったのだろう。主催者の娘に誘われた以上、いくらあしらいの上手いシャロンでも無下にはできない。


「レディ・キャロラインは、一度気に入った男性を飽きるまで離そうとしませんから」

「…………」


 シャロンが当分自分の元へ戻ってこれない以上、青年の誘いを断る口実も消えてしまう。

 複雑な心境のまま、グレッチェンはしかたなく青年のとりとめのないお喋りに付き合わざるを得なくなってしまった。






(2)


 グレッチェンへの飲み物を取りに行く途中、シャロンはキャロラインと出くわしてしまった。


「あら、マクレガーさん。ごきげんよう」

「これはこれは、レディ・キャロライン。今宵は一段とお美しいですね」


 キャロラインは、淡いクリーム色を基調とした生地、グレッチェンと同じく全体に小花模様をあしらった円筒状のドレスを纏っている。ただし、小花模様と胸元からオーバースカートに流れるひだ飾りは目が覚めるような見事な赤色で、彼女の艶やかな美貌にふさわしい、派手な作りだった。


「マクレガーさんと、あのレディ、えぇと名は何だったか忘れてしまったけど……、会場に集まった人々の間で噂になっていますわ。特にレディの方……、あの見目麗しいご令嬢は一体どこの誰だと」


 キャロラインは表情こそ笑顔を保っているが、目はちっとも笑っていない。予想以上に、グレッチェンが美しい女性だったことが面白くないようだ。実に浅ましいことだ。己よりも容姿が劣るものは蔑み、勝っていれば嫉妬心を燃やす。

 だが、すぐに気持ちを切り替えたのか、キャロラインは科を作りながら、上目遣いでシャロンにこう懇願してきた。


「そのご令嬢とお話したがっている方々が何人かいらっしゃるみたい。せっかくだから、彼らにも彼女と接する機会を与えてあげたいと思って。それに、私、今夜は特定のパートナーがいなくて……。マクレガーさんに挨拶周りをぜひご一緒していただきたいの。いいでしょ??」


 言うやいなや、絶対に逃さないとばかりにシャロンの腕に自身の腕をねっとりと絡ませ、強引に連れ立っていく。エメリッヒ家主催の夜会ではなく、他の場であればシャロンはきっぱりと断りを入れただろうが、今夜はそういう訳にもいかない。

 心中でグレッチェンを一人にさせてしまうのをひどく申し訳なく思いながら、または少しでも早くキャロラインが自分を解放してくれることを祈りつつ。爽やかな作り笑顔に張りつかせ、シャロンは辛抱強くキャロラインに付き従う。


「キャロライン、そちらの方は??」


 消え入りそうな小さく細い声に反応し、揃って振り向く。そこには見覚えのある女性――、キャロラインの姉クラリッサがワイングラスを片手に佇んでいた。


「あら、お姉様ってば、いつから会場にいたの??」

 冷たい響きを持つ声で、キャロラインはクラリッサに鷹揚に応える。

「……いつからって……。最初からいたわ……。さっきだって、お母様と一緒にいたところに、貴女通りかかったじゃない……」

「そうだったかしら??全然気づかなかったわぁ。それよりも、またそんな地味なドレスなんか着て」


 嫌な含み笑いをそれとなく浮かべる妹に、クラリッサは一瞬だけ僅かに眉根を寄せ、怒りの表情を垣間見せる。

 ちなみにクラリッサが纏っているのは、金褐色の生地のオーバースカートに黒地のマーメイドラインのアンダースカート、胸元からスカートのドレープ部分には薄い黒レースのひだ飾りがあしらわれていて、決して地味な衣装ではない。

 つまり、キャロラインは『貴女がどんなドレスを着ようと、地味な女には変わりない』と暗に言いたいのだ。

 姉妹の仲の悪さをまざまざと見せつけられたシャロンは内心うんざりし、一刻も早くグレッチェンの元へ帰してくれないだろうか、と天を仰ぐ。そんな彼の心中など知

らない姉妹の間には、今にも一触即発となりそうな緊張感が張りつめている。


 だが、姉という立場上からか、クラリッサはフッと弱々しげな笑顔を見せただけだった。


「……そうね。キャロラインが言うように、私も流行のポンパドゥール風ドレスにすれば良かったかも……。そうだわ、この赤ワイン、まだ手を付けていないから、貴女に差し上げるわ」


  キャロラインは剣呑な眼差しで姉を一瞥した後、礼も言わずにワイングラスを受け取った――、パシャッ!!


「あら、ごめんなさい、お姉様。手が滑ったわ」

 キャロラインはワインを飲むと見せかけ、何と、クラリッサのドレスにわざと引っかけたのだ。

「大変だわ。ドレスが染みになってしまうから、すぐに使用人に着替えさせてもらわなきゃ!」


 キャロラインは呆然とするクラリッサとシャロンを尻目に、適当なメイドに声をかけ、クラリッサを着替えさせるように命じた。

 青ざめた顔色でわなわなと唇を震わせ、引きずられるように会場を連れ出されるクラリッサの後ろ姿。それを見送っていたキャロラインの淡いグレーの瞳は、傲慢で冷酷な女王を思わせる、冴え冴えとした冷たさを湛えていたのだった。

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