第15話 煩悩コントロール(3)

(1)

 

 薬屋マクレガーの目の前まで戻ったものの、グレッチェンはなかなか扉を開けられずにいた。


 別に、普通に『今戻りました』と言って中に入ればいいだけなのに。

 ラカンターから帰ってきた自分に、シャロンは一体どんな言葉をかけるのかが気になって仕方ない。だが、時間が経てば経つ程、入りづらくなっていく。

 だから、シャロンからかけられるだろう言葉をいくつか想定し、覚悟を決めた上で中へ入る。というよりも、これしか方法はない。

 頭の整理がついたところで、グレッチェンは思いきって扉を開ける。


「…………」


 カウンターの奥には、当然、シャロンが立っていた。 

 そして、もう一人――、グレッチェンと同じ年頃の若い女性が、カウンターの前に佇んでいる。


「グレッチェン、随分と遅かったじゃないか」


 想定中の想定というべき第一声を告げたシャロンだったが、次に発したのはグレッチェンの予想から大幅に外れた言葉だった。


「グレッチェン、君に『仕事』の依頼だよ」


 その一言で、グレッチェンの顔つきが瞬時に切り替わる。すぐさま玄関の鍵を閉め、女に向き直る。グレッチェンと視線が重なると、女性は怯えたようにさっと目を逸らす。

 グレッチェンはゆっくりと静かに、それでいて、はっきりと言葉が聞き取れる声で話し始める。


「『毒』をお求めになる場合、その理由を訊かせていただくことになっています。ただし、理由如何によってはお断りするかもしれませんが」

 女性は緊張ゆえか、頬を強張らせて大仰に頷いてみせる。

「……承知しました。では、ひとまず奥の部屋へご案内します。お話はそちらで訊かせていただけますか??」


 



(2)


 ツンと鼻をつく異臭が漂う奥の部屋へ、グレッチェンは女を案内した。

 女性は、四方を囲う、薬品と医学書が隙間なく並べられた棚を物珍しげに眺めていたが グレッチェンに隅の流し台付近――、簡素な丸テーブルと二脚のローバックチェアのある場所までくるよう指示され、慌ててそちらへと向かう。

 女性が着席すると、「まず始めに、貴女のお名前をお聞かせ願えますか??」と、グレッチェンは名を尋ねた。


「私の名は……、クラリッサと申します」


 女性――、クラリッサは名を告げると、膝上できちんと指先を揃えて深々と頭を垂れる。訛りが少なくきれいな言葉遣い、礼儀正しい所作、仕立てのいい衣服。間違いなく中流以上の家柄だろう。

 惜しむらくは、オレンジがかった硬い髪質の赤毛、目も鼻も口もどれも小作りで、鼻から頬にかけて散った雀斑などで、どうにも地味で垢抜けない印象が拭えない。決して醜い訳ではないし、見ようによっては愛嬌のある顔立ちの、素朴な雰囲気の令嬢といったところか。


「クラリッサさん……、ですか。わざわざご丁寧な挨拶ありがとうございます。では、単刀直入にお訊きしますが、なぜ貴女は毒を手に入れたいのですか??」


 顔を上げたクラリッサは、グレッチェンの顔をただじっと見つめるばかりで口を開こうとしない。

 実は、グレッチェンの質問に対して依頼人が口籠るのはよくあること。人の生き死にが関わるため、当然と言えば当然の反応なので黙って答えを待つのは慣れている。


「貴女、その顏の怪我はどうなさったのですか??」

  一〇分近くグレッチェンの顔を凝視し続けた末、ようやく口を開いてくれたと思いきや。質問した内容と全く関係のないクラリッサの返答に、グレッチェンは困惑を隠せない。

「あの……、私は毒を必要とする理由をお訊きしたいのですが……」

「可哀想に……。こんなに綺麗な顏をしているのに、いいえ、綺麗な顔しているからこそ余計に痛々しいわ……」

「…………」


 クラリッサはグレッチェンの質問を無視するだけでなく、自分の話したいことのみを一方的に話すばかり。会話の受け答えがまるで噛み合わず、閉口せざるを得ない。


「……お気遣いありがとうございます。ですが、お世辞でしたら無用ですよ。それより」

「随分と謙虚な方なのね。でも、お世辞じゃなくて、貴女は本当に綺麗な女性よ。灰色がかったブロンドも長く伸ばせば、さぞかし艶めくでしょう。薄灰の瞳も知性を湛えていてとても素敵」

「……はぁ……」


 クラリッサは、どこか茫洋とした遠い目でグレッチェンの容姿を褒め称えてくる。当のグレッチェン自身は、そんなことより毒を求める理由を早く教えて欲しいのだけど……、と、いささか苛立ちを募らせていた。


「お化粧してなくてもそれだけ美しいなんて、羨ましい……。…………憎らしさを覚えるくらいにね…………」


 茫洋としていたクラリッサの瞳に狂気めいた光が宿る。

 刹那、グレッチェンの背筋に薄ら寒いものが走り抜ける。


「そうよ……。美しいというだけで、小さい頃からいつもキャロラインばかりが皆から可愛がられていたわ。私は赤いリボンが欲しかったのに、あの娘の方が似合うからと青いリボンを無理矢理押し付けられた。綺麗な物や可愛い物は全部あの娘にばかり回されていたの。私だって欲しいと訴えれば、貴女はお姉様なのだから妹に譲りなさい、の一点張りで取り合ってもらえなかった。いいえ、それだけじゃないの。あの娘は私からエリックを奪ったのよ。エリックも酷いの。姉か妹かの違いなだけで、同じ家の娘と婚約することには変わりないのだから別に問題はないだろう、どうせ結婚するなら美しい方がいいに決まっている……なんて……」


 終始、自分の話したいことだけを話し続けるクラリッサだったが、グレッチェンは彼女が毒を求める理由を何となくだが理解、することができた。


「要するに……、婚約者を奪った憎い妹を毒殺したい、ということで、宜しいでしょうか……」

 クラリッサは、小さな子供のように何度もこくこくと首を縦に振ってみせた。茫洋としていた瞳が一転、きらきらと期待に満ちている。妹への殺意によって生き生きとし始めたクラリッサに軽い眩暈を覚えた。

「大変申し訳ありませんが……」


 皆まで言い切る前に、クラリッサの瞳から瞬く間に生気が消えていく。

 いっそ哀れな程の感情の変化に同情を覚えない訳ではない。しかし、色恋の感情は、理屈ではどうにも割り切れないものだとグレッチェン自身が痛感しているので、痴情の縺れによる依頼は全面的に断っている。

 

「そう、よね……。やっぱり、こんな理由じゃ、ねぇ……。ごめんなさい、私がここへ訪れたことは忘れてくださる??私も忘れますし、誰にも他言しません」

 視線を右へ左へ忙しなく彷徨わせ、クラリッサは腰を上げる。

「あら??貴女……、顔色が随分と悪いわよ??大丈夫??」

「あ……、はい。大丈夫です……」


 大丈夫だと答えながらも、グレッチェンの顔はすっかり青褪めていた。

 

 もしも、マーガレットが生きていたら――、シャロンを奪った自分を何としてもこの世から抹殺しようと目論むだろう。誰よりも美しく、気位の高い激情家だったマーガレットならば充分あり得る話だ。


 妹への憎悪を滾らせるクラリッサに、自身の姉マーガレットの影が重なり、グレッチェンは激しい憎悪が己に向けられている気分に陥っていた。

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