第19話 煩悩コントロール(7)

(1)


 成金とはいえ仮にも上流の女性。非常に不躾な態度なのは充分自覚している。

 それでも、グレッチェンはキャロラインからの『依頼』を請け負いたくなかった。

 キャロラインはポカンと口を半開きにさせていたが、状況を理解するにつれてやや厚めの唇を歪ませていく。細い肩も小刻みに震えている。気位が人の三倍は高いであろう彼女の怒りを買ってしまった、かもしれない。

 どうするつもりなんだ、と言いたげに横目で視線を送るシャロンを無視し、キャロラインの出方をじっと待つ。


「ふ……」


 ふざけないで!とでも癇癪ヒステリーを起こすか、と、思われたが、信じられないことにキャロラインはころころと大笑いし始めた。

 予想外の反応に、今度はこちらが呆気に取られる番だった。シャロンと共に閉口していると、キャロラインは笑いながら更に信じ難い言葉を口にする。


「ふふふふ……、いやぁね、冗談に決まってるでしょう??いくら、あれクラリッサどんくさくて目障りだからって、さすがに殺そうなんて思わないわよ。あれもあれで、あんな気が小さい臆病者が人殺しなんて大それた真似、到底できっこないもの。どうせ、ただの噂なんでしょ??なのに、ご丁寧にも私の冗談に真面目に答えてくれるから、もう可笑しくて可笑しくて……」


 どうやら、酔った弾みでの戯言だったらしい。

 安心するシャロンの隣でグレッチェンは露骨に顔を顰めた。この手の質の悪い冗談は許し難く、強い嫌悪感を覚えてしまう。


「そんなことはともかく……。ねぇ、マクレガーさん、お店の閉店作業なんて坊やに任せちゃって、今から私と飲みに行きましょうよ」

 キャロラインはグレッチェンを完全に無視し(それどころか、彼女を男だと勘違いしている)、カウンターに寄り掛かってシャロンに誘いかける。酔いも手伝って潤んだ瞳、紅潮した頬は蠱惑的で、さりげなく彼の腕に触れてさえくる。

「レディ・キャロライン。お誘いは実に嬉しいのですが……、夜遅くに彼女を店に一人きりで置いて行くのは心配でして。何分うちの看板娘ですから、彼女が完全に一人になったところを狙って不貞な輩が店に押し入ってくるかもしれません。貴女もご存知かと思いますが、歓楽街は華やかな反面、犯罪も多いですからね。申し訳ありませんが、今夜のところはお引き取り願えませんかね??」


 口調は丁寧かつ柔らかだが、シャロンはキャロラインの誘いにはっきりと断りを入れた。『貴女よりもグレッチェンの方が大事だから』という旨を暗に強調させて。


「彼女??看板娘??」

 ようやくグレッチェンが女性だと気づいたキャロラインは、今度はグレッチェンを不躾なまでにじろじろと眺めた。そうして気が済むまで値踏みしたのち、嫌な含み笑いを漏らした。

「貧弱な身体で男装姿だから、てっきり男の子かと思ってたわ。ふぅん……、よーく見てみれば、確かに顔はまぁまぁ綺麗よね」


 私と比べたら見劣りするけど、と、心中で付け足していそうなキャロラインにグレッチェンは「恐れ入ります」と、いつもの鉄面皮で短く答える。すると、何を思ったのかキャロラインの興味の対象はシャロンからグレッチェンへと移行した。


「貴女、歳は??」

「二十歳です」

「見るからに堅物……、いえ、生真面目そうなお嬢さんね。指輪をはめていない辺り未婚のようだけど、恋人は??」

「恋人はいません。私には必要ありませんから」

「あら、そうなの。魅力的な女になるには男性に愛されてこそなのに。もったいないわねぇ」

 キャロラインは、あからさまに優越感を示す微笑みをグレッチェンに向けてきた。

「レディ・キャロライン、うちの看板娘をからかうのも程々に」


 グレッチェンを侮辱している――、と感じたシャロンは、笑顔を保ちつつキャロラインを窘める。

 身分と、人としての品性は必ずしも一致しない。いい典型例だと、軽蔑心を抱きながら。


「……お言葉ですが、個人的に恋愛経験の有無と人の魅力は別物だと思います。私が、とかではなく、一般的に見て、ですけど」


 口調こそ無感情で事務的だが、なぜ、そこで挑発に乗ってしまうのか。

 正しくは人としてではなく、女性としての魅力では……??

 グレッチェンの言い分は間違っていない。間違っていないが――、切り返し方はずれている。

 普段は冷静な筈なのに……、シャロンは思わず、額に手を当て天を仰ぎたくなった。寸でのところで堪えたけれど。


「面白いお嬢さんね。気に入ったわ」


 グレッチェンの刺々しい発言を受けたキャロラインは憤慨するどころか、なぜか楽しそうに笑ってさえいる。酔っ払っているせいなのか、余裕の表れなのかは定かではないが。

 キャロラインはずっと手にしていた、光沢を放つ純白のビーズで作られた鞄の中から、一通の手紙と万年筆を取り出した。


「酔いが醒めてきたお蔭で、ここに来た本当の理由をやっと思い出せたわ……。今度、我が家で開かれる夜会にマクレガーさんをお誘いしようと思ってここへ来たことを……。でも、気が変わったわ。マクレガーさんと、お嬢さん……、えぇと、名はグレッチェンさんだったかしら??ファミリーネームは??」

 グレッチェンがファミリーネームを伝えると、キャロラインはおもむろに手紙の封を開け、招待状に書かれた『シャロン・V・マクレガー』の下に、グレッチェンのフルネームを書き足す。

「この夜会は異業種の人々との交流を持ちたいお父様が定期的に開いてて、上流のみならず中流の人々も参加しているの。だから気後れすることなんかないし、貴方達にぜひ参加していただきたいわ」

 キャロラインはシャロンの掌に、押し付けるように招待状を手渡す。

「いい??この私がわざわざ出向いてまで招待するのだから、絶対参加して頂戴ね??それじゃあ、ごきげんよう」




(2)


 この国の天気のように一貫性がまるでなく、終始落ち着かない言動を繰り返すキャロラインがようやく店を去った。途端にシャロンとグレッチェン双方共に、どっと疲れが押し寄せてくる。その証拠に、シャロンは元よりグレッチェンですら、閉店作業の手を止めてしまっているのだから。


「シャロンさん……、本当にエメリッヒ家の夜会に、私も参加しなければいけないのでしょうか……」

「仮にも身分の高い家の者に誘われた以上、断る訳にもいかないだろう」

「ですが……、私は髪も短いですし、夜会に参加できるようなドレスも持っていません。仮にドレスを新調するにしてもお洒落や流行に疎い分、シャロンさんに恥をかかせてしまうかもしれません」


 グレッチェンは珍しく眉尻を下げ、縋るようにシャロンを見上げてくる。

 おろおろと困惑しきりの体が何とも可愛らしいが、口が裂けても言えない、言ってはならない。口にしたら最後、目尻を吊り上げて冷たい罵倒を浴びせられるのがオチだ。


「心配には及ばないさ。君には強い味方がいるじゃないか」

「え??」

「隙あらば、君を着飾らせたくていつもうずうずとしている、あの人だよ。きっと悦び勇んで、いくらでも世話を焼いてくれるだろう」


 ニッと唇の端を持ち上げて笑いかけると、グレッチェンも何かを思い出したらしく、あぁ……と、納得の声を上げた。

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