煩悩コントロール

時系列はLies~より少し前。両片思いだけど色んなしがらみを気にしすぎて、一線を越えられない二人の話。

第13話 煩悩コントロール(1)

(1)


「いらっしゃいませ。珍しいですね、ハルさんがわざわざ店に出向くなんて」

「あぁ、お前んとこの馬鹿店主が中々アレを店に持ってきてくれないからな。そろそろなくなりそうだし……」


 男にしては髪を長く伸ばした長身男性、大衆居酒屋ラカンターの店主ハルが来店すると、グレッチェンは他の客より幾分親しげな様子で声をかける。だが、グレッチェンの顔を見るなり、ハルは絶句した。


「……グレッチェン。お前、その顔は一体、どうしたんだよ?!」


 ハルが言葉を失うのも無理はない。グレッチェンの左頬全体に青紫色の痣が拡がり、左目も少し瞼が赤く浮腫んでいたからだ。一応、頬に湿布を貼ってはいるものの、全然隠しきれていない。

 グレッチェンはやや気まずげに嘆息を漏らすと、ハルの視線を避けるようにさりげなく顔を背ける。


「……あぁ、これですか。転びました」

「グレッチェン、お前、嘘つくの下手すぎるぞ」

「…………」

「誰だ??誰に殴られたんだ??その痣は、どう見繕っても、男に殴られたとしか思えんが??」


 金色が入り混じった双眸は険を増す一方、グレッチェンの頭は益々下がっていく。黙秘を貫くグレッチェンを、ハルはしばらく無言で睨むように見つめていた。


「まさかとは思うが……」

「ハル。私が、か弱い女性に暴力を振るう非道な輩だと思うか??」

 

 グレッチェンの隣で黙って二人の様子を見ていたシャロンを、ハルは横目でギロリときつく睨む。しかし、シャロンもシャロンで努めて穏やかな口調ながら、いつになくピリピリしている。

 そういえば、店内の空気がいささか緊張味を帯びているのは、シャロンが苛立っているからに他ならない。常日頃爽やかに微笑んでいるシャロンが、今日に限って仏頂面を下げている。


「グレッチェン。悪いが、私は奥で仕事をしてくる。ハルをよろしく頼むよ」

「……分かりました」

 グレッチェンの返事を聞くやいなや、シャロンはそそくさと奥へ姿を消してしまった。余りの素っ気なさにハルはすっかり呆れ顔だ。

「あいつは何を不貞腐れているんだ……」

「すみません、ハルさん。どうも私の怪我に責任感じていて……、相当気が滅入ってるみたいです」

「どうせ、あいつの女絡みでお前がとばっちり受けたんじゃないのか??どうしようもねぇなぁ」

「そういえば、ハルさん。男性用避妊具はいくつ必要ですか??今日はそれを買いにきてくれたのですよね??」

「……あ?あぁ……、とりあえず、五つくれ」


 怪我の話題をこれ以上したくない。グレッチェンは無理矢理に話を終わらせ、棚の引き出しから男性用避妊具を取り出す。中身が外から見えないよう、しっかりと茶色い紙袋の中に収めてハルに手渡した。


「あぁ、いい。金は代金ちょうどで支払ったことにして、釣りはこっそりお前がもらっておけ」

 紙袋と引き換えに渡された代金の釣りを払おうとしたのに、なぜかやんわり押し返されてしまった。

「そんな……、いけません。お釣りの方が代金の倍近くありますよ??」

「あ??いいって言ってんだろ??ほんの僅かだが、治療費の足しにしておけ。なんなら、あの馬鹿からも給金とは別に治療費請求したっていいと、俺は思うぜ??」

「…………」

「折角の美人が台無しにならないよう、しっかりと傷を治せよ??いいな??」


 最後のとどめとばかりに、ハルはお釣りの小銭を緩く握ったままでいるグレッチェンの右手を、自身の両手でぎゅっと押さえつけ、固く閉ざしてきた。

 根負けして渋々小銭を受け取る素振りを見せれば、ハルは「じゃあな、お大事に」と不敵な笑顔で退店していく。

 

「…………」


 勢いに押されて釣り代金を余分に貰ってしまったものの、一体どうしたものかと、一人思い悩む。

 ハルの言う通り、別に商品の代金ちょうどの金額を受け取ったことにして、黙ってさえいればいいだけの話ではある。彼なりの厚意だというのも充分理解している――、が。時間が経つにつれ、店の金を勝手にくすねたような気分に陥ってくる。

 ハルには申し訳ないが、やはりお金を返しに行こう。掌中の硬貨をもてあましながら決意する。

 グレッチェンはカウンターの奥の扉を少し開き、中で仕事をしているシャロンに呼びかける。


「シャロンさん、ハルさんにお釣りを間違えて渡してしまいました……、申し訳ありません……。今からラカンターまでお金を返しにい行こうと思うので、私の代わりに店番をお願いしたいのですが、宜しいでしょうか??」


 咄嗟に思いついた嘘にしては、我ながら説得力があると思う。

 現に、シャロンは「君にしては珍しい間違いだな。相手が誰であろうと、金に関する間違いは店の信用問題に関わってくる。すぐに返しに行きなさい」と、あっさり嘘を信じ込んでくれた。


「分かりました。では、今すぐにお金を届けに行ってきます」


 シャロンの許可を得ると、グレッチェンは急いでラカンターに向かった。






(2)


 炎天下の屋外へ出れば、珍しく空には雨雲がかかっていなかった。燦々と輝く太陽の光に目が眩み、グレッチェンは思わずしかめっ面を浮かべる。真夏の太陽が最も高く昇る時間帯、一定時間外を歩くとなると、汗を掻きにくい体質のグレッチェンですら額に汗がじわりと滲む。

 汗の玉を額に浮かべて歩くこと、約10分。赤茶色の塗炭屋根と漆喰塗りの白壁、横長の造りをした一階建ての建物、ラカンターに到着した。しかし、扉を叩くも開く様子が見受けられない。留守なのか、それとも音に気付いていないのか。

 もう一度、グレッチェンは扉を叩いてみる。今度は先程よりも少し強めに。すると、中からガチャガチャと錠を外す音が聞こえ、ハルが顔を覗かせた。


「誰かと思いきや、グレッチェンか。どうしたんだよ??」

「すみません、開店準備中の忙しい時に……。あの、さっき頂いたお金ですが……、どうしても私の気が咎めてしまうので……、すみません、やはりお返しします」

 ハルに向かって深々と頭を下げながら、グレッチェンはお金を彼に渡そうとした。

「お前なぁ……」

「本当にすみません……。ご厚意には感謝してます……」


 だんだん尻すぼみになっていくグレッチェンの声に、ハルは困ったような呆れたような、何とも言えない微妙な顔で、しきりに顎鬚を撫でていたが、「……分かった。その代わり、なんか飲み物奢ってやるから、それ飲んで休憩してから帰れ。こんなクソ暑い中、わざわざ来てくれたことへの駄賃だ」と、中へ手招きした。

 グレッチェンは迷ったものの、断ってばかりいるのもハルに申し訳ない気がするので、今度は素直に従った。


「どこでもいいから好きなところに座って待ってろ」と言われ、グレッチェンがいつもの場所、カウンター席の真ん中に腰を下ろすと、ハルはレモネードを持ってきてくれた。

「ありがとうございます」

 礼を述べ、おずおずと瓶に口をつける。ほのかに香る酸味が、からからに渇ききった喉を爽やかに潤してくれる。

「生き返っただろ??お前さんは昔と比べて丈夫になったとはいえ、暑さにやられて、帰りに倒れられちゃ困るしな」

「そんな、大袈裟な。うちの店とラカンターの距離くらいなら大丈夫ですよ」

 柄の悪さに似合わず、意外に過保護で世話焼きなハルが可笑しくて、グレッチェンはつい薄っすらと笑んだ。

「ま、今頃シャロンの馬鹿が心配しているかもな。俺よりあいつの方が、お前に対して過保護だし」

「…………」


 シャロンの名を耳にした途端、グレッチェンの顔から笑みが見る見る内に消え失せていく。


「なぁ、グレッチェン。何で殴られたんだ??さっきも言ったが、あいつ絡みなんだろ??別に話を聞いたところであいつを責めたり、ましてや殴ったりしない」

「…………」


 グレッチェンはしばらくの間口を固く噤んでいたが、遂に観念して真相を語り始めたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る