第20話 煩悩コントロール(8)

(1)


 黒い燕尾服を纏うシャロンの腕に自身の腕を遠慮がちに組ませ、グレッチェンは大勢の紳士淑女がひしめき合う大広間へと足を踏み入れた。


 スカートがやや引き裾になった円筒状のドレス、踵の高いクロムウェルシューズのせいでどうにも歩きにくい。歩調が普段よりたどたどしいグレッチェンを、シャロンは少しでも歩きやすいようにさりげなく誘導する。


「あの、シャロンさん……」

「うん、何だね??」

「私……、どこか変なのでしょうか??先程から会場の方々がこちらをチラチラ見てくるのです。見るだけじゃなくて、ひそひそ話までされてますし……。歩き方がおぼつかないせいでしょうか??それとも……、このドレスが私には似合っていないとか……。あ……、もしかして、鬘がずれているとか??」


 扇を口元に当てながら、ひどく不安げにシャロンを見つめる。

 しかし、シャロンはきょとんと目を丸くし、あろうことか、ぷっと小さく噴き出したのだ。思わずムッとなり、唇を尖らせる。


「人が真剣に訊いてるというのに……。馬鹿にしないでください」

「い、いや、す、すまない。いつも冷静な君が余りに見当違いな不安そ感じているのが、可愛らしいというか、何というか……」

 シャロンは余程可笑しいのか、こみ上げてくる笑いを必死で堪えている。

「鬘もずれていないし、君以上にこのドレスが似合う女性は他にいない。歩き方なんて誰も見ていないよ。しいて言うなら、君の美しさに人々が見惚れ、感嘆の声を漏らしているだけさ」

「また、そうやって歯が浮くようなことを……」


 怒るよりも呆れが勝り、プイッとシャロンから顔を反らす。自分がどれだけ美しい女性なのか、全く自覚していないのだ。そっぽを向いたせいで、シャロンが彼女の装いをしみじみと眺めていることすら気づいていない。。


 ほんのりと青みがかった白い生地(照明の光が反射した際、黄ばんで見えぬよう)を基調としたドレスは銀糸で刺繍した小花模様が散らされ、小花の蔕部分は青いガラスビーズが縫い付けられている。胸元からオーバースカートのドレープ部分にかけては鮮やかな古代青のひだ飾りがあしらわれ、袖口と腰のリボン、アンダースカートの裾周りにも同色の布が飾りつけられている。

 華美さには欠けるが、初夏に相応しい装いであり、彼女特有の理知的な美しさを十二分に引き立てていた。

 惜しむらくは、髪が地毛ではなく鬘であること。後ろで一本にゆるく編み込んだゴールドブロンドよりも、本来の髪色、アッシュブロンドの方がこの衣装にはより似合うのだが。


 シャロンがそんな風に考えているとは露知らず、もう一度彼の顔を覗き込む。

 ほぼ無意識と言っていいが、彼の顔を見ることで収まらない不安を和らげたい、のかもしれない。


 シャロンの背丈は決して高くない。せいぜい中背といったところか。それでも小柄なグレッチェンと並ぶと頭一つ分以上の差が出てくる。しかし、今日のグレッチェンは踵の高い靴を履いているので、いつもよりうんと顔が近くなる。

 間近で見る彼女には九年前の無垢で病弱だった少女の面影はなく、凛とした大人の女性へと変貌していることを改めて思い知らされる。だが、今にも消えてしまいそうな程の儚さや、愁いを帯びた瞳だけは相変わらず変わっていない。


「グレッチェン、君は自分が思っているよりもずっと魅力的な女性だよ。堂々と胸を張って歩きなさい。いいね??」

「…………」

「でないと、一生懸命君のことを考えて衣装を揃えてくれた、私の母もがっかりしてしまうよ??」

「……あ……」


 シャロンとよく似た顔立ちをした婦人の、楽しげな表情を思い出したグレッチェンは、バツが悪そうに扇を口元に当てた。





(2)


「グレッチェン!よく来てくれたわねぇ。いつ見ても小さくて可愛らしいのに、顔は陶器人形みたいだわぁ。本当に綺麗……」


 キャロラインから夜会の招待状を受けてすぐ、グレッチェンはシャロンに連れられて彼の実家に訪れていた。

 この家の主――、シャロンの母マクレガー夫人はグレッチェンの姿を見るなり、挨拶もそこそこに彼女の髪や頬、肩をやたらと撫で回す。


「お母さん……、グレッチェンが困ってますよ……。それと、息子への挨拶はなしですか……」

「あら、いたの??グレッチェンがあんまりにも可愛いから気づかなかったわ」

「…………」

「ねぇ、シャロン。まだグレッチェンにこんな短い髪とみすぼらしい格好をさせているの??だめじゃない!もっとお給金をあげるなり何なりして、素敵なお洋服が買えるようにしてあげなさいよ、全く」

 シャロンと同じく、涼しげなダークブラウンの瞳で息子を横目で睨むと、夫人はすぐににこやかな顔でグレッチェンに向き直る。

「今度、シャロンと夜会にお出かけするんですって??」

「はい。夜会……、と言っても格式ばったものではなく、客人同士が交流を図る立食の晩餐会みたいな気軽なものらしく、ドレスコードも随分と緩いようです」

「そうなの??じゃあ、イヴニングドレス限定という訳ではないのね」


 夫人の目の奥が、キラキラと眩しい位に光り輝いている。若く美しい娘を着飾らせられることが楽しみでしかたないのだ。


「ふふふ……、これは私の腕の見せ所ね。事前にシャロンから連絡をもらっていたから、すでにいろんな布地を取り寄せていたの。早速合わせてみましょう!シャロンはおとなしく客間で待っていなさい。絶対に、覗いたり乱入しちゃ駄目よ!!」

「そんなことしませんよ!」


 最早何も言うまい。客間で黙って紅茶を啜るシャロンを放置し、夫人はグレッチェンを自室へと連れ立っていく。


「あ、あの……、『お義母様』」

「何かしら??」

「私のために、わざわざドレス選びを手伝って下さって、ありがとうございます」

「もう、そんな他人行儀に畏まらなくてもいいわよ。貴女は私にとって、娘同然ですもの」


 当たり前のように、自分を娘と呼ぶ夫人の言葉にグレッチェンの胸の奥がじんわり熱くなる。

 

 九年前、シャロンと共にこの街に訪れたグレッチェンは、十二歳から十五歳までの三年間、マクレガー家でシャロンと夫人と一緒に暮らしていた。

 シャロンが卒業目前に大学を辞めた理由――、レズモンド家の火災で焼け出され、身寄りを失くした少女を引き取ったからだと知った夫人は驚き、同時に大いに戸惑った。


 は富める者の義務。だからといって、長年の夢を諦めてまでするべきなのか、と。


 しかし、実際にシャロンに連れられてマクレガー家にやってきた少女――、グレッチェンを初めて目にした時、彼が彼女を引き取ろうと思い至った理由に納得せざるを得なかった。


 腰よりも長く伸びた髪は艶の一切がなく灰色で、老女の髪のようだった。

 重度の萎黄病きおうびょう(拒食症)を思わせる痩せ細った身体、青白いばかりで生気のない顔色。体力がないせいか立ち続けることもままならず、倒れないようにシャロンが支えているお蔭でどうにか立っていられるという有様。

 なにより、この世界に存在するもの全てが恐ろしく感じるのか、少女は終始怯えていた。いっそ哀れな程に。


 そんな少女が、シャロンにだけはすっかり心を許しきっているだけでなく、母である自分ですら、これまで見たことがないような優しい眼差しを少女に向ける息子の様子に夫人は悟る。

 

 この二人は、鋼で作られた鎖と同等、いやそれ以上に固い絆で結ばれているに違いない、と。


 聞けば、この少女は火事で焼死した執事の娘で、母親を赤子の時分に亡くしただけでなく、病弱さを持て余した父親が多忙極まる執事業務を理由に、屋敷の一室に押し込めて育児放棄していた、とか。

 目的の為なら他人を利用し、場合によっては蹴落とすことも厭わなかった息子が、初めて人間らしい優しさ、思いやりを向けるに至った過程は分からない。

 分からないが――、彼をそこまで変えたこの少女を、一人前の女性となるよう大切に育てなければ。

 

 グレッチェンを完全に受け入れるのに、夫人も様々な葛藤がなかったと言えば、嘘になる。だが、今ではシャロン以上に大事な娘として、グレッチェンに『お義母様』と呼ばせる程の仲だ。

 そして、夫人がグレッチェンにそう呼ばせているのはもう一つ理由があってのこと。その理由を、グレッチェンにもシャロンにも決して教えるつもりはないけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る